5!
部屋の中には、中央に円卓が置かれていてそれを囲むように九つ椅子が等間隔で置かれていた。それだけでこの部屋にいることのできる人数がわかるのはいいなと思った。
「あ、おかえりー」
「おかえりなさい。死んで無いようで何よりです」
円卓の席は二つが埋まっており、そこでは男性と少女が和やかに談笑していた。
少女は青みがかった黒髪を短く切っていて、ボーイッシュな雰囲気を醸し出している。その髪のてっぺんの辺りからアホ毛が一本出ているのはご愛嬌だろう。服装はどこの物かわからない学校の青いブレザーを着ている。彼女が浮かべている人付きのする笑みはある種の武器になりえるだろうなと思う。
男性のほうはスーツに身を包んで、黒縁の眼鏡をかけている。髪はオールバックにしていて手には手袋をはめている。一度でいいからスーツではなく執事服を着させてセバスチャンと呼んでやりたい。特に深い意味はない。男性の見た目は若いのに、その仕草などからは成熟した男の匂いがした。
「一之江に二藤か。こんなところで何やってんだ?」
「何? 私たちがここにいちゃ悪いっていうの?」
九の言葉に女は頬をふくらませる。その姿が少し狙っている感じがしたが、それでも十二分に愛らしかった。
「そういうこと言ってんじゃなくてさ。お前ら今週は来ないって言ってないっけ?」
「はい。そのつもりだったのですが……。小鳥が急に『リュウが返ってくる気がする!』と言って飛び出して行ってしまって……」
「……お前本当にリュウのこと好きだな。それにしてもどの感覚器官でリュウのこと捜してんの? なんなの、そのアホ毛がレーダーにでもなってんの?」
九の発言には呆れが多分に含まれていたような気もしたが、女が反応したのはそれ以外のことだった。
少女は九にリュウのこと好き、と言われたあたりで顔をゆでだこのように真っ赤にして、噛み噛みながら否定してきた。
「ちちち違うし! べべべ別にリリリリュウのことなんて好きじゃないし! 全然だし! 本当だし! 笑うなし!」
その噛み噛みの姿を男性と九は生暖かい視線を向けながら苦笑して見守っている。
話の流れ的にはボクのことなのだろうけど……なんだが知らないがボクはこの娘には嫌われてしまっているらしい。記憶がないボクにとっては初対面に等しいのにその人に嫌われているというのは少し辛いな。
リュウは少し気落ちしてしまい、しょんぼりとしてしまった。
「あーあー、リュウが落ち込んじまってるぜ」
「え、リュウってこんなので落ち込むような人間だっけ? もっと泰然自若としてて大概のことをスルーしてたと思うんだけど」
「同感ですね。我らがリーダーとは思えない行動です」
少女も男も疑問を口にする。リュウはその口にした疑問から過去の自分というものを形作る。一人からだけ聞いたのでは情報に偏りが生まれてしまう。
今のリュウのような場合は、多角的な視点から見た情報を見なければ自分のことなどつかめそうにもない。
「それを今から説明しようと思っていたんだよ。端的に現状だけ伝えんなら、リュウは記憶無くしてるらしい」
「……は?」
「それは一大事ですね」
少女は口をあけてポカンと間抜けな面をさらしている。男は落ち着いた様子を少しも崩さずに声を漏らす。
話題に上がっているボクのことを二人ともじろじろとぶしつけな視線を送ってくるが、しょうがないことと思って甘んじて受け入れよう。
「どこも変わったようには見えないけど」
「外見から記憶喪失がわかったら世話ねぇな」
「リュ、リュウ。私のことわかる?」
少女は椅子から勢いよく立ち上がると、リュウのほうを見ながら問いかけてくる。
少女の目にはその言葉を否定されたくないという思いがありありと見えるが、ボクはその期待に応えることはできない。
「残念ながら」
「そんな……」
少女は希望を絶たれて力なく座った。その眼には光がなく、この世の終わりのような表情をしている。
そんな少女とは対照的に少女の隣に座る男は冷静に彼のことを観察している。その眼は一切の感情を排してボクのことを隅々まで観察している。心の中まで暴かれているような心持になる。
この世界のことをボクは全く知らないのでボクが知らないだけでこの世界には人の心を読む術があるのかもしれない。
リュウはそのことを危惧して表情から感情の色を抜く。そして、お返しとばかりに男のすべてを引き出すために男の全身に視線を這わせる。
男の挙動のすべてに気を張る。
じろじろと少しの間相手を観察していたが、男がリュウから視線を外したのでリュウも男を観察するのをやめる。ふぅ、疲れた。
「うん。自分を偽っている感じはしませんね。ですが、その本質までは変わっていなさそうで安心しました」
男はそうリュウのことを評した。一応、この男の目にはかなったらしい。
「それではご挨拶させていただきましょう。私は二藤 宰と申します。末席ではありますがこの《ナインヘッド》の幹部の一人をさせていただいております。担当は施設の管理ですかね? 以後お見知りおきを」
男、宰は立ち上がり丁寧な口調で挨拶してきた。
挨拶が終わると、とても丁寧な所作で宰は一礼してきた。その所作に押し付けられたような感じは一切なくとても自然な動きだった。
宰が頭をあげてこちらに微笑を向けている。
リュウはその丁寧な所作にのまれて何も反応できずにいたのだが宰は特に気分を害した様子もなく、一之江のほうに目をやった。
「小鳥は挨拶をしなくてもいいのですか?」
「何であんたはそんなに落ち着いていられるの? 今までリュウと積み上げてきた記憶が全部なくなっちゃったんだよ?」
「それが事実なら受け入れるしかないのではないですか? 私たちが否定したところでその事実が消えてなくなることはないのですし。ならばその事実を受け止めて折り合いをつけていくしかないと思いますよ」
「私はそんなに簡単に割り切れないよ!」
一之江は悲鳴にも似た声を上げる。
宰の言葉はもっともだし筋もとおっている。一之江だって馬鹿じゃないしそこまでの愚者じゃないから現実から目を背けるなんてことはしない。自分の予測の及ばない範囲で事象が起こることなんてこの世界に来た時から知っている。
だが、これはとてもではないが素直に受け入れろというほうが無理だ。そこまで一之江は理性的にはなれない。
そんな風に苦悩する一之江に宰は父性にあふれた温かいまなざしを向けた。そのまなざしは子供の成長を見守る父親の物だった。
「それならこう考えてみてはいかがでしょうか。人との出会いは一度しかないものです。たとえすれ違っただけだとしてもそれが出会いだと思えば出会いとなるでしょう。その出会いをもう一度できるというのは貴重な体験ではないですか?」
「でも……今まで積み上げてきたものは……」
「そんなものはもう一度積み上げればよろしい」
「そんな……無理だよ」
一之江は反抗しようとしたが、力なく肩を落とす。
その姿すらも愛おしげに微笑で見守りながら宰は続きの言葉を紡ぎだす。
「あなたは一度積み上げることができたのです。ならば、もう一度積み上げることができぬ道理はないでしょう? あなたには話せる口も、触れ合える四肢もあるのですから。日々に感動しながら生きましょう。きっとそのほうが世界は美しいですから」
日々に感動しながら生きろ。
それは宰の口癖だった。宰はその言葉を言うとき何かを懐かしむような遠い目をするのだ。宰はまだ若いのに老成していると言われる所以がそれだった。
一之江は宰の言葉から何かを感じたのか宰の言葉を深くかみしめ、反芻するように目を閉じている。
一之江が次に目を上げた時には花がほころぶような晴れやかな満面の笑みを顔に浮かべていた。その笑顔を見て宰と成り行きを見守っていた九は安堵したように目を細めた。悲しんでいる沈んだ表情など一之江には似合わない。それは《ナインヘッド》に所属する人間の総意だった。
一度咳払いすると一之江はリュウに目を向けた。
「私は一之江 小鳥。《ナインヘッド》の幹部の一人で担当は実働隊。記憶がないことは少し悲しいけど……これからもよろしくね!」
小鳥はもうリュウに記憶がないという事実を振り切ることができたのかその言葉に偽りはないように感じた。