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狼文官の脚  作者: 冬瀬
1/4

 

 ルイーズ・ゾーラス。

 今年で22になる、クリーム色の髪の天然パーマが程よい娘である。

 実は彼女、一度死んだ身である。

 どうやら過労が祟って死んだらしい前世の記憶を持つ彼女は、今世では上手くやろうと誓い、人生を歩むつもりであった。

 しかし、残念ながら彼女が生まれたゾーラス家は、代々護衛職を務めており、ルイーズもその手解きを受ける定めであった。

 手を抜くなどという芸当は、下手すると死活問題に直結したので、ルイーズは13になるまで必死に武術を磨くことになる。

 13年経っても屋敷で大半の時間を過ごしたので、女の子らしいことになど気を使う暇もなく、今世では女を捨てろということなのか、と諦めの表情を浮かべていたところ、なんの不幸か両親が離別した。

 母親が、父親が構ってくれないからという理由で、ルイーズを引っ張って屋敷を出たのだ。

 母はたくましかった。

 どこから持ってきたのか、大量の金で遠方に移り住み、ひっそりと二人暮らしが始まった。

 ルイーズは街で色々と仕事をこなして、生計を立てることになったが、訓練と前世の記憶のおかげで大体のことが上手くいった。

 そうして二年が過ぎた頃、血相を変えた父親が彼女たちを迎えにきた。

 彼が反省した様子を見た母親は、『じゃあ、帰りましょうか』と一言だけ言ってケロッとしていた。

 ルイーズは彼女を怒らせてはいけない、とその時初めて思ったのである。


 屋敷に戻ったあとしばらくは、ルイーズも父と母と兄二人と共に過ごしていたが、母親との二人暮らしの生活が名残惜しく、恐る恐る家を出たいことを伝えた。

 想定外にも、父親はその提案に反対しなかった。

 母親も、ルイーズとの二人暮らしを通じて、自立しても大丈夫そうだと判断し、彼女は18になると屋敷を巣立った。



 それから四年後の今。

「ルイーズ、ご飯食べに行こう」

「うん」

 仕事机から立ち上がり、ルイーズは職場の同僚と昼食を食べに行く。

 安定を求めた彼女は、前世でいう公務員に近い職に就いていた。

 いわゆるデスクワークを羽ペンでこなし、会計や監査、経理諸々、課せられたノルマを達成する。

 前世から真面目だけが取り柄なルイーズは、着々と丁寧な仕事をし、定時には帰宅するという生活を送っている。

「お腹へったぁ」

「そうだね。今日はパスタにしようかな」

 職場である役所から数歩の位置にあるレストランに、同僚——カーナと入った。

 食事をしながら、カーナと最初は他愛もない話をしていたが、突然会話の内容が変わった。

「ねぇ、ルイーズ。わたし、さっき小耳に挟んじゃったの」

 ルイーズは彼女が何かを言いたそうにしていたのに気がついていたので、耳を傾ける。

「所長の部屋を横切った時。ルイーズに『狼文官の脚』にならないかっていう話が来たっていうのを」

「狼文官の脚?」

 聞き覚えのない単語にポカンとしていると、カーナは呆れたようにため息をつく。

「もう。ルイーズはほんと、おっとりさんよね。ヒューゴ・エスパーニャって名前くらい聞いたことはあるんじゃない?」

「あー」

 ルイーズは、のほほんとした表情で適当に返事を返してパスタを頬張る。

 “気楽に生きる” が今世のモットーであるルイーズは、前世とは打って変わっておっとりとした性格になっていた。

 仕事の時は真面目に戻ったりするが、この世界での仕事は前世のブラックと比べれば楽なもので、物凄くゆっくり仕事をしても全く問題がない。

 暇すぎて書類の確認を何回もするので、彼女の仕事にはミスが少なかった。

「もーう。しっかりしてよ、ルイーズ。ヒューゴ・エスパーニャは、元軍人で27歳。軍人の頃から頭のキレる凄い人だったらしいんだけど、任務の時に左足を壊して上手く歩けなくなってからは、文官として働きはじめたんだって。そしたらこれがまた、文官の仕事も数百年に一人の逸材だとか言われて、あっという間に“影の宰相” とか呼ばれるまでになった人よ」

 細かいところまで教えてくれるカーナに悪いので、しっかりルイーズは教えてもらったことを頭に記憶する。

「凄い人なんだね」

「そうなの。でも、凄すぎて、彼の仕事についていける人が居ないらしいのよ」

「え」

 そこでルイーズは嫌な予感がした。

「わかった? 『狼文官の脚』っていうのは、彼の秘書みたいなものよ。使えないとすぐに切り捨てるから、確かあなたで15、6人目だったような」

「そ、そんなに?」

 ルイーズは眉を寄せた。

「でもその分、給料はいいらしいわよ? なんたって王宮勤めだし。あ! わかった! 辞めさせられる前に、王宮に勤めてる人と付き合って玉の輿を狙いに行けばいいんじゃない?」

 カーナが不敵な笑みを浮かべているのに、ルイーズは思わずため息が漏れそうになった。

「そのお給料ってどのくらいなのかな?」

「聞いた話じゃ、今の5倍は出るらしいわよ?」

 ルイーズはピシリと固まった。

 頭の中で “5倍” という単語が反芻する。

「……カーナ。私にその仕事できると思う?」

「え。ルイーズまさかあなた、やるつもり?」

 カーナは驚いてルイーズを見る。

「5倍……。もし駄目でも、きっとここには戻って来られるでしょう? それならやってみるだけの価値はあるんじゃないかな」

 いつもはおっとりしているルイーズの瞳が鋭く光った気がしたのはきっと、気のせいではない。

「……ルイーズがいいなら、やってみればいいんじゃない? 案外あなたなら平気かもね?」

 ルイーズはカーナの最後の言葉が気にはなったが、今は給料5倍の大チャンスしか考えることができなかった。


 *


 そういう訳で、ルイーズは王宮勤めの切符を手にした。

 乗り合いの馬車に揺られて大都会の王都に入り、早速、王宮の中へと足を踏み入れる。

 案内された部屋をノックして、彼女は初めて彼をその目に捉えた。

(珍しい。黒髪だ。というか、イケメンじゃん。狼とかいうから強面かと思ってた)

 前世じゃありふれた黒髪に、ルイーズは懐かしさを覚えたが、彼の瞳は青くて現実に引き戻される。

「お初にお目にかかります。マグラムの役所から派遣されました、ルイーズ・ゾーラスと申します。未熟者ですが、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします」

「……ヒューゴ・エスパーニャだ。早速で悪いが、これを広報課に届けて欲しい」

 彼は茶色い封筒をルイーズに手渡す。

 ルイーズはいつものように、おっとりとしたオーラを醸し出しながら、それを受け取ったが、頭では試されているのだということは理解していた。

「広報課ですね。わかりました」

 軽く一礼すると部屋を出る。

 ルイーズは愛想を振りまいて、広報課の場所を聞き出し、ちゃんと封筒を届けると、ついでに色々場所を覚えながらまたヒューゴのいる部屋に戻った。

「届けてきました」

「そうか。君にはこういう風に俺の脚の代わりになってもらう。それ以外は好きにしてもらって構わないが、基本的にこの部屋にいてくれ。仕事内容は以上だ」

「は、はい」

(え。それだけ?)

 ルイーズは驚いた。果たしてそれだけの仕事に、今までの5倍の給料など貰っていいのだろうか。

 前世から何もしないのは落ち着かない性質なので、役所で働く時すら時間を潰すのに書類を何度も見返していたのに、これでは罪悪感しかない。

 かたや狼文官殿は長机に山積みになった書類に、次から次へと手を伸ばして仕事をしているのだ。

 ルイーズは取り敢えず、散らかった部屋を片付けることにした。

 ヒューゴの仕事部屋は、とにかく資料が多い。これでは大切な書類をなくしてしまうのではないかとルイーズは心配になった。

 適当に仕分けをして本棚に並べ直し、それがひと段落すると掃除を始める。

 なるべく彼の気を散らさないように、静かに静かに行動していたが、ヒューゴはものすごい集中力でルイーズには目もくれない。

 それも終わってしまうと、ルイーズはどうしたものかと頭を悩ませた。

 自分も一応、役所で働いていた身であるので、事務処理くらいならできるのだが、出会って数時間の彼に話しかけるタイミングが掴めない。

(いや、違うんだ私。きっとこれは神様が私にご褒美をくれているの。働かなくていいって!)

 勝手に解釈し始めたルイーズだったが、そこで扉をノックする音が聞こえた。

「ヒューゴさん。書類のチェックをお願いします」

「ああ。そこに置いといてくれ」

 片付けられたばかりのローテーブルに、書類がどさりと置かれる。

(もしかして、これを全部一人でチェックするの?)

 ルイーズは顔をしかめた。

 偉くなると責任がのしかかるとは、こういうことなのだろう。

 書類を届けにきた男性は、ルイーズを一瞥すると何か意味深な表情を浮かべて部屋を去って行った。


 フゥ、と息が漏れる音がして、ルイーズはヒューゴをみる。

 彼は軽く肩を回し、首もぐるりと一周回すと前を向く。それまでずっと書類とにらめっこしていたので、やっとルイーズを視界に捉えた。

「……」

 目があったルイーズは彼の疲労をひしひしと感じ取っていた。

「あの、コーヒーでも淹れてきましょうか?」

「頼む……」

「わかりました」

 ルイーズは給湯室まで行くと、カップにコーヒーを注ぐ。

(お茶汲みの仕事、久しぶりだな)

 前世の下積み時代とも言える、若かりし頃のことを思い出していた。

 彼女はそれなりの企業のお茶汲み雑用から、キャリアを積み重ねた結果、そこそこの地位を築いていた。

 仕事に明け暮れたせいで、何度も同じ理由で彼氏にフラれたことも同時に思い出して、ルイーズは苦い顔をした。

『お前には、俺は必要ないみたいだからな』

(はいはい。今は反省して、ゆとりを持った生活をしていますよ)

 心中でツッコミを入れると、ルイーズは給湯室を出た。

 するとそこに、二人組のメイドらしき女性たちが現れる。

「あら、その制服。狼文官様の?」

 ルイーズに気がついた一人がそう言った。

 彼女は王宮から支給された制服を着ている。ちなみに住む場所も、寮が用意されているので困らない。

「ルイーズ・ゾーラスです。どうぞよろしくお願いしますね」

「わたしはサリー。こっちはアンナよ。お仕事、大変かもしれないけれど、何か困ったことがあったら声をかけてくれて構わないわ」

「ありがとうございます」

「ええ。余計なお世話かもしれないけれど、不吉なことが起きたらちゃんと、教会で清めてもらうのよ?」

「え?」

 どうして今の会話の流れから、その言葉が出るのかルイーズは戸惑う。

「ほら、黒って不吉な色でしょう? 彼についた人は皆1ヶ月もすればここを去って行くから、何か呪いでもかかっているんじゃないかって噂なの」

 アンナが補足してくれる。

「そ、そうなんですか。気をつけますね」

 ルイーズはそんなことはただの迷信だろうと思ったが親切にしてもらっている手前、そんなことは言わなかった。

 せっかく淹れたコーヒーが冷めてしまうので、ルイーズは会話をそこで切り上げて、ヒューゴの元に戻る。

(黒は不吉、ねぇ……)

 前世では自分も黒髪だったので、そんな風に考えたことはなかったが、思い返せばそれがこの国の風潮だった。

(そういえば、コーヒーを頼むとブラックは出てこないな)

 ルイーズはヒューゴにカップを渡した後に気がついた。

 それにはちゃんとミルクもつけていたが、彼はそれを少し見つめると、ブラックのまま口に入れた。

(よかった。怒られない)

 この世界の常識を間違えてしまったかと、ひやりとしたが、問題なかったようだ。

 それからは、段々と書類も仕上がってきて、ルイーズも彼の脚として色んな部屋を往復することになる。


「今日はそれを運んだら終わりでいい」

「わかりました」

 気がつけば時計は午後6時を回っている。

 給料5倍、ということで、一日中働かされるかもしれないと思っていたのだが、そうでもないらしい。

 最後の書類を届けて、ルイーズは仕事の完了を伝えるために再びヒューゴの部屋へ。

 すると、メイドの一人がワゴンを握ったまま、その部屋の前で固まっているのが目に入った。

「どうかなさいましたか?」

 ルイーズは話しかける。

「あ、あなた。もしかして、新しい秘書さん?」

「えっと、エスパーニャさんのお手伝いをしていますが?」

 この仕事が果たして秘書と呼べるものなのか分からず、ルイーズはそう答える。

「ちょうどよかった。これ、ご夕食ですから、あなたが配膳してくださる?」

「へ?」

「ああ、これでやっとあの不吉な髪から解放される。彼はここで寝泊まりしているの。部屋の中に、もう一つ扉があったでしょう? あそこの先が彼用の部屋になってるの。脚が不自由だから、なるべく動かなくていいように陛下が配慮してくださっているの」

「は、はぁ……」

 ルイーズは呆然としてメイドの話を聞く。

「あなた、彼の脚でしょう? 食事を運ぶのは当たり前よね」

「……はい」

 メイドの圧に押されて、ルイーズは思わず返事を返した。

 彼女は適当に説明をすると、すぐにその場を離れていく。

 どうやら、不吉な彼に近づきたくないらしいことは、その態度からわかったが、ルイーズには納得いかない。

 黒髪を否定されると、前世の自分も否定された気持ちになる。

「エスパーニャさん。お食事が届きました」

 メイドに言われた通り、ルイーズは配膳の準備をする。彼は特に何も言わずにその様子を伺っていた。

(もしかして、今までも秘書がこういう仕事をやってたのかな)

「では、ごゆっくり。私は一時間ほどしたら、戻ります」

 食事を邪魔するのも悪いと思ったので、ルイーズは部屋を出ようとした。

「待て」

 そこで制止の声がかかる。

「30分でいい。……これでわかったと思うが、俺の助手の給料が高いのは、こういう面倒ごとがくっついてくるからだ。それが嫌ならお前も早く辞退したほうが身の為だぞ」

「お気遣いありがとうございます。しかし、私もそれなりの心構えをしてこの仕事を引き受けましたので、これくらいのことであれば問題ありません」

 こちとら、前世で親の介護片手間に働いていたのだから、それと比べれば楽なものだ。

「……そうか。俺は忠告したからな」

 ヒューゴは、ルイーズの醸し出すポジティブなオーラに当てられて、それ以上は何も言わなかった。



 こうしてルイーズの新しい生活が幕を開けるのだった。








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