女史の考え。
神子、という存在について、私は思い違いをしていたのかもしれない。
神子は決して万能ではない、ということを私はわかっているつもりだった。でも、本当の意味で、神子が万能な存在ではないことをわかってはいなかったのだと思う。
そもそも”神子”―――、神に愛されし子という言葉は、私たち人が、勝手につけた名前であるとも言える。いや、神子は確かに神に愛されている。それは事実だろう。でも、只、神に愛されていて、只、幸福を与えられているだけではきっとないのである。
本当に、何不自由なく、不幸を一切感じずに神子が生活を出来るというのならばそもそも神子であろう少女———レルンダが、生まれ育った村であれだけ酷い扱いをされるはずがない。本当に”神子”であるだけで、幸福であれるのならば、レルンダがあんな扱いになるはずがない。
そして過去の神子の――――、国を憎んで、その国が滅んでしまった話だって、本当に神子が神に愛され、神から与えられ、幸福を享受するだけの存在であるならば、そもそも神子が憎しみを抱くような状況に陥るはずがない。
神子に愛されたものは、幸福を得る。神子が愛した土地は、神子が去ったあとでもすたれることはない。私が神子を研究している中で知った、確かな事実。
それは、確かに事実だろう。だけれど、その事実は完璧でも、万能でもないのだろう。本当に神子が愛したものが全て幸福を得て、不幸にならないというのならば、過去の神子は国を憎むほどの状況には陥らなかっただろう。レルンダが生まれ育った村も、この獣人の村も、レルンダが生きやすいように確かに作用していたように思える。
けれども、ずっと平穏に暮らすというのは無理なのかもしれないとも、アトスさんが行方不明になった今、私は考えている。
アトスさんのことを、レルンダは大切に思っている。慕っている。だから、フェアリートロフ王国の重臣たちや大神殿のものたちが考えていたように本当に、神子に愛されているものが幸福を得るというのならばアトスさんが行方不明になることもありえないはずである。
―――そして、よくよく考えてみれば、神子が現れた事実が歴史書などに刻まれているというのも、疑問である。
”神子”であるものは、”神子”として必ず表舞台に立たされているように思える。神子ではなく、ただの人として神子であることが露見せずに平穏に過ごしている神子は、文献の中には見られない。神子は歴史書に名を残すようなことを、起こしている。それは即ち、神子は歴史書に名を残さなければならないような出来事に”巻き込まれている”ということではないだろうか。その結論に至った時、正直私はぞっとした。
私は、いや、私以外の人々だって、きっと思い違いをしていた。神子という、神に愛された子というメリットしか感じられないその呼び名と、神子の力や実績を見て、神子は神に与えられるだけ与えられて、デメリットはほとんど受けない存在なのだと。
けど、きっと違う。
――――神子は、歴史書に名を残すような出来事に巻き込まれてしまうからこそ、その普通では考えられない力を、加護を与えられているのではないか。
いや、それとも神子という大きな力を持っているからこそ、歴史書に名を残すような出来事に巻き込まれてしまう運命なのか。正直どちらなのかは分からないけれど、大きな力を持っているものを、人は放っておけない生き物だとは思っている。
だから、レルンダはきっと、放っておかれない。
このまま、幸せになりたいと願っても、きっと、巻き込まれてしまう。
おそらく神子がいつも大国の庇護下にあったのは、なるべくしてなった結果なのだ。周りに放っておかれることなく、巻き込まれてしまう神子が、平穏に生きるためにはそれだけ大きな力が、守りが必要だったのではないか。
―――この考えは、あくまで一つの推測だ。そうでなければいい、と思う。けれど、こういう場合だからこそ、最悪の可能性を考えなければならない。最悪の事態が起こりうることを考えて、最善の策を探らなければならない。
獣人の大人たちには、私たちはこの村から逃げるべきではないか、ということを私は話した。レルンダやガイアス、子供達にはまだ話せていないが、それも一つの選択肢だと私は考えた。アトスさんや、アトスさんを探しに出かけた獣人たちが帰ってこないのは心配だ。無事でいてほしいと思う。……けど、最悪の可能性というのはこの村の全員が奴隷に落とされる、又は殺されてしまうことなのだ。アトスさんたちが生きてここに戻ってきたとして、この村がそういう最悪の状況に陥ってしまっているというのは一番避けなければならないことなのだ。
だけど、どのようにすべきかという結論が出ないある日、ガイアスが飛び出した。そして、それを追って、レルンダまで飛び出してしまった。
――女史の考え。
(女史が思考を進め、大人たちと話し合う中で、彼らが飛び出してしまった)