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朝は一人で起きましょう。


「ほーら、アキ。床で寝たら風邪ひくわよ」

ちゃんと言ったのに、やんなっちゃうという先輩の声が上から降ってきて俺はあのまま寝落ちしていたことを知る。長い髪をタオルドライしながら俺のことをつつく先輩。濡れたままの髪の毛が照明のせいかきらきらと光って見える。

これから風呂に入るとか正直面倒くさいのだけれども、みー先輩はそういうところは厳しい人なので、体を流してこないと布団に入れてもらえない。すごく子供扱いされているような気もしなくはないのだが、先輩の家なので何も言えない。

もそもそもと風呂に入る準備をする。先輩の家に置きっぱなしにしてある就寝用のTシャツとジャージを勝手に箪笥から引っ張り出して、風呂へと向かう。手に取ってからそういえばそろそろ半袖に変えたいなあ、とぼんやりと思う。

やっぱり眠いので、サクッとシャワーで洗うだけ洗って出てきてしまおう。

「俺、すぐ風呂出るけど、先寝てていいですよ」

「はいはい」と返事をして先輩はひらひらと手を振った。


一通り洗い終わって出てくると、先輩はソファの上で横になって目を閉じていた。部屋の電気は付けたままだ。っていうか、髪の毛乾ききってないじゃないか。俺よりもこの人の方が風邪をひくんじゃないだろうか。

「先輩、髪乾いてない」

洗面所からドライヤーをもってきて、先輩をソファに座らせる。夜のお仕事をしている割にはこの時間に大体眠そうにしている気がする。仕事中どうしてんだ、この人。

ドライヤーを使おうとして、その前にタオルドライすら十分でないことに気が付く。おいおいおい。しっかりしてくれ。

「あんた、見た目大事な商売してんだから髪くらいちゃんと乾かしてくださいよ」

「そうなんだけど、眠くて」とうつらうつら返事をしてくる。眠そうにしているのも珍しいことじゃないんだけど、なんか、今日は一層眠そうだ。最近寝られてないんだろうか。

わしゃわしゃとタオルであらかたの水分をとると、ドライヤーのスイッチを入れる。ドライヤーなんて、自分自身はほとんど使わないので、使い方もくそもない。とにかく髪の毛が乾けばいい。この人が風邪をひかなければそれでいい。

風呂出てきたときは普通だったのになあ。俺が体を流している間にいったい何があったのかわからないが、急に静かになってしまった。俺にされるがままになっているのを見て、こんなんで普段大丈夫なのか心配になってくる。否、それを心配されるべきは俺の方なのか。

とりあえず髪が乾いたのでスイッチを切る。

「ほら、髪乾きましたよ、ベッド入ってください」

「いい、ソファで寝る」そのまま横に転がる先輩。そうですか。お好きになさってください。どうせ何言ったって聞かないんだから。ドライヤーとタオルを片付けて俺も布団に入る準備をする。

ケータイを充電器につないで、アラームをセットする。

「じゃあ、俺ベッド使いますからね」

それに返事のつもりなのか、少しだけ先輩は呻いたような声を出した。




「……、アキー、アキー、やっぱ布団入れて」

ほらきた。俺、まだうとうともしてないんですけど。体感時間ではあるけれど、寝る宣言から十分も経ってないと思う。人のことをベッドに入れて置いて、あとからこうやって、布団に入ってくるのが先輩の常である。だったら最初から自分がベッドをつかえばいいのに、と思う。しかしながら、言っても無駄なことも知っている。

「はいはい、いいですよー、っていうか先輩の家で先輩のベッドなんですから、俺がソファに寝ますよ、毎回いってるじゃないですか」

「やだ」

 即答だった。やだって、やだって言ったぞこの人。いい年した人のセリフじゃないだろ。

「あの、しかしですね、野郎二人でシングルベッドに入って寝るって図はいろいろやばくないと思うんですよ」

この際なので長年の疑問を口に出しておく。

二次元で見たってやばいと思う。っていうか、BLマンガとかでそういう状況になったら、絶対アレですよすね、やることやる流れになるやつですよ。先輩知ってますか、知りませんかそうですよね。「なんで?」なんて聞いてくるのはやめてください、返答に困ります。

まあしかし。腐男子的にはやっぱり気になるポイントなわけでして。先輩は理解がある人なので隠すこともないんだけど、一般の人に対して口にするのはやはりはばかられる。自分でも、大っぴらにできない趣味嗜好であることは理解している。女性の中でさえ、怪訝な顔をされるのだ、ましてや男の俺が「腐ってます」なんて言った日には非難の雨嵐であることが容易に想像できる。社会がイレギュラーには優しくないようにできているのは世の常だ。

それはさておき。みー先輩は俺よりも背が高く、肩幅もあるので、普通にベッドが狭い。これで美人なのだから許すまじ。ていうかよく考えようよ、これシングルベッドだからね。二人で寝るようにはできてないからね。狭くて当たり前じゃないですか、やだー。

仰向けに二人並べるわけもないので、壁のほうを向く。背中越しに先輩がベッドに上り込んでくるのを感じる。……暑い。それもそのはずで、もうすぐ六月も終わろうとしている頃である。湿度も高いこの時期に、人とくっついて寝るなんて、自虐行為にも等しいよなぁ、とぼんやりと考える。ていうかいい歳の男二人が一緒にベッドインって、一般的に見てもいろいろアウトなのでは。むさくるしいとかそういう方面で。

もう一度背中越しに先輩のほうを見やる。アッシュ系の髪がふわふわとして、ちゃんと手入れされていることが、そういうことに疎い俺にもわかる。まつ毛は長いし、目鼻立ちはくっきりだし、イケメンっていうよりも、美人のほうが的確に先輩のことを表していると思う。くそぅ。うとうとしている先輩が、俺の視線に気が付いてうっすらと目を開ける。どうかしたか、と目線が問いかけてくる。俺は、何となく気まずくて目をそらした。なんかちょっとだけ緊張したような気がした。その理由はわからないまま、俺は意識を手放した。





生活音に目を開けると、窓から光が差し込んでいた。先輩はすでにベッドから起きだしている。おそらく朝食の準備をしているのだろう。洗濯機が動いている音もする。先輩は朝から元気だなぁ、とかぼんやりした頭で考えながら、もう一眠りしようと思い目を閉じる。と、むぎゅっと、鼻をつままれた。

「うぐう、あに(なに)すうんれす(するんです)」

「二度寝しようとしてるんじゃないわよ、アキ。授業あるんでしょ、起きなさい。朝食は用意したから、ちゃっちゃと着替えて」

「まだ寝るぅ」

「ガキじゃないんだからそういうこと言ってるんじゃないわよ!」

そう言って、掛布団をひっぺ替えされた。うぅ、ちょっと寒い……。しょうがないのでさすがに上体を起こす。うーん……、眠い。

のろのろと動き出すと、バシーンと背中をたたかれた。い、痛い。恒例のことと言えども、やはりたたかれれば痛い。二度寝しようとしていることも、ぼんやりしていることも全部先輩にはお見通しなのだ。……うーん、長年の付き合いって怖い。

目をこすっていると、先輩がベッドサイドに手をついて、改めて俺の顔を覗き込んできた。

「おはよう、アキ」

「……、おはようございます」

先輩はその返事を聞くと、満足そうに家事に戻って行った。

昨晩はごちそうが並んでいたローテーブルを一瞥すると、トーストとサラダと、それからカップスープが用意されている。俺が好きなマーマレードのジャムもちゃんと準備されている。本当にぬかりねぇなこの人。そんな先輩は、今日はコケモモのジャムをお召し上がりになるようです。……女子力を感じる。

とりあえず、クローゼットの中からこれもまた置きっぱなしにしてある自分の服を引っ張り出す。これも長袖だ。そろそろ衣装ケースに戻ってもらう時期かもしれない。しかし、これから大学に行くのに荷物を増やしたくもないので、しばらくはここにとどまってもらうとしよう。

そんな感じで着替えている間にも、先輩はてきぱきと家事をこなしていく。オカンだ、オカンがいる。風呂とトイレを洗い、玄関先を掃いて、洗濯物を干す準備。先に朝食を食べてしまえばいいのに、とは思っても口にしない。言っても無駄なのを知っている。

俺が着替え終わりそうなタイミングで、先輩がテーブルの前に座る。俺もそれにならって座る。

「いただきます」

「めしあがれ」


トーストは若干冷めていた。それにほんの少しだけ罪悪感を覚えながら、無言で咀嚼する。まだ少し眠い。

それに比べて先輩はしゃっきりしていて、背筋の伸びた綺麗な姿勢でサラダを食べていらっしゃる。朝食からサラダがちゃんと用意されているなんて贅沢だよなぁ。こんな朝食を毎朝用意している先輩の生活能力を少しは見習わないとなぁ、とは思うものの、俺は実家暮らしでのほほんとしているわけで。今のところは先輩のご厚意に甘えておくにとどまることにしようと思う。

レタスを咀嚼する先輩の顔を眺める。まったく綺麗に食事をする人だなぁ。そういう所作がいちいち綺麗なのはずるいよなぁ。普段はあまりまじまじと見ることもないのだけど、一度見てしまうと、やっぱり感心するというか、なんというか。

我が家のお兄様は顔の造りは芸術品だが、動きが予想不可能で奇想天外であるので、普通のことを無駄なくきれいに行うことができるのはかっこいいと思う。

……、そもそも、うちのお兄様が規格外の存在であるという前提があるのだけれども。

同じ環境で育ったはずなのに、どうしてあの人あんな危険人物になったんだろう。

春姉も確かに奇人ではあると思うけれども、そこまで常識からは外れていないと思う。……、少なくとも俺の知っている範囲では、社会の常識には適応しているはずだ。

公共交通機関の利用を拒絶したり、三年間全教科満点を約束に髪色を明るくしてもいい許可を校長に取り付けたり、そしてそれを本当に有言実行したり、そんなことはしてなかった。そのはずなのだが、中学も高校も夏兄を差し置いて「あの泉春日の弟」とかなんとか言われた気がするので、俺のあずかり知らぬところで彼女は彼女で何かしでかしているのかもしれない。

そんなことを思いながら黙々と咀嚼する。

先に食事を済ませた先輩が立ち上がり、食器を下げる。俺はまだゆっくりもぐもぐしている。

今日の講義は二限からではあるものの、先輩の家に泊まってしまったので教科書を借りなくてはならない。それでも実家から大学に向かうよりも遅い時間でいいというのは、ちょっと得した気分だ。

本当ならば一人暮らしでもできたのなら気も楽だし、先輩の家にたびたび厄介にならずとも済むのだろう。しかし、実家から大学までは一時間半程度なので、そんなわがままが通用するわけもない。かといって、一人暮らしを支えられるほど金額を稼ぐとなると、アルバイトの時間は膨大だ。学業と並行するのは難しい。

決して暮らしに困っているわけでもないだろうが、必要のない仕送りをしてくれるほどの余裕は我が家にはないだろう。

生活に不自由をしているわけではない。

それでも、息苦しさを感じないでいるのは難しい。

なんでもそつなくこなす姉と、人並み以上の成果を叩き出す兄と並んだ時に、俺は突出するところがない。

目立って得意なことがあるわけでもなければ、優れた部分もない。

何かあるとしたら、人に胸を張って言えない趣味ぐらいだろうか。それも後ろめたさに拍車をかけているといってもいい。

父も母も何も言ってはこないものの、何も言われないからこそ、どうしたらいいのかわからないこともある。

朝からこんなことで落ち込みたくはないのだが、兄姉の出来の良さは誰がどう見ても非が付けられるものでないことは、俺が一番わかっている。

我ながら悲しいことだ。

しかし、どうすることができないのもまた事実なのである。

生まれ持ったものは変えられない。

ぼんやりと食事をしていることが伝わってしまったのだろうか、先輩が遠目にこちらを見ているのが視界の片隅に入り込んだ。


ああ、ダメだ。こんなところを人に見せるわけにはいかない。

俺は、幸せなのだ。十分満たされているはずなのだ。

世間から見れば、俺の悩みなど、贅沢以外の何物でもないのだろう。

だから、こんなことで落ち込んでいてはいけない。


特に、この人の前でそんな姿はしてはいけない。


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