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紫荘の人々  作者: 中野あお
201号室:桐谷樹
8/20

1-7

「そうそう、話し戻すけどさ、他にはどんなサークルに入ろうか迷ってるの?」

「音楽を始めるのもありかなって思ってて、アコースティックギターとか邦楽部とかに興味あるのと、運動系でフットサルとウォーキングサークルが迷っているところですね。あとは、ここと漫研も少し興味あったりしますね。」

「結構あるね。さすがに優柔不断過ぎないかな。」


 率直な感想をいただいた。自分でも迷い過ぎだとは思う。


「せっかくの大学生だしいろいろやりたいと思ってまして。」

「桐谷君さ。」


 少し改まった様子で呼びかけ、一呼吸おいて先輩が続ける。


「別にあれもやりたいこれもやりたいって思うこと自体は悪いことじゃないし、いろんなことに挑戦することは、それはそれでとてもお勧めするよ。でも、さすがにさ、どれもすべて完璧にってわけにはいかないじゃん。だからさ、まず最初に何をしたいかを決めるべきだと思うよ。今一番したいことでもいいし、大学に入って一番やりたかったことでもいい。古い言い方かもしれないけどさ、親元を離れてまでこの学校に入ったんだったら何かそれなりに目標とかやってみたいことがあったはずじゃん。そういうことから始めて見るっていうのはどうかな?」


 身を乗り出し、いつもより強い口調で話す先輩に圧倒されて、座っているのに思わず後退りそうになる。

 何度か体験した、たたみかけるかのような佐野先輩の話。それはきっと先輩が思ったことをそのまま口にしているのだろう。


 その言葉の一つ一つが鋭さを持って、切れ味の良い刃のように心の中へするりと入ってくる。

 その意見が正しいと、信じる価値のあるものだという気持ちが沁み込んで広がる。


「その通りなのかもしれませんね。」


 やりたいことはいくらでもある。

 でも、何故地元ではだめだったのか。何故見知らぬ土地でそれをやろうと思ったのか。


「さっきも話したんですけど、高校の時は部活の人間関係が良くなかったんですよ。」


 先輩は黙ってうなずき、俺の言葉を待っている。


「だから、大学ではもう一度人間関係をやり直して深く付き合える人たちを、一緒に活動できる仲間を作りたいなって思ってきました。」

「なら、それができると感じたところから入ってみたらいいんじゃないかな。桐谷君がやりたいのは幅広い人と付き合いたいというよりも、しっかりと仲を深めたいんでしょ。それならいくつもサークルに入る必要はなくて、ここならやっていけるって思ったサークルにまずは入ってみるってのがいいんじゃないかな。」


 俺はただ黙った。


 それは否定ではない。

 先輩の発言は全てそのまま俺の中にすんなりと入ってくる。


 それを肯定するのは自分でもどこかでわかっていたからなのかもしれない。

 複数のサークルに入って良い関係を多く作るというのは困難であるし、俺の求めているものとは異なるという事をどこかで薄々感じていたのかもしれない。

ただ、それを自分では曲げられず、誰かに言葉として言われたかっただけなのかもしれない。


 先輩は最初に会った時と同一人物かどうか怪しくなるくらいにしっかりとしていて、他人のことをよく見ている人だった。


「先輩って良い人なんですね。」

「何それはお世辞。それとも、また私を口説いているの。」


 そう返す先輩は最初に会った時と同じだった。

 それがおかしくなってきて、自然と頬が緩む。


「どうしたの、私の顔に何かついてるの。それとも私なんか変なこと言っちゃった。?」

「いやいや、何にもないですよ。気にしないでください。」


 そして、先ほどの先輩の真似をして、一呼吸置いた後に続ける。


「俺、青葉会に入ります。」

「えっ、いいのかな。さっきの私の話は考えてくれないのかな?」


 驚いたような様子を見せながら、先輩はテーブルから身を乗り出し俺に近づいてくる。コップを倒してしまわないか心配になる。


「そういうわけじゃなくて、ここで良い関係を築いていきたいなって思ったんですよ。佐野先輩もそうだし、部長さんも名前忘れちゃいましたけど、この前の男の人も良い人だと感じていたので、この人たちとなら仲良くなれるんじゃないかなって思ったんです。」

「それはありがとう。でも良かったのかな。美術部にはあまりいい思い出がないのでしょ?無理してない?」

「大丈夫ですよ。というよりも、高校の頃に良い思い出がないから大学で上書きしてやろうっていうのもありますから。あと、先輩近いです。」


 紙コップを避難させながらいつも通り近づく先輩を一度元の位置に戻す。


「そういうことなら、今後ともよろしく。」


 姿勢を正す。


「では改めまして、二回生の佐野和香奈です。今後も良い関係を築いていきましょう。」


 この真面目でどこかズレた先輩が俺の入部のきっかけになる。そう思うとやっぱり笑えてくるが、それを押さえて返す。


「桐谷樹です。佐野先輩含めて部員の方としっかりと仲良くなりたいと思います。よろしくお願いします。」


 その返事を満足げに聞いた先輩は微笑み、手を差し出してくれた。

 少し戸惑いはしたが俺もそれに応じて手を差し出し握手をする。


 心の中で何かが溶けた。

 考えなければと必死になっていたことはすんなり解決し、結果としては望んでいたようなスタートに立つことができた。


 心配事や不安が一気になくなったような気持ちになる。


 もちろん、問題なのはこれからであるから完璧に解決したわけではない。それでも今はこの大学生活への期待がその問題を解決できるほどに膨らんでいる。

 別に多くの知り合いを作ることを諦めたわけでもないし、音楽やスポーツもしないというわけではない。ただ、スタートは美術部から、そこで良い関係を築くことからと決めただけだ。


「あの、すいません。先輩、いつまで握手してればいいんですかね?」

「あっ、ごめん。桐谷君が何か考えてる様子だったから。」


 全く理由になっていなかった。


「もし暇だったら、このままこの部室にいてもいいよ。早速、私との仲を深めるってのもありだと思うからね。」

「なら、そうさせてもらいます。」


 早速、一人仲を深められそうな人も見つかった。

 それでいいじゃないか。

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