地底から来た男
バー『オペラ』は、池袋駅から歩いて住宅街の路地に入りかけたところにある。
週末のせいか、いつもより混んでいた。私は空いているスツールに腰掛けた。店内はワーグナーの「ワルキューレ」が流れている。
ボトルキープしてあるウイスキーをバーテンに頼んでハイボールにしてもらう。
「お兄さん。それ、うまいかい?」
一口飲むと、隣のスツールに腰掛けた小太りの中年男がからんでくる。
褪せた緑色のウインドブレーカーを赤いTシャツに羽織り、膝の擦りむけたジーンズを履いている。右手にはチューハイのジョッキ。ずいぶん飲んだのか、顔は真っ赤で、薄い髪の頭頂部まで赤い。
住宅街とは言え、池袋だ。会社帰りのサラリーマンが多く、スーツ姿の客が多い中で、中年男はやや浮いていた。
「お兄さん」中年男が言った。「信じないかもしれないけど、実はおれ、地底人なんだ」
「ちょっと、上田さん」バーテンが言った。「知らないお客さんに、からんじゃだめでしょう。酔いが回ってますよ」
上田と呼ばれた男は常連客のようだ。酔うと他人にからむ癖があるらしい。
私も常連客のつもりだが、バーテンにはまだ顔を覚えられていないようだ。
私はバーテンにマティーニを注文する。
「本当だよ。おれは地底人なんだ。あんただったら、おれの話聞いてくれるんじゃないかと思って、話してみたんだ。おれは顔を見ただけでその人がどんな人かわかる。あんたは頭のいい人だ。だからおれの話が本当だってことがわかるはずだ」
上田は長々と語り始めた。
地球空洞説って聞いたことがあるかな?
実は地球の中は空洞で、地表と同じような世界が広がっている。
地底には複数の人工太陽があって、陸や海や河川もある。人間も動植物もそこで暮らしている。
地球自体が巨大な人工の宇宙船だと言ったら信じるかな。
地球は地軸を中心に一日一回自転し、一年に一回、太陽の周りを公転する。これは実は自然現象ではないんだ。南極エンジンという駆動装置が地軸に埋め込まれ、エンジンを動かして自転や公転をしているわけだ。エンジンを停止したら地球は自転も公転もしなくなる。
南極エンジンは超古代文明時代に建設されたらしい。アトランティス文明って聞いたことあるだろう。紀元前に今の地表の世界よりも発達した文明があったんだ。
地底には現在、三千万人程度の人間が生活している。地表の人間とそっくりで区別がつかない。五十ヶ国ぐらいの独立国があり、白人、黒人、黄色人種など様々な人種がいる。これも地表と同じだ。しゃべっている言語も様々だが英語をしゃべっている人が多いかな。その他、スペイン語、中国語、アラビア語、フランス語・・・・。地底人にしかない言語や地底人にはない言語もあるようだが、ほとんどは地表で使われている言語をしゃべっている。
南極エンジン評議会というのがあって、これが地表の国連のような組織なんだ。いや、それ以上かもな。もともと南極エンジンを管理運営するための国際的組織だったんだが、そのうちに地底の独立国に対して絶対的な権力を持つようになった。そればかりが地表の各国政府をも支配しているらしい。地底でも地表でも政治家はすべて評議会の傀儡でしかないんだ。
ここ三百年間に起きた大きな戦争は、すべて評議会が各国政府を動かして意図的に起こしたものなんだ。世の中の大手マスコミを支配している彼らは、真相を一般庶民には知らせない。
また地震、台風、津波、洪水などの天災も彼らは人工的に引き起こす技術を持っている。ここ最近、地表で起きた大きな天災は、ほとんどが彼らの仕業なんだ。
戦争や天災を起こして多くの民衆を殺害するのは、表向きには地球の生態系を維持するための人口削減ということになっている。人口が増えすぎると食物連鎖の体系がおかしくなるからだ。ところが実際、殺されているのはアジア人やアフリカ人が大多数だ。これは有色人種が増えすぎると白色人種の支配構造があやうくなるからではないか、とおれは個人的に推測している。
評議会のメンバーは全員、白人だ。彼らが地球的”間引き”を実施する際、必ず人種差別思想があると、おれは思う。
地表の人間は一パーセントのエリートしか、地底人の存在を知らされていない。
ところでUFOを知ってるだろう。空飛ぶ円盤だ。あれは宇宙人の乗物ということになっているらしいが、地底人の乗物なんだ。昔から地底人には重力をコントロールする技術があって、ああいう乗物を開発したんだ。
ところでおれは何者かって?おれはトコヨという国の住人だ。古来から富士山の樹海に地底に続く洞窟があって、トコヨと日本は交易していたようだ。だがトコヨの存在は一部の支配階級だけの秘密だったらしい。
トコヨはちょうど日本の真下に位置する人口十万人の都市国家だ。トコヨ人は日本人と同じ黄色人種で日本語の標準語をしゃべる。というかトコヨ語をまねて標準語にしたらしい。
数年前、地下鉄工事の際、池袋の近くにトコヨまで通じるトンネルを建設した。おれは物流業者で地底の鉱物資源をトラックで地表まで運ぶのが仕事なんだ。
役人たちからは地表人に地底人の存在を絶対しゃべるなと口止めされてるが、酒が入るといろんなことしゃべりたくなるわな。
バーテンがマティーニを注いだカクテルグラスをテーブルに置く。私はスーツの胸ポケットから出した錠剤をこっそりカクテルグラスに落とす。
「これ、おごりますよ。おもしろい話を聞かせていただいたお礼です」
私は上田にカクテルグラスを手渡す。上田は一気に飲み干す。
「ところでこの話、他の人にもしましたか」
「いいや、最後まで聞いてくれたのは、あんたがはじめてだよ。あんたが・・・・」
上田は不意に顔をテーブルにうずめて動かなくなる。傍目には酔いが回って寝たように見える。
私は上田の腕を握り、脈を確認する。死んでいた。
バーテンに上田の分まで払って『オペラ』を後にする。
路地をいくつも曲がると、人影は全くなくなった。
私はスマートホンを内ポケットから取り出し、本部に電話する。
「コードB854。任務完了。これより帰還します」
銀色の巨大な円盤が頭上に現れるまで三秒もかからなかった。
円盤の底面から青白い反重力ビームが放射され、私の全身を包む。体が浮き上がり、円盤に吸い込まれる。
円盤は人知れず西の空へ飛び、溶けるように夜のとばりに消えた。
(完)