40!
そんな声が体の奥から……いや、腰に佩いてある千鳥からはっきりと聞こえてきた。その声はリュウの行動を非難しているようだ。その声が聞こえてきたときから不思議なことにリュウの見ている世界が止まり、凍りついたように何者も動かない。
千鳥から伝わってくる野太い声はリュウが世界に驚いていることなど気にも留めずに話し続ける。
『よこせって言われてもな。俺もあいつも旦那の力ありきなんだぜ? 旦那が何もできないなら俺たちは旦那に力を渡すことはできない。だから、旦那自身で思い出してくれよ? と言ってもそんな必要はないと思うがな。何故なら、旦那は一度たりとも、何一つとして忘れてはいねぇんだからな!』
そう締めて声は途絶え、世界が動き出す。
マダム・スカーレットの歯がイリスの柔肌に突き刺さる直前。
リュウの体から紫電が漏れ出し、リュウを抑えている男たちが吹き飛ばされる。
「え……?」
「ふぅん。やっとかしらぁ?」
リュウは体中から紫電を周囲にまき散らしながら立ち上がる。
その紫電をまといながら悠然と立つ姿はさながら王の風格。
その姿はマダム・スカーレットの目から見ても記憶を失う前のリュウと全く遜色はなかった。
それどころか以前マダム・スカーレットが蹂躙された時よりも紫電の威力が増している気がする。
リュウは薄く紫電を帯び、瞳孔が紫に染まった目をマダム・スカーレットに向ける。
「……おい」
「な、なぁにぃ?」
リュウの聞いただけですべてを薙ぎ倒してしまいそうなほど重みのある言葉を聞いて、マダム・スカーレットも怯む。どもっているのが何よりの証拠だろう。
そのマダム・スカーレットにリュウは視線を浴びせる。
その視線にはさっきのような殺気は少しも宿っていなかった。
そこにあるのは強い意志。
自分の大事なものを傷つけたものには一切の容赦はしないと言う、強く硬い意思が宿っている。
「イリスから手ぇ離せや!」
リュウが言葉を荒げる。それに反応するようにリュウの体から溢れ出ている紫電も荒れ狂う。
その紫電はリュウの感情を直接あらわしているようだ。
「何で離さなければいけないのかしらぁ? あなたに従う義理なんて私にはないのだけれどぉ?」
マダム・スカーレットも平静を取り戻した。
いくらリュウがソロを取り戻して、以前より紫電の出力が上がっているとしても自分のソロには及ばない。その確信がマダム・スカーレットの心に落ち着きを取り戻させたのだ。
マダム・スカーレットのソロは自分が食したものを直接的なエネルギーに即時変換し、それを無尽蔵にため込むことができると言うもの。そして、そのエネルギーに形を与え、それを使って戦うと言うもの。
それ即ち、時間が経てば経つほどマダム・スカーレットのスタミナは増え続けると言うこと。
マダム・スカーレットの今持つエネルギーの総量は以前リュウと戦った時の実に五倍。
少しぐらいリュウのソロの出力が上がったとしてもマダム・スカーレットが負ける道理はなかった。
それに今のリュウは自分のソロを制御できていない。それもマダム・スカーレットに勝ちを確信させる要素の一つになった。
リュウのソロは自分のスタミナを直接的に紫電として体外に放出できると言うもの。
あれでは機械のバッテリーを常に浪費しているようなもの。あんな状態ではすぐにスタミナが切れてリュウは倒れるはずだ。
「今すぐに起きやがれ! 千鳥!」
リュウが叫びながら腰の千鳥を抜き放つ。
するとどうだろうか。リュウの体から漏れていた紫電の量が目に見えて増大した。
千鳥の刀身に掘られている稲妻の刻印が紫色の輝きを放っている。
『旦那。久しぶりだな』
千鳥を握っている右手を通じて懐かしい声がリュウの脳裏に直接響く。
その声は野太く、不思議と安心できる声だった。
「もっと早くこっちに教えてくれてもよかったんじゃないか?」
『それじゃ面白くねぇだろ? 自分で気づいてくれるって俺たちは信じてたんだぜ? そんなことより早くあいつを呼んでやれよ。今頃拗ねてるかもしれんぞ?』
「そうだな」
リュウはいちど千鳥との会話を打ち切る。
そして、頭の中にもう一本の相棒の姿を思い浮かべる。左拳を思いっきり開きながらリュウはもう一度叫ぶ。
「おめぇもいい加減暇なんだろ? 付き合え! 咲夜!」
リュウが叫びながら拳を強く握りこむ。
そこにはリュウがイリスに結婚指輪代わりと渡していた咲夜の姿があった。
咲夜が手元に現れてからまたリュウの放つ紫電の様相が変わった。
さっきまではただ荒れ狂うだけだった紫電が収まったのだ。だが、完全に消えたと言うわけではなく、千鳥と咲夜の刀身には薄く紫電が這っている。
その姿を見たマダム・スカーレットは一瞬驚いたような表情になるが、すぐに元のように艶然と微笑んでみせる。
二本の刀を持ち、その刀に紫電をまとわせながら悠然と立っているリュウの姿を見てマダム・スカーレットは昔を思い返していた。
あのマダム・スカーレットが手も足も出ずに蹂躙された日のことを。
『旦那様、お久しゅうございます』
咲夜からも柄を伝って懐かしい声が脳裏で再生される。
咲夜の声は千鳥とは対照的で涼やかな、鈴を鳴らしたような声だ。
「久しぶりだな、咲夜。変わりなかったか?」
『別段変わりはありませんが……旦那様があんな小娘にわたくしを預けたせいで寂しゅうございました』
『くはは。お前は女々しいな』
『女が女々しくて何が悪いの?』
『お前も旦那の愛刀を名乗るんだったらなぁ……』
『何が言いたいの? あなたこそ旦那様の愛刀を名乗るくせにその雑さ加減はどうなの? 旦那様のソロの出力を安定させるお手伝いをさせていただくのが私たちなのよ?』
『良いだろうが。俺は旦那の出力を高いところで安定させてるんだよ!』
「お前らも仲が良いようで何よりだよ」
リュウの頭の中で千鳥と咲夜が仲良く喧嘩を始めてしまった。
頭の中に直接声が響くと言うのは違和感があるが、ソロの使い方と共に少しだが記憶を取り戻したリュウには慣れたものだった。
「喧嘩は後にしてくれ。今はそれどころじゃない」
『おう! わかってるぜ旦那!』
『わかっておりますわ。旦那様』
頭の中で安心できるような声が二つ響く。
そう今は喧嘩なんてしている場合ではない。
リュウがソロの使い方を思い出したと言っても現状は何一つとして好転していない。
イリスはマダム・スカーレットの掌中にとらわれたままだし、リュウの体力もそれほど残ってはいない。
それでもやるしかないんだ。
リュウは改めてマダム・スカーレットは視線を向けた。
マダム・スカーレットはリュウが紫電を体から放出してからずっとこちらに油断ならない視線を向けている。
今はイリスを食べる気は無いようで近くにいた《鮮血の夜》であろう仮面をつけた男にイリスを抑えさせて、自分の後ろに控えさせている。
「今回の目標はイリスの無傷での奪還。異論は?」
『あるはずがないぜ旦那! 旦那がどんなことをするって言っても俺たちはそれを全力でサポートするだけだからな!』
『わたくしもですわ。旦那様の一番近くにて旦那様をサポートするのがわたくしたちの役目でございますれば、旦那様のなさることに口出しなどするはずがございません』
千鳥は豪快に、咲夜はしっとりとリュウの作戦に賛同してくれた。
この二人のサポートが受けられると言うのなら百人力。もう負ける気など毛頭ない。
「それじゃ、行きますか!」
リュウは掛け声とともに地面を踏みしめ、マダム・スカーレットに向けて駆け出した。




