山本の講習(中編)
今日は講習二日目だ。
山本は昨晩、早めに母親に起こしてもらうお願いをしておいた。
講習に早く行きたかったのだ。
母親は山本がこんなにやる気になって驚いているようだったがそうじゃない。
山本は恋に落ちていた。
なにをしていても橘の事を考えてしまう。
食事中、ネット中、睡眠中……。
「俺は一体どうしちまったんだ……」
もちろん恋をするのは初めてじゃない。
幼稚園の頃は先生の事が好きだったし、小学校の頃も好きな人はいた。
でもこんなに頭から離れない事はなかった。
山本の頭の中にはいやらしい考えは一切ない。
……正直に言うと少しはあるが、それ以上に普通に話をしたいと思っている。
せめて隣の席で同じ時間を共有するだけでもいい。
ただそれだけで幸せなのだ。
山本が市役所に着くとまだ市役所は開いていなかった。
時間を見てみるとまだ朝の六時半だ。
「市役所の職員もまだ来てないだろうな……」
山本は時間を間違えたわけではない。
橘の事を考えるとジッとしていられなかったのだ。
もしかしたら早いだろうなとは思っていたがここまでとは。
山本は近所の漫画喫茶で時間を潰すことにした。
……気がつけば、目の前のパソコンの時間が十時になっていた。
どうやら眠ってしまっていたようだ。
それなりに怖い夢を見ていたようで額には大量の汗をかいている。
寝起きの頭が冷静になってきて初めて自分が遅刻している事に気づく。
すぐに会計を済ませて市役所に向かう。
寝過ごしたせいで予想したよりも料金がかかってしまった。
「店員の野郎起こせよ……」
山本はご立腹だ。
市役所に着くともちろん講習が始まっていた。
今この部屋に入ると目立ってしまうので山本は次の休憩まで喫煙所で時間を潰すことにした。
十人しかいないクラスで浮いてしまうのはいくらこの年でもキツイ。
山本はメンタルが弱いのだ。
喫煙所に行くとたけし達がいた。
それを見た山本はとっさに隠れてしまった。
別に隠れる必要なんかないのだが昔の記憶がフラッシュバックしてきたのだ。
「でもよ、山本が魔法使えるなんてマジビックリだぜ」
あいつはゆうやだ。
中学から悪かったヤツで山本もよくバカにされていた。
小学校の頃は山本にいいようにされていたからそれの仕返しもあるのかもしれないが、きっとこいつはそんな過去が無くても俺をバカにしていただろう。
ゆうやが高校を中退してからは全く見なかったがこいつもモンスターハンターになっていたのか。
モンスターハンターになる条件に高卒以上も追加してくれよと山本は心から願った。
「しかもたけしとパーティ組んでるって、マジウケるわ!」
あいつ俺をバカにしやがって……。
魔法さえ自由に使えたら……。
山本は自分の手を見るがとても綺麗な手をしていた。
「まぁでもあいつも結構頑張ってるぜ?」
た、たけし……。
俺を庇ってくれているのか……?
「魔法が使えたのは事実だしな」
たけし……。
山本の目には自然に涙が浮かんでくる。
さすがに世界を救おうと勇者を目指している人は違うなと尊敬さえしはじめた。
「でも俺は魔法が使えたって絶対あいつは嫌だわ」
ゆうやこの野郎!
お前は俺のことしか話題ねーのかよ!
山本は怒りながら泣いていた。
「もし山本が魔法使えなかったらどうしてた?」
まだ俺の話題かよ!
知らないところで俺大活躍じゃねーか!
「多分そのうちクビにしてたんじゃないかな?」
……え?た、たけし?
「さすがにレベルも上がらないしあれだったら一緒に連れていけないわ」
「あははは!そりゃそうだよな!」
あははと喫煙所から二人の笑い声が響く。
たけし……お前もか……。
山本はこの世界に自分しかいないようなひどい孤独を感じた。
どこへ向かうのかわからないが山本は走り出した。
「てかもう戻ろうぜ。トイレ行くにしては時間かかりすぎだろ……ん?」
たけしの目には走り去っていく人物が映った。
「あれは……山本か?」
「おいたけし!早く行こうぜ!」
「お、おう……」
ゆうやに急かされたけしは講習に戻った。
山本は当てもなく走っていたが職員に注意され足を止めた。
そのまま市役所内をふらふらしていると講習が終わったのかぞろぞろと人が出てきた。
山本はこの隙に紛れようと思ったが運悪く担当の職員に見つかってしまった。
「あ、山本さん。今日はどうしたんですか?」
とりあえず当たり障りのないことを言っておいた。
そして講習部屋に向かった。
「あ!山本さん!今日はどうしたんですか?」
自分の机に座ると橘が先程の職員とまったく同じ質問をしてきた。
山本は自分の心臓の鼓動が早くなっていくのを感じた。
「ち、ちょっと寝坊しちゃってね……」
うまく言葉がでてこない。
どうしても自分をよく見せようとしてしまう。
橘は意外とお寝坊さんですねと笑った。
ただそれだけで山本は喜びで心がいっぱいになった。
自分の事で橘が笑顔になってくれるならなんでもするぞと思っていると職員が来て講習が始まった。
昼休みになった。
今日は朝早かったので母親がお弁当作ってくれなかったから食堂に行くことにした。
なにを食べようかなと頭の中で色々考えていると橘が山本の前に現れた。
「山本さん今日は食堂なんですか?私もなんでせっかくだから一緒しません?」
山本の心は躍った。
いや、実際に踊りだしてもおかしくないくらい嬉しかった。
「ま、まぁ別にいいけど……」
軽い男みたいに、まじで?俺も橘と昼飯食いたかったんだよねーと言えたらどんなに楽か。
自分の性格が嫌になることは今までも多々あったしこれからもあるだろうがきっと今ほど嫌になる事はないんじゃないだろうか。
「よかったです!さ、行きましょう!」
しかしそんな自分でも橘は普通に接してくれている。
山本はもう橘に虜だった。
食堂に着くとすごい混雑していた。
橘はすぐさまオムライスを注文した。
しかし山本は優柔不断な為、中々決められずにいる。
「じゃあ先に席とっておきますね!」
橘はそういうと混雑の中をスルスルとすり抜けて行った。
「おい、山本!今の可愛い子は誰だよ?」
たけしが山本に声をかけてきた。
山本はさっきの事を思い出して一瞬ムッとした表情になるがすぐににやついてしまう。
「ごめん急いでるから」
山本はそう言って山菜蕎麦を注文して橘のもとに行く。
こういう時料理が出てくるのが早いのは助かる。
「山本さん!こっちこっち!」
山本が給水器で水を入れていると橘の声がした。
周りの男の視線が痛いシチュエーションだが今の山本はそれさえ気持ちいい。
橘が取っておいてくれた席に行くと水が用意してあった。
「あ、すみません。水が無駄になっちゃいましたね」
「喉が渇いてたから二杯飲みたかったんだ」
ベストな対応ができた事に心の中でガッツポーズをした。
橘が入れてくれたのなら俺は泥水だって飲むさ。
それからは何気ない話をしていたが、全て食べ終わったあたりで山本は橘の様子がおかしい事に気づく。
周りを気にしていたり、誰かを探しているような……。
「橘さん、なにかあったの?」
山本は聞いてみる事にした。
単純に気になった事も確かだが橘に頼られたかったのだ。
「……いえ、なんにもないですよ。さ、戻りましょうか!」
橘はそう言って笑った。
山本はそれ以上聞かなかった。
まだ自分は橘にとって相談されるほどの仲ではなかったのだ。
なに、まだ時間はあるさ!だってまだ二日目なんだから。
午後の講習は魔法の実技だった。
一人一人自分の魔法の特徴について自己紹介するらしい。
雷魔法やら氷魔法やらいろいろあるもんだなと山本が感心していると橘の番になった。
「私は回復魔法が使えます。小さい頃から回復魔法が使えたのでこの力を人を守るために使いたいと思いました。まだまだ回復量は少ないんですけどね」
聞いたことがある。
世界にはどんなに瀕死な状態からでも回復させることが出来る魔法使いがいるという。
てか回復魔法って今時の若者の使いたい魔法ランキング一位だぞ。
回復魔法が使えればどこの国の病院でも重宝されるはずだ。
そんな魔法が使えれば俺だって無職にはならなかっただろうなぁ。
山本が頭の中で色々考えていると自分の番が回ってきた。
「お、俺は炎魔法が使えます!なんか手から炎がぶわってでます!俺もこの力を人を守るために使いたいです!」
……どうやら乗り切ったようだ。
ほぼ橘の言葉から拝借したがなんとかなった。
何年も無職をしているとこういう大勢の人の前で話すことが苦手になる。
昔から得意だったわけではないが……。
「では実際に魔法を使ってみましょう。十分後に町の外に来てください」
職員はそういって部屋を出て行った。
「山本さん!頑張りましょうね!」
「う、うん……」
山本はこの後の事を考えると吐きそうになるぐらい不安だった。