9、2週目 土曜日 <焼き鳥屋帰り>
がたんごとん、がたんごとん。
田舎だからこんなにのんびりな空気があるのかな。
都会の電車とかって「がたんごとん、がたんごとん」じゃないのかな。
電車は15分おき。
わたしにはこれ位の、のんびりした環境がちょうどいい。
って、違う。
おかしい。
電車に揺られながら考える。
どうしてこうなった。
車内は終電前だったからか閑散としていた。
アルコールが入っているので田舎の鈍行電車の一定のリズムがすこし気持ちいい。
いやいや、そうではなく。
なぜわたしは明日の夜までたろさんと会う事になったのだろう。
昼は用があると言ったらあのイケメンときたら。
「夜は空いてる?って聞いたらしつこい?」
くっ!
何その上級テクニック!
これだから手慣れた男前は!
向こう側の肘をついてこちらを見てくるあの目。
そんなに真っ直ぐ目を見てこないで欲しい。
おかげで舞い上がってしまったじゃないか。
たろさんと一緒に飲むのは楽しい。
それは間違いない。
たろさんの事は好きだと思う。
でもこれは、以前のたろさんに抱いていた「好き」とは違う気がする。
少しだけ、二十代の頃よりも、冷静に状況を見ようとするようになった。
明日の夜はわたしの密かな願望に付き合ってもらえる事になった。
気になっていたイベントが明日までで、タイミングが良かったせいもある。
でもそれは完全に言い訳なワケで、素直に正直に認めてしまえば━━
少し熱のこもった感のある、あの目に流された。
たろさんがあんな目をするのは、酔いのせいだろうに。
妙な期待は禁物。
期待するほど後でダメージが大きい。
この年になってそんなダメージを受けようものなら、立ち直るのに時間がかかるのは目に見えてるんだから。
電車に揺られながらため息をついた。
◆―――――――◆―――――――◆―――――――◆―――――――◆
昨夜は焼き鳥屋を出て、自分が乗るバス停も駅前にあるので自然な流れで駅まで一緒に歩いた。
店を出れば駅が見えるような距離なので、5分足らずで駅に着いてしまったが。
堀ちゃんの家は駅から5分程歩きだと言うので心配になって送ろうとしたが、さすがに断られた。
「もー、たろさん酔っ払い!」
小さい堀ちゃんが困ったような顔で、両手でグイグイ押してくる姿は可愛かった。
「一緒に飲んだ女の子、いつも家まで送ったりしないでしょー?」
━━確かに。今までそんな経験はないし、考えた事もない。
送り狼になる趣味はないし、堀ちゃんに対してそんな不埒な事を考えた訳でもない。
純粋に、心配だった。
二駅しか離れていないせいもあって、家まで送り届けたい気持ちになってしまった。
「アラサーですけど念のためライトと反射材と防犯ブザー持ってますから」
そう笑顔で会釈して電車で帰って行った堀ちゃん。
「今日はありがとうございました。失礼します」
最後にそう言って。
うん、礼儀正しい。
というか、ビジネスライクすぎるだろう。
後ろ髪をひかれない感が半端なかった。
ライトと反射材まで持参なんて暗い道なのかと聞けば「いいえ? 普通に街灯ありますけど防犯対策ですよ」なんてさらっと言っていた。
なんというか、相変わらずしっかりしている。
この隙の無さが、なかなか彼氏が出来ないという原因なのかもしれない。
もともと低くない好感度がさらに上がったのは、自分がこんな年になったからだと思う。
堀ちゃんと会うのは夜からなので、日曜は昼までの予定で休日出勤した。
昨日は定時退社は譲れなかった。
急ぎの最低限の物しか終わらせていないので、こうなると都合がいい。
週明けのためにも残りを片付けておくつもりだった。
そう言えば社員の鑑のようだが、何の事はない、夜まで時間を持て余す事が目に見えていたからだ。
「明日は友達とランチ行くんですよ。この間のブーケもらった片割れです」
昨夜、予定を聞けば堀ちゃんはなぜか慄き気味に言った。
1週間あればそりゃ予定入れるよな。
その可能性を完全に失念していた。
ランチなら、としつこいのは分かっていたが夜の予定を聞いた。
堀ちゃんが本当に嫌だったら「明日は用事があるんで」で済ませるものだろう、と勝手に判断して。
痛々しいくらい必死な気がして、少し自分が嫌になる。
昨夜を省みるうちに気がつけば精神的に張り詰めた状態だった事に気付く。
いい年して何やってんだか、だ。
休憩がてら息をついて周りを見渡せば、今日はいつもの日曜よりも出勤者が多いような気がする。
最近は少し落ち着いて、休日出勤は減っていたと思ったが。
「たろちゃん昨日飲み会? 定時ダッシュしてたよね?」
同級生の高田がデスクの横を通り過ぎる際、足を止めた。
どうしてこの会社の連中は定時で帰ると飲み会だと決めつけるのだろう。
「お前こそ休日出勤なんて珍しいな。忙しいのか?」
高田は、愛妻家で子煩悩だ。
子供が生まれてからは休日出勤は極力しない男なのだが。
「昼までで帰るって。もうすぐ出荷予定の機械が遅れてるから追い上げ。このままだとまた出荷後の調整になるかも」
あー、やだやだ。
高田は心底嫌そうに言った。
「他の納期とかぶったら、たろちゃんも出張になるかもね」
それは困る。
「死ぬ気で間に合わせろ」
高田はぽかんとした。
「どしたの、たろちゃん」
この男には聞きたい事も、言いたい事も山ほどある。
けれど堀ちゃんの話によると20代前半か少し後くらいの事で、自分だって覚えていないくらいだ。
こいつが10年も前の事を覚えているとは到底思えない。
それに今さらすぎる。
この年まで独り身だったのは、仕事の拘束時間が長いからで、出会いやら、恋人との時間が取れないせいだと思っていたし、社内には同世代の未婚者も多い。それは多い。
だからみんな同じような物だろうと決めつけていたし、他にも大勢いるからと安心していた部分があるけれど、自分に他に理由があったんじゃないかという可能性に気付いて動揺したりもしたが。
それも今さらで、確認のしようもない。
ただ同級生でもあるこの同僚に、ふと聞きたい事が一つ浮かんだ。
「なぁ、俺って酔ったら人の頭に手を置く癖あったか?」
高田は怪訝そうに顔をしかめた。
この男はこの会社で再会してから、一番よく飲んだ相手だ。
「いやー?そんなの見た事ないけど」
「だよな」
用は済んだ。
パソコンのディスプレイに視線を戻す。
「たろちゃん、もしかして昨日デート?」
「飲んだだけだ」
残念ながら。
会計もお互い譲歩に譲歩を重ねた結果、妥協して折半になった。
堀ちゃんはそれでも不満そうだったが。
俺の方が社会人歴も長いのだから気を遣わなくていいのに。
長女と言っていた。
そのせいもあるのか、堀ちゃんはかなり甘え下手な気がする。
「うっそ。最近たろちゃんそういうの全然ないから枯れちゃったのかと思ってた。そりゃ出張行ってる場合じゃないか。よっし、俺、たろちゃんの為に頑張るわー」
高田は妙にやる気が出たらしく、自分のデスクに帰って行った。
俺が出張しなくて済むよう、罪滅ぼし代わりにしっかり働いてくれ。
今夜は堀ちゃんと「観光客ごっこ」の約束を取り付けている。
夜なので食事して映画かドライブか━━今一つしっくりこない気がする、などと考えていたら堀ちゃんは「良かったらでいいんですけど」となぜかものすごく言い辛そうに提案してくれた。
地元の温泉街で提灯見物と足湯。
さすがに九州ほどではないが、市内に小さな温泉街がある。車で30分もかからない。
規模は小さいが、時々テレビでも取り上げられるような由緒あるものだ。
年末などはプロジェクションマッピングなど大々的にイベントをして、市民の間では話題になったが、今はアート系の提灯が周辺一帯で見られるというマイナーイベント中で、今日が最終日らしい。
「たろさんはよく県外に行かれるから、お土産物屋さんとかもう見飽きてるとは思うんですけど観光客ごっこやってみたいんですよね」
なんというか、これまでにない斬新な企画だった。
さすがは堀ちゃんだ。
予想のはるか圏外を行く。