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ご飯を一緒に食べましょう。



「ちょっと、アキ! あんた、人に食事を作らせておいて遅いんじゃないの」


 みー先輩は腰に手を当てて、口をとがらせるという、今どき女子高校生ですらやらないようなしぐさをした。いい歳したガタイの良い男がやるのだ、破壊力は抜群である。これで俺よりも二つ年上だと思うと、まぁ、控えめに言っても、正直やめてほしい。こういうことを普通にやっちゃうところが先輩らしいと言えば、そうなのだが。

「そんな事ないですよ、買い物もしてきてるんですし。この時間なら上々じゃないですか」

「本当に減らず口ねぇ」

 先輩はこれ見よがしにため息を吐いた。今日はよくため息を吐かれる日であるらしい。普段通りにふるまっているはずなので、もしかすると、俺の知らないところで常日頃からため息を吐かれているのかもしれない。

 まぁ、いいから上がりなさいよ、とやわらかい口調で言われて、自分が玄関口に立ったままであることを思い出す。おじゃましまーす。

 みー先輩の家は一人暮らし用の1Kなので、廊下、兼キッチンみたいな造りだ。こんなに狭いキッチンでよく料理ができるものだ、と常々感心する。どう考えても自炊は難しい。少なくとも俺だったら諦める。

 そんな、あまり広いとは言いがたいキッチンで、絶賛料理中の先輩の後ろを通り抜けて部屋に入る。とりあえず、教科書やスマホ、その他もろもろの入ったトートバッグを床に放り出して、ごろり、とホットカーペットの上へと寝転がる。そろそろ季節的には薄い生地のカーペットか、御座に変えたほうがいいんじゃないだろうか。このままだとちょっとあったかすぎる。

 眠いのと、腹が減っているのとにダブルパンチされている俺は、そのままカーペットの上で丸まった。あわよくば出来上がるまでうとうとしていたい。そんなことはお見通しだ、といわんばかりのタイミングで、みー先輩から声がかかった。

「アキ、買ってきたチーズをちょうだいな。オムライスが出来上がらないわよ」

 はいはい、と二つ返事をしたら、生意気な後輩め、と言われた。寝転がったまま自分のトートバッグをたぐり寄せ、中からスーパーのビニール袋ごと引っ張り出す。それをつかんで、ずるずると這いつくばるような形で先輩の足元まで移動する。


「ちゃんと買ってきたんで、ほめてください」

「小学生じゃあるまいし、お使いくらいできて当然でしょうが」

「そんなことを言う先輩にはマカロンをあげません」

「え、お土産にマカロンがあるのかしら。うれしいわぁ」


 人の話聞けよ、といったら「飯を作らせておいて何を言っているんだか」といわれてしまった。返す言葉がない。再びずるずると芋虫のように移動して部屋に戻る。そしてカーペットの上にもう一度丸くなった。


「アキー、寝ないでよね。あんた一度寝るとぼんやりしっぱなしなんだから」

「でもおれ超ねむい」

「何を言っているのよ二十歳」

「もうすぐ二十一になるし……」

「そういうことを言っているのではないわよ」


あぁ、駄目だ。本当にうとうとしてきた。まぶたが閉じる。

 その次の瞬間、首筋につめたいものが当てられた。うぎゃ! とかいうちょっとありえないような叫び声をあげながら、俺は背筋をそらせた。見ると脇には、保冷剤を持ったみー先輩がとてもいい笑顔でしゃがんでいた。とてもやさしくない。ていうかいつの間にそばに来たんだ。忍者か。


「な、にするんですか!」

「ちょうどいい感じにねむくなる頃合いかと思って」


ひどい! という俺の叫びは無視されたまま、食事ができたから準備しなさい、と指示される。え、もうできたの?

顔をあげて机の上を見てみれば、俺のリクエストしたオムライスに、ポテトサラダ、それから様々な種類のチーズの盛合せが堂々と並んでいる。スープは玉ねぎとマッシュルームだろうか。俺の買ってきたミックスチーズは一体どこに使われているのだろうか。ぱっと見では全然わからない。まぁしかし、よくこんなに豪華な食事が作れるものだなぁと感心してしまう。また、先輩の盛り付けが上手で、野郎が二人で食べるにはもったいないくらいの素敵な見映えである。これなら、高級フランス料理店で出てきてもおかしくないだろう。否、オムライスがフランス料理なのかどうかは知らないが。そもそもフランス料理店に行ったことはない。つまり、先輩は本当にすごい人だ、というお話である。

 まぁ、先輩が料理に全力を尽くす理由がそれだけでないことも、俺は知っているのだけど。

 こんな突発的なリクエストにだって、手を抜かないでくれる。わがままをいっている自覚もあるのだけど、先輩くらいにしかこんなことも言えないので、許してほしいとも思う。それに、先輩は、本当に嫌だったとしたら全力で拒否してくれるだろうから、文句言いながらもわがままを聞いてくれているうちは、甘えていよう、と思っている。

 とりあえず、春姉と夏兄にはこんなわがままは絶対に言えない。俺はまだ死にたくない。あの二人にこんなことを言ったとしたら無事に生きているかも怪しいものである。

 みー先輩は、優しい。そしてそれが嫌味じゃないっていうんだから、またすごい話である。そしてその対象が俺だけでないというのもまた、わかりきった話で。先輩は、おそらく極度のお人よしなのだろう。夏兄とは真逆のタイプだ。あの人は自分しか信じていない節がある。これで、先輩と夏兄の友情が構成されているというのだから、世の中には謎が多いものである。おそらく、夏兄のことをみー先輩がうまくあしらっているのだろう、と俺は思っている。

 みー先輩は、のろのろ動く俺のことを急かしもしないで小さなローテーブルの反対側で俺が定位置につくのを待っている。

 「それではいただきますか」「わがまま聞いてくれてありがとうございました」「いえいえ」「いただきます」「めしあがれ」

 まずは自分のリクエストした、オムライスから口に運ぶことにする。半熟卵の、見た目からしてふわっふわなオムライスである。ケチャップでかいてあるハートマークは見なかったことにする。スプーンで崩してしまうのはもったいないような気もするのだけど、それよりも腹が減っている。スプーンでその綺麗な半球を崩すと、中から鮮やかな橙色のご飯が出てくる。すりおろしたにんじんをバターと一緒に炊いて作る〈にんじんごはん〉だそうな。個人的にはチキンライスより美味しいと思う。卵と一緒にスプーンにのせようとして、卵が糸を引いているのに気が付く。なるほど、卵にチーズが混ぜてあるらしい。細部までこだわりましたって感じがすごい。これは世の中の女の子がすごく喜ぶやつだな。

この人なんで、こんなにできる人なのに彼女いないんだろう。否、彼氏なのか? みー先輩の恋愛対象がどっちの性別に向いてるのか、俺は実は知らなかったりする。先輩だったら、どんな答えが返ってきても納得してしまいそうな気もする。そもそもこの人、美人だからなー。

……、とりあえず。いただきます。

……、……、あー、美味しい。俺に語彙がないのが非常に残念なぐらい美味しい。

「おーいしーい!」

それに先輩は、もちろんでしょ、というよう顔をした。くそぅ、悔しいけどめっちゃ美味しいんだよ……。ありきたりな表現だけど、ほっぺたが落ちそう。思わず空いている左手を頬にあてる。たぶん、いまおれ、すごくいい笑顔だっていう自信がある。小さいころからうれしそうに食べると言われ続けてきたが、美味しいものを食べている時に幸せ以外の感情が浮かばない。

「アキは本当に美味しそうに食べるから作り甲斐があるわね」

そういって先輩は苦笑した。俺の方こそ、そういってもらえるのなら、食べる側としてもありがたいことこの上ない。せっかく作ってもらうのだ、美味しそうに食べなかったら罰が当たる。胃袋をつかまれるっていうのはこういうことを言うのだと思う。


テーブルの上の食事を二人で平らげたので、お土産のマカロンを先輩に差し出して、俺は食器を下げにかかる。こんなにうまい食事を用意していただいているのだ、片付けくらいはしないと罰が当たる。

最初の頃は、それでも片付けまで自分でやるとみー先輩は主張したのだが、それを俺が頑なに突っぱねたので、最近はみー先輩も「いつも悪いわね」の一言で済ませるようになった。

俺の方も最近は食器のしまう場所も覚えてきたのでそんなには時間もかからないで済むようになってきた。ついでに電気ケトルでお湯を沸かす。勝手知ったる人の家、二人分のインスタントコーヒーを準備して持っていく。

四つ入りのマカロンはまだすべて残っていた。片付けといっても十分程度しか経ってはいないが、しかし、マカロンなんて小さなお菓子、食べるには十分な時間のはずだ。

「全部先輩のなんですから、食べててよかったのに」

「せっかくアキが買って来てくれたと思うと、どれから食べようか迷っちゃて、なんとなく手が付けられななかったのよ」と先輩は返したが、そんなのは虚言だ。この人は誰かがいないと《食べる》という行為ができないということを、長い付き合いの中で知った。

曰く、一人でするのは《食事》ではなく《生命維持活動》なのだという。それを寂しがりだという言葉で一蹴することはできない。

この人がどれだけ《食べる》ということに重きを置いているのかを、俺は知っている。

「コーヒー、インスタントですけど。ドリップは面倒だったもので」

「ないよりはずっとましだわ」

ありがとう、という返事をもらいながら、床に腰を下ろす。

コンビニで買える、四つ入りのマカロン。ほかのお菓子やスイーツと比べれば確かに値は張るが、ワンコインで買えるものだ。生活に影響を及ぼすほどの高価なものではない。なくなってしまっても、また買えばいいのに、それをこんなにも喜ぶような人を俺は他に知らない。

人の行為を好意として受け取れるすごい人だと、俺はいつも感心してしまう。俺の姉兄にはない、この人だからこそできる、素敵なことだ。そもそも、春姉と夏兄はちょっと次元が違う人たちなので、俺と同じくくりで話をする方が間違いのような気すらするが。俺は、あの二人の影に隠れて生きてきた。自分から表舞台に出ていくのは苦手なのだ。彼らの影を踏んで、目立たないようひっそりと生きていければいいのだと思っている。

だからだろうか、みー先輩と一緒にいると安心するのだ。

いまだどれから食べようかを考えている先輩を横目に、自分のトートバッグを手繰り寄せて、中から今日買ってきた漫画を引っ張り出す。青いビニール袋に入ったそれは、見る人が見ればどこで買ったのか一目瞭然である。

「漫画、今日は何冊買ったの?」

「三冊です。半年以上待った連載物の単行本と、好きな作家さんの漫画。どうしてもフリぺがほしかったので、学校行く前に買ってきちゃいました」

ふうん、という返事。聞いてきた割には興味が無いようだった。否、本当に興味がないのである。オネエではあるけれども、先輩自身はこの手の漫画小説を手に取らない。ずいぶん前に一度だけ、読んでみますかと聞いたことがある。それを先輩はやんわりと、だけどはっきりとした意志で断った。

確かそのとき、彼はこういった。

自分にも、もしかしたらこんな恋愛ができるんじゃないかって思ってしまうのが怖い、と。

それに俺は何も返すことができなかった。

返せるわけがなかった。

だって、俺は現実を知らないから。

これは全部フィクションだって知ってるし、自分の身には起こり得ないことだということもどこかで理解している。二次元であるから、本当じゃないから、自分じゃないから。自分は男が好きなわけでなはいことも知っている。

先輩に好きな人がいるのは知っている。それもずいぶん前からだ。けれど、先輩はその人のことをあきらめているようだった。直接聞いたわけではないけれど、そんな気がする。夏兄から少しかじり聞いた程度なので、そもそもその相手が女性なのか男性なのかも知らないのだけれど、先輩は今のままでいいと思っているようだった。俺にはそういった話を全然してくれない。弱っているところを見られるのを良しとしていない。

こういう時は夏兄がすごくうらやましいと思う。同い年だったなら、もしかしたら俺だって彼の力になることができたのかもしれない、と思わざるを得ない。

……、今更何を言ったところで何も変わらないことはよくわかっている。

そんなことは今に始まったことではない。とっくにわかり切っていたことだ。

今になってくよくよ考えたところで事態は進展しないのである。

誰にだって言いたくないことの一つや二つくらいあるだろう。いつか俺にも話をしてくれたらうれしいなあ、と思うにとどめて、俺は今日買ってきた漫画のビニールを外しにかかる。

「ここで読み始めるのはいいけれど、あんた何時に帰るつもりなのよ」と、マカロンをほおばりながらみー先輩が言う。ピンク色から手を付けたようだった。

「えー、先輩が呼び出したんだから泊めてくれるんじゃないの」

「……、そういうとは思っていたけれど、まったく。図々しくなったものね」

はあ、とこれ見よがしに息をつくと、先に風呂に入るからねと先輩は腰を上げた。家主の了承を得たところで俺は手元の漫画に意識を戻す。

みー先輩はそんなに長湯はしてこない。出てくるまでにざっと三冊に目を通すことはおそらく可能だろう。先輩の家にきてまで漫画が読みたかったのか、と言われたらそういう訳でもない。単に、手持ち無沙汰だっただけだ。気になったものは家に帰ったら読み直せばよいのである。どうせ家にいても、自室に引きこもるだけなのである。「そのまま寝たりしないでよね」という先輩の声が脱衣所から聞こえてきた。はーい、と返事をしたものの、ごろりと横になり、漫画を床にほっぽりだした。

今晩はきっと豪華な夕飯だったに違いない。なぜなら、今日は春姉が家に帰ってくることになっていた。旦那さんが出張だと聞いている。そんな家の中にいられるわけがなかった。どう考えても無理だ。

姉兄のことが嫌いなわけでは決してない。嫌いなわけではないのだが、あの二人と並ぶ自分自身が耐えられない。それだけの話である。先輩の方から声をかけてきてくれたのは偶然だとは思うが、もしそうじゃなくても俺はここに来ていただろう。

出来が良くて、見た目もよくて、ほとんどのことをそつなくこなす春姉と夏兄に、俺がひどくコンプレックスを抱くようになったのはいったいいつからだろう。昔は、こんなことはなかったはずなのに、今はことあるごとに二人と比較されるような気がして怖い。

そしてその器の小ささに自己嫌悪を繰り返す。

小さくため息をついて、俺はゆっくり目を閉じた。





まだまだ続きます。

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