16、3週目 日曜日 <終了宣言>
キッチンに立てばたろさんに「米、とごうか?」と声を掛けられて笑ってしまった。
「座っててください」
メインが貧相なのでご飯は炊き込みご飯で誤魔化したい。
炊き込みご飯が嫌いではないか一応確認し、基本的に雑なのでお湯で戻した乾燥ひじきと人参とツナ缶をお米の上に乗せて炊飯器のスイッチを押した。
野菜室の土付きゴボウを10cmほど折って斜めに薄く切る。
大根を多めに切って、ゴボウと一緒に片手鍋に水と顆粒だしと投入。
冷凍庫から出したしめじ・たまねぎ・油揚げを凍ったままこれまた投入してお味噌汁にする。
半分残しておいた大根に大葉ドレッシングを掛け、浅漬けかサラダかよく分からない物にする。
昨日作ったきんぴらと、これまた冷凍庫から出した豚バラとネギでトンペイ焼きを作った。
卵と乾燥ひじきは我が家の常備品目である。
お味噌汁には、最近ハマっている「お椀に入れてから味噌汁を入れたらOK!」が売り文句の乾燥わかめや海藻・お麩が入った市販の味噌汁の具を入れたら完成。
これを入れると普通のお味噌汁がすごくおいしくなる気がして、普段1袋以上買い置きはしないのにこれだけは2袋買ってある。
よし、なんとか一汁三菜!
なんだこれ、お礼にもならないよ。
たろさんは喜んでくれたけど。
ご飯おかりしてくれたけど。
男物の茶わんと箸を出す時には「弟のですけど」と予め申告した。
県外に就職した弟は帰ってくるとうちでもご飯を食べるので、食器があるのだ。
片付けはたろさんを送ってからにしようと思っていたが、たろさんが手伝ってくれた。
固辞したにもかかわらず。
「たろさんはお手伝いしたがりですねぇ。今までに言われた事あるんですか?」
あ、固まった。
「同棲してたとか?」
にやにやと言ってちらりと見上げれば、たろさんは困惑したような顔でこちらをチラリと見た。
「同棲はしてないけど、まぁ、手伝えとは言われたね。お互い仕事してるんだから、って」
「新婚の友達もよく言ってます。こっちは仕事して帰って座らずに夕飯作ってるのに、旦那さんがマンガ読んでるのを見て切れたとか」
『座ってるだけで腹が立つ』
それはもう憎々し気に言っていた。
甘い新婚のはずが、共働きならそうなるのか、と勉強になったもんだ。
「それでそんなに甲斐甲斐しいんですねぇ」
笑うと、たろさんがなんだか傷ついたような顔をしてこちらを見ていた。
「あぁ、残念ながら、わたしそういうの気にならない人なんですよ。以前に相手がいて当然の年齢じゃないですか。人生いろいろあるでしょうし。そりゃ実害があればそんな事は言ってられませんけど」
逆にこの年で前カノがいない方がよっぽど気になるかもしれない。
もっとも飲みのネタとしてのたろさんの過去ネタを聞き出そうとしたわたしが言っても、信ぴょう性がないかもしれないけど。
「さすが、男前だね。でも俺は気になっちゃうんだよね。指輪の相手とか」
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堀ちゃんは首をかしげてしばらく考え込み、手を打つ勢いで「ああ!」と思い当たったように笑った。
指輪をつけ始めた後すぐに退職したので、年のいった社員はみな結婚退職だと思い込んでいた。
彼女と仲のいい人間は「ストレスで転職」というのを知っていたらしいが。
「付き合ってすぐのバレンタインにチョコレートあげたら次の週末にホワイトデーだと言ってペアリング買いに連れて行かれたんですよ。言われるまま左の薬指につけてましたけど。会社にもして行ってたんですよねぇ。はー、あの頃は若かった」
男ばかりの会社に勤める彼女に、指輪をつけさせたかった男の気持ちは理解できた。
「えーと」
「単なるペアリングってやつです。結婚は考えませんでした。普通は考えるのかもしれないけど、あの頃はあんまり結婚願望なかったんですよねー。じっくりちゃんと付き合って見極めて結婚したいと思ってて、2年付き合って、2年同棲して大丈夫なら結婚とか考えてましたけど、2年しか続かなかったんですよ」
堀ちゃんは聞きたい事を先読みして答えてくれた。
「月に2,3回会えればいいわたしが、週に4日会いたがる人と2年もったのが今となっては不思議でしょうがないくらいです。もう10年近く前の話ですよ。こっわ! あ、ありがとうございました」
ちょうど食器洗いが終わった。
「この家に入った男の人は弟以外ではたろさんが初めてですよ」
ポツリと聞こえて、思わず頭一つ分下にある堀ちゃんの目を見れば、照れたように視線を躱された。
堀ちゃんの車を運転して帰路に就く。
助手席に座った堀ちゃんが前を向いたまま口を開いた。
「たろさんー」
「ん?」
冷静を装って答えたが、思いっきり動揺した。
え、今のなんか甘えた感じじゃなかった?
「この間のってまだ有効ですかね?」
何が、と思えば堀ちゃんは首をかしげるようにこちらを見てから、前方に視線を戻した。
「交際を前提としたおつきあい期間を終了してもよろしいでしょうか」
一瞬、意味を考える。
「えと、よろしくお願いします、で合ってる?」
ふふ、と堀ちゃんは笑って「こちらこそよろしくお願いします」と言った。
嬉しそうにはにかむ様子に心臓をわしづかみにされた気がした。
運転している状況をこれほどもどかしいと思った事はない。
こっちからまた言うべきか、でもタイミングが全く分からないと思っていたから、言ってくれたのはすごい嬉しい。
嬉しいけど。
嬉しくて、ついそのまま帰してしまったけど。
これは完全に俺の自己都合で、我が儘だという自覚はあるのだけれども。
言ってもらっておいて自分勝手だとは思うけど。
堀ちゃん、もう少し早く言ってくれたら。
せめて部屋を出る前に言ってくれたら抱きしめる位は出来たのに。
実家の前で万が一、家人に見られた場合、堀ちゃんの評価が下がる事を考えるとうかつな事も出来ず、握手のように手をつなぐだけで別れる事になってしまう。
それだけでも堀ちゃんは照れたように笑った。
あの小さな肩を抱きしめたかった。
とは思うものの、すぐに口元が緩む。
その晩はずっとそんな調子だった。




