姉、目覚めてから。
瞳を開く。
見慣れた天井が私の視界に入る。
「あれ、私……」
どうして、私は眠っていたんだっけ。それがぴんとこなくて、頭をフル回転させる。
確か私は外に出たいと思って、庭師の男の人たちに誘われて、そして——。
思い出す。優しかった庭師の男の人に手をつかまれ、引っ張られた事を。煩いと乱暴な言葉を投げかけられてしまった事を。私が嫌がって、抵抗しても連れていこうとした事を。――侍女がそれを発見して、突き飛ばされた事を。
起き上がると、その時打った部分がズキリと痛んで、あの時の出来事が現実だとより一層自覚する。それと同時に体がぶるりっと震えた。
私は恐ろしかったのだ。
あの時、もし侍女が見つけてくれなかったら私はどうなってしまっていただろう。そんなことを考えて、思考して、本当に恐ろしかった。
あの優しかった庭師の人がどうして。それとも元々、私をどうにかしたいと思って、庭師として雇われたのだろうか。それは私が、神子を騙っていたからなのだろうか。
ニーナエフ様に会いたい。会ったら、少しでも不安が無くなる気がしたから。そういう気持ちで、ベッドから降りようとする。だけど体がズキズキ痛んで、それ以上動かせなかった。
どうしよう、そう思った時に部屋の扉が開いた。
「アリス様! お目覚めになられたのですね、良かったっ」
入ってきたのは、私が連れ攫われそうになったのを目撃して声をあげてくれた侍女だった。その侍女の姿を見ただけでも、私はほっとした。
「ニーナエフ様を呼んできますわ!」
そしてそういってその侍女はばたばたとその場を去っていった。
それからしばらくしてニーナエフ様がやってきた。
「アリス、無事で良かったわ」
ニーナエフ様は心の底から安堵したといった笑みを浮かべてくれた。私の事を本当に心配してくれていたのだ、というのがわかって嬉しかった。
私は自覚するまで私が優しくされるのは当然、心配されるのは当然と思い込んでいたけれど、今は心配されるだけでも嬉しかった。
「ニーナエフ様……」
「アリス、貴方が連れ攫われなくて本当によかったわ」
「……ニーナエフ様、あの人はどうして、私を」
「……」
「私が、神子を騙っていたから……?」
無言のニーナエフ様に、私は恐る恐る問いかけた。私が結果的に神子というものを騙ってしまったからこそ、そういう目に遭いそうになったのではないかとそう思ったから。だけど、ニーナエフ様は首を振った。
「いいえ」
「なら、どうしてなの?」
「……アリスがとても美しいからよ」
ニーナエフ様はそう言って、続けた。
「アリスは美しい。将来的に絶世の美女と呼ばれる存在になるだろうと今からでも言えるぐらいに。同性の私から見てもドキリとするぐらいに。それだけ美しければ貴方を邪な感情で連れ去ろうとするものも多く居るわ。貴方を手にしたいという者、もしくは貴方を奴隷として売りに出そうとするもの——そういう悪意が世の中には沢山あるわ」
「悪意……」
「そう。アリスは今まで、おそらくそういう悪意にあまり触れてこなかったのでしょう。生まれ育った村では神子であるレルンダ様が傍に居た事や特別な存在として生きていた。そして神子として引き取られてからは厳重に悪意から守られていた。だけど、今、この場でそのような厳重な守りはないの。貴方は自分の身を自分で守る必要がある。アリスは……自分がどれだけ美しくて、人に狙われる可能性があるかをきちんと知っておく必要があるわ。貴方が、今まで迷惑をかけた分、誰かのお願いを聞きたいというのならば余計に」
ニーナエフ様はそう言った。
私の見た目は、そういう悪意を引き寄せる可能性があるのだと。だからこそ、私の誰かのお願いを聞きたいという願いがあるのならば自衛をしなければならないのだと。
「……ニーナエフ様が、私を外に出さなかったのはそういう理由から?」
「ええ、そうですわ。アリスは神子を騙ったという事、そして美しい見た目をしているという事。その二つの事から、外に出ると狙われる可能性が大きかった。私は敢えて貴方に現実を見せるべきか、それともしばらく屋敷の中で少しずつ学んでもらうべきか悩んでいた。……あの庭師を雇ってしまったのは私の落ち度だわ。ごめんなさい、アリス」
「いえ、ニーナエフ様が謝ることではないです」
「アリス、貴方は今回、貴方に邪な思いを持つ人間がいる事を知った。そして恐ろしいと思ったはずです。でもアリスが外に出るという事はそういう存在に遭遇する確率が上がるという事です。もちろん、世の中はそういう人間ばかりではありません。だけれども、確かにアリスに明確な悪意を持つものもいるんです。それでも、外に出たいと思いますか。外に出たくないのならそれも一つの選択肢だと私は思うわ。その場合はアリスの誰かのお願いを叶えたいという願いはかなえられないけれども……」
ニーナエフ様は問いかける。
外に出れば、悪意に晒される可能性があると。それでも、外に出たいかと。
私は思考する。
連れ攫われそうになった事が怖かった。急に乱暴な言葉を投げかけられた事が怖かった。
でも——。
「私は外に出たいです。やっぱり私は我儘ばかり言っていたから、代わりにお願いを聞きたい」
やっぱりそう思うのだ。
怖いけれど、でも今まで私は好き勝手に生きてきた。だからこそ、周りの誰かの願いを叶えられる私になりたいと思った。
ニーナエフ様はそんな私の言葉に笑った。
「なら、どのようにしたら良いか一緒に考えながら少しずつ外に出ましょう。少なくとも『お願いを聞きたい』と貴方が言ってまわれば厄介なことになりかねないわ」
そう言ったニーナエフ様の言葉に私は頷いた。
―――姉、目覚めてから。
(神子な少女の姉は、目を覚ます。そして選択を迫られ、彼女は選んだ)
活動報告の方に書影をあげております。
よろしければご覧になっていただければと思います。素敵な書影になっております。