意思表示ははっきりとしましょう。
楽器屋に来るのは半年以上ぶりだろうか。最後に来たのはサポートでギターに入った時だ。高校のときはあんなに頻繁に来ていたのにな、とひとりごちる。あの頃はお金がなくて、選べる弦にも限界があった。そんな中でも精いっぱいまじめに取り組んでいた。それも今となっては過去形だ。
今もやりたいのか、と聞かれたら即答できる気がしない。嫌いになったわけではない、今でも好きだ。だけど、俺は知ってしまっている。どんなにあがいても、先天的才能にはかなわないのだと。地道な努力をいくら積み上げたところで、生まれ持った許容量が違えばそれはどうしようもないものなのだと。
誰が悪いわけでもない。ただ俺には才能がなかった。それだけの話だ。残念ではあるけれど、不可抗力というものは存在する。
やりたいことと、できること。これは必ずしも一致しない。かといって、俺にできることが何かあるのかというと、今のところ見つかっていないわけなのだが。
譜面を軽く見た感じだと俺が普段から好んで使っている弦で大丈夫だろう。念のため、他のメーカーのも購入しておこう。各二セットずつあれば練習には事足りると判断する。また弾いてからもう一度判断すればいい。
ピックも一応新しいものをいくつか購入しておくことにする。知らない間に、アーティストのピックが様変わりしていて少しそわそわする。すぐにほしくなってしまうのは悪い癖だ。実用を考えると滑り止めのついたものが使いやすい。こちらも数枚手に取る。あとは家に帰らないと、さすがにピックの枚数までは覚えていない。
エフェクターも気になりはするものの、今のところは手持ちのもので何とかなると思い、一瞥するにとどめておく。見始めたら必要なくても欲しくなってしまいそうで怖い。
手にした商品をしげしげと眺めつつ、店内をうろうろしている弥を探す。髪の色が明るいので直ぐに目についた。バンドスコアを手に取りながら何やらむつかしい顔をしている。
「おい作曲者よ」
「おぉ、やっと俺の存在を思い出したか、アキ」言いながら手にしたスコアを棚に戻していく弥。
「ふざけろ。じゃなくて、弦はとりあえずこのどっちかでいいと思うんだけど、どうかな。もう少し重たくしてみてもいいような気もする」
「否まて、お前さっき一瞬譜面見ただけだよな? それで音までわかるの? すごいね?」
「……、否、そんなんじゃ」
やってしまっただろうか。違う。否、違くないのだ。だから俺にやらせてはいけないんだ。とっさに言葉が出てこない。口から出てしまった言葉は戻らないことを俺は嫌というほど知っているはずなのに。
実際に音を出していないのに、わかるわけないだろう。そう高校のときに何度も言われたじゃないか。それでも食い下がらなくてメンバーと気まずくなったのは片手で数えられない程度には多い。それでも、それでもあの時までは一生懸命やっていたはずだった。それも思い違いだったわけだけど。
そこまで考えたところで弥にガッと肩をつかまれた。降ってきたのは予想外の言葉だった。
「アキ、お前本当にすごいね? やっぱりお前向いてると思うわ。アキと音楽やるの絶対楽しいと思ってた。実現するのすげーうれしい」満面の笑みだった。
本心からそういっているだろう弥の顔を見て、俺よりももっとうまい奴なんてごまんといるのに、という言葉を俺は飲み込んだ。俺がひと月かけて習得した基礎を、たった一時間でこなしてしまうような、そんな天才がきっと世の中にはごまんといるのだ。
それよりも、俺は「楽しい」と言われたことに少し喜んでいた。弥の顔を見ていられなくなった俺は視線を外して頬をかく。
「それを言ったら自分で曲をかけることの方がすごいと思うけどな。歌詞も弥が書いているのか?」
そういえば、譜面には主旋律は書いてあるものの、歌詞は書かれていなかった。
「一応任されてるけど、俺、文才はないんだよな。前回ついにヴォーカルに怒られたよ。音と単語が合わないから歌いづらくて仕方ないってさ。そして歌詞を書いてくれる人に当てはない。正直ちょっと困ってるんだ」
「ということは、もしかして歌詞が付いていない? インストにするつもりなのか?」
「否、バンド形式でヴォーカルつけたいよ。だけど歌詞がついてないのでヴォーカルを頼めていない」
オイ、ちょっとまて。それは楽器隊が決まったところでどうしようもない問題なのではないだろうか。発表が来月だということは。
「それ、致命傷なんじゃないか?」
「暁良くんご名答」
冗談じゃない。時間もないのにヴォーカルが決まっていないどころか、歌詞が付いていないんじゃ併せで練習ができないじゃないか。
「なんでもいいから歌詞を用意するしかないんじゃないか」
「一応で用意した仮のものならあるぞ。作るだけはしてみた。しかしな、自分で書いておいてこんなことを言うのもあれだが、まぁ、その、歌えたものじゃないな」
「……とりあえず見てみたいからあとで送ってくれ」
了解、と軽く返してくる弥の顔がにやにやしている。なんなんだこいつは。
「なに、やる気満々だね? 俺、うれしい!」
裏声で茶化すように言ってくる弥。それに俺はちょっと歯がゆい気持ちになる。やる気があるのだろうか。これは楽しいのだろうか。久々にそわそわするような、そんな感覚なのは否めないが、それでも。手放しに喜べないような気がするのは、後ろめたい気がするのは勘違いなのだろうか。
俺がいいといってくれている弥に対しても、失礼なのかもしれない。
それでも俺は、と思ってしまう自分に嫌気がさす。
「あのさ、アキ」
一人後ろ向きな思考をしていることを見透かされたかのだろうか、弥が静かな声で言う。
「何があったのか知らないけど、少なくとも俺は、お前はギターがうまいと思うよ。それも信じれないっていうならさ、俺がアキのギター弾いてる感じが好きなんだよ。だから誘った。これは俺の好みです。それじゃだめなのか? それでも嫌なら断ってくれていいんだ。無理強いしたいわけじゃない」
「……そんなことしないよ」
「じゃあなんでそんな思いつめた顔してんだよ」
「べつに、平気だよ」そんなことはない、とは言い切れなかった。
「言いたくないなら聞かないけど。お前そうやって、時折一人だけでネガティブになるのやめろよな。なんかあったら言えよ。話聞くだけなら俺でもできる。ま、解決するかどうかは保証しねーけどな」そういって弥は快活に笑った。
「そうだな、一人で悩むよりはいいのかもしれない」
「アキが前向きなこと言うなんて珍しいな? 明日は雨でも降るんじゃないか?」
さすがにそれは失礼なような気もしたが、俺は苦笑いをしておくにとどめておいた。
弥なら、俺の劣等感なんて、吹き飛ばしてくれるような、そんな気がした。
「とりあえず、弦はその辺りでいいと思う。あとは実際に弾いてみないとわからないかな。一応作曲ソフトでは鳴らしてみたけど、全然別のものだからなあ。併せ練習の前に実際にアキの音でフレーズ確認したいから、一通り通しでできるようになったら教えてほしい。その時に弦も相談乗れると思う」
「おーけー。で、弥は? バンドスコア買うのかと思った」
「否、それはまた今度にする。今はこっちに集中したいし。手元にあるとどうしてもさ、気になっちゃうし」
ふうん、と俺は返事をしたが、それこそ弥の顔はなんとはなしに寂しそうな気がした。気のせいだろうか。
「ほら、会計して来いよ」
それに軽く返事をしてレジへと向かう。先に歩き出した俺は後ろ髪ひかれるような弥の表情を見ることはなかった。