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悪魔サイト

 いつものように森沢君は喫茶『珈琲塾』の奥のテーブルを陣取り、ノートPCのキーボードを叩きながら、金魚鉢入りのアイスティーをすすっていた。

 越谷の喫茶店では、なぜかアイスティーが特大サイズで提供される。

 アーリーアメリカン風のインテリアに囲まれた日当たりのいいログハウスだった。客がまばらなのも手伝って、だだっ広い落ち着いた空間がそこにあった。

 後から来たぼくは、森沢君に挨拶して向かいの席に腰掛けた。

 三日前、大学時代の友人、森沢君から突然メールがあり、面白い話があるから今度の週末に会いたい、とのことだった。

「実はこのサイト、ちょっと見てもらいたいんだ」

 森沢君がノートPCのディスプレイをこちらに向ける。ノートPCはWiFiでネットに接続している。店内はWiFiスポットになっていた。

 赤い画面に黒い線で奇妙な模様が描かれている。五芒星が円に囲まれ、見たことのない文字が線で分割された空間に書き込まれている。

「これ、何だかわかる?魔法陣だよ」

「魔法陣?」

「悪魔を召喚するサイトなんだ」

「えっ?」

 森沢君の話はこうだった。

 これは英語サイトで、世界中から一日数百万のアクセスがあるという。

 そしてこのサイトにアクセスして悪魔を召喚した人が、なぜか軒並み急死しているらしい。

 そんな都市伝説が、少なくとも森沢君のSNS友達の間では最近盛り上がっている。森沢君は英語が堪能でSNS友達の半分以上は外国人だった。

「お決まりですか」

 黒いエプロンを着た若い女性が水入りグラスを置く。

 エプロンには白抜きの『珈琲塾』のロゴを隠すように『鈴木』の名札が見える。

「じゃあ、そうだなあ、ブレンド」

「かしこまりました」

 ウエイトレスの鈴木は無愛想にきびすを返すと厨房へ急ぐ。

「それって、このサイトの運営会社のステマじゃないか」ぼくが言う。「怖がらせてアクセス数を増やそうっていう魂胆だろう」

「それは違う。これは商用サイトじゃないよ。無料で利用できるんだ」

「だったらサイトに広告載せてるんじゃないか」

「見ての通り、広告なんかサイトのどこにもないよ」

 ぼくはマウスを動かして、あれこれ操作してみる。英語なのでよく意味がわからない。

 そのうちに『are you sure?』と書かれたメッセージボックスが出力される。

「それ押すなよ」森沢君が立ち上がりながら叫ぶ。「悪魔召喚しちゃうよ」

 だが森沢君の忠告より一瞬早く、ぼくはOKボタンをクリックしていた。

 ディスプレイは赤、緑、青の三原色が渦巻き模様を作り、高速で回転する。

 それを見てぼくは抗いがたい睡魔に襲われる・・・・。



「起きろ」低い男の声がする。「いつまで寝てるんだ」

 気がつくとウエイトレスの鈴木が側に佇んでいる。

 目の前の森沢君は椅子から立ち上がりかけた中途半端な姿勢で静止している。何かを訴えているように厳しい表情で口は開けたまま、右手をこちらに伸ばしている。

 隣の客は傾けたビールジョッキを口につけたまま動かない。ジョッキの中の液体も、宙に止まったまま下方に流れようとしない。

 厨房では黒いエプロンを着た中年女性のマスターがフライパンで卵焼きをひっくり返すところだった。卵焼きが縮こまって宙に浮いている。

 店内の壁掛け時計は秒針が止まっている。

 時間が停止しているのだ。

「きょろきょろするな」鈴木が言う。「今、動けるのはおれとおまえだけだ」

 若い女の口から男の声が発せられるのは、それだけで悪魔的だった。

「君は一体・・・だれ?」

「わからないのか。おまえが今呼び出した悪魔だ。厳密に言えば悪魔の魂がこの女の体に憑依した。おれの本体は魂だけだ」

 鈴木は二枚の書類をテーブルに置く。書類は見たこともない奇妙な横文字で何か綴られている。

「こいつが契約書だ。日本語に翻訳するとこう書いてある。当該悪魔は契約者のいかなる望みも三回かなえなくてはならない。契約者が亡くなったとき、その魂は当該悪魔の所有となる。契約開始時から三年間は当該悪魔は契約者を故意または過失で殺害してはならない」

「三年過ぎたら悪魔は契約者を殺しにやってくるということなの?」

「まあ、そういうことだ」

「だったら、契約したら残りの寿命は三年しかないということでしょう?そんなの嫌だよ」

 突然、鈴木は蛇のように「シュー」と叫ぶと、口を開いて牙をむき出し、ぼくの右の耳たぶに食らいつく。

「痛っ」

 ぼくは思わず耳を抑える。血が指につく。

「血の拇印で契約書二枚とも押印するんだ。早くしろ」

 鈴木はぼくの手を無理につかんで契約書に拇印を押させた。

「さて、おまえの三つの願いを聞こうか」

「冗談じゃないよ。勝手に力づくで契約させて。こんなの無効だよ」

「それは人間界の常識だ。悪魔界ではおまえの常識は通用しない」

「じゃあ、ぼくの三つの願いはこうだ。

 第一の願いは契約書の内容を変更すること。保証期間の延長だ。今後、三年間でなく、千年間、悪魔はぼくを殺さない。

 第二の願いは、悪魔が持つすべての魔力をぼくが使えるようにすること。

 第三の願いは、第一と第二の願いをかなえたら、即座に悪魔の君は自殺すること。

 これでどうかな」

「どの願いも却下だな。契約した後に契約内容の変更を望んだ人間なんてはじめてだ。普通は金とか女とか出世を願うものなんだが・・・・近頃の若者は頭がおかしくなったのかな・・・・。

 そうだな。提案だが、おまえの願いの二つ分を使って、保証期間を百年にするのはどうだ。百年間はおまえを殺さない。そのかわり、おまえは後一つしか願いをかなえられない」

「じゃあ、その条件でお願いするよ」

「第二の願いだが、人間のおまえに悪魔の魔力を与えるのは無理だ。ただし、おまえ自身が人間を捨てて悪魔になるんだったら、できないこともない」

「それでいい。悪魔になるよ」

 鈴木はハンディーターミナルのタッチパネルを叩く。

「手続きは完了した」



「起きろ」森沢君の声がする。「いつまで寝てんだ」

 気がつくと、ノートPCの前でうずくまっていた。

 『珈琲塾』はいつもの光景だった。時間は正常に流れている。

 今のは夢だったのか。

 右の耳たぶを触ってみる。痛くない。出血している感じはない。

 それから三十分ほど雑談した後で森沢君と別れ、越谷駅に急ぐ。

 荒川の土手の近くまで来ると、おれはおもむろに振り返る。

「店からつけてきてるのは」おれは言う。「最初から、わかってるんだ」

 ウエイトレスの鈴木が「シュー」と叫んで牙をむき出す。

「何がねらいだ。おれの命か」

 鈴木は獣のように飛びかかってくる。

 おれは素早く身をかわし、片手で鈴木の体を持ち上げ、ボールのように河原に投げる。仰向けに倒れた鈴木は、甲羅を返された亀のように手足をばたつかせる。

 おれは息を大きく吸い込み、口から炎を吐き出す。

 炎に包まれた鈴木の体はみるみる縮小し、やがて火が消え、小さな黒い炭が河原に残る。

 百年間、命はねらわない。そういう契約のはずだったが鈴木はおれを殺そうとした。人間だった頃の自分だったら理解できないだろうが、悪魔となった今では鈴木の行動がよくわかる。

 悪魔は最初から人間をだますために契約するのだ。

 だが、おれを悪魔にするという願いは鈴木は律儀にもかなえてくれたようだ。鈴木は自分の体に宿っていたそれよりも強大で、狡猾で、しかも残虐な悪魔の魂を召喚した。それが今、おれの体に宿っている。

 ふと背中がむずがゆくなる。

 黒い翼が背中から生え、Tシャツを破る。

 翼を激しく動かすと、体が宙に浮く。

 おれは空を目指して天高く舞い上がる。涼しい風が頬を叩く。

 視界に越谷市街や荒川が広がる。人間が小さな人形に見える。数人がおれに気づき、仲間に知らせて大騒ぎしている。スマホで写真やビデオを撮る者もいる。

 さらに上空に上ると建物や車がおもちゃに見える。街をこんな上空から俯瞰したのは、はじめてだった。

 人間の魂―それは悪魔になったおれの好物だ。人間の魂を見るとおれの胃袋は鳴り、口に唾液が充満する。

 人間と契約し、人間をだまし、人間の魂を貪りたい。

 おれは眼下に広がる街を見下ろしながら、獲物になりそうな人間を物色した。


                                   (完)



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