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紫荘の人々  作者: 中野あお
104号室:真田響
18/20

2-9

 この居酒屋は私たちにとって少しだけ特別な場所なのだ。いわば、思い出の場所。

 居酒屋が思い出の場所に挙げられてしまう程に付き合いが浅かったわけではなく、ここは私たちが付き合い始めた場所だからだ。


 始まりは稜也が酔った勢いで告白してきたことだった。

 何度かデートを重ねて、お互い薄々想いに気づいていながらも、きっかけがなかっただけというタイミングだったので、酔った勢いの者とはいえ、とてもうれしかったのを覚えている。


 ロマンチックさの欠片もないがそれが私たりの恋人としての始まりだったのだが、この場所を大切にしていた。私としては別れることになったとしても、別れを告げるのはこの場所なんじゃないかなんて考えていたくらいだ。実際は別れを告げずに終わってしまったのだから滑稽だが。


 奇しくも今日私が着ているのは付き合い始めたその日に着ていた服。稜也も多分あの日着ていた服。昨日、食事と言った時からお互い意識していたのだろか。もしくは、持っている服が少ないだけだろうか。


 電話をかけてみると普通に二名の予約が取れた。さすがに日曜日だと混んでいないようだ。翌日が休みではないと楽しみ切れないからだろう。

 予約が取れてしまってからというものお互いどこかぎこちなくなってしまって会話が上手く続かない。提案しておいてあれだが、早まったのかもしれない。ここに行くのは何かしら話しあるということを暗に伝えてしまっているのではないだろうか。

 いや、最初に話があると言い出したのは稜也の方なのだから彼の話から聞くべきなのだろうし、その内容次第では私から言う事は何もないかもしれない。


 考えるより産むが易し。ここ二日ほどの私に言い聞かせてきた言葉だ。

 始まる前から卑屈になって諦めてはいけない。



「勉強お疲れ様。乾杯。」

「お疲れ。」


 ほら、特に問題がなく始まった。ここにくるまでああだこうだ考えていたけど、実際に来てみると何とかなる。思い悩んでいても仕方がないのだ。

 乾杯はビール…ではなくそれぞれが好きなカクテル。私はキティで、稜也はレゲエパンチ。二人ともまだビールは苦手だ。そこは変わっていない。


「なんか稜也とここに来るって懐かしいね。何回かは来たことあったけど久しぶりじゃない?」

「そうだな。俺はこの付近に住んでる友達が少ないからこの付近で飲むことは少ないし。」


 その友達には私をカウントしているのだろうか。


「私は逆に下宿生の友達も多いからこの辺りとか家とかで飲むことが多いかな。」

「前もそう言っていたな。」


 そう、前もこの会話をした記憶がある。確か付き合う前だ。


「結局数ヶ月経っても交友関係がそんなに変わってないってことじゃないかな。景ちゃんとか、優ちゃんとかサークル同じ子たちと一緒にいることが多いし。」

「そういえば、あの子たちも文学部だろ?誰も哲学は取ってなかったのか?」

「コースが違うと哲学取ってない子多いよ。私の友達って英文とか国文とか正統派文学部みたいな子ばかりだし。」

「哲学や歴史が邪道だとでも言いたそうだな。」

「そういうわけじゃないけど。世間的に文学部ですって言った時にイメージされるのはそっちなんだよね。学部分けてしまってる私立大学も多いから。」


 この近所の大学でも哲学や心理学、中には歴史学まで別枠で学部として設けてしまっているところもある。大学とし受験者数を増やすための政策であるのかもしれないし、大学としての学問に対する考え方から来ているのかもしれない。

 なんにせよ、うちの大学は文系学問から法学、経済学、商学を抜いたものをすべて文学部に突っ込むという昔ながらのスタイルであるため、このようなことになっている。


「その気持ちはわからなくもないけど、仕方ないと思うよ。俺なんか親戚から『文学部ってことは将来作家にでもなりたいの?』なんて言われるんだから。もう諦めモード。」

「稜也が作家ってなんか面白いね。本読むの好きなんだからやってみてもいいんじゃない?」

「いや、俺は読むのが好きなんであって書こうと思ったことはないかな。」

「もし書いたら読ませてね。」


 会話テーマが次々と変わっていくのも変わっていない。お互いに一本の話をし続けることが得意ではないのだ。話が下手な者同士の会話にありがちなのかもしれない。


 もしくはこうやって他愛のない話をしながらも本題を切り出すタイミングを計っているのかもしれない。私だけでなく稜也の頭にも本題がちらついていることだろうから。

 ただ、繰り返しになるがお互いに話が得意ではないのだ。適切なタイミングで会話をスタートさせられるかは怪しい。思い返せば初めてのデートの誘いも告白も切り出しとしては妙な間をもって行われた。


 それは今回も同じことであったようで。


「えっと、本題話しても大丈夫?」


 まったくもって唐突に始められた。

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