26!
ゆっくりと音と気配を殺しながら近づくと徐々に音がクリアに聞こえるようになってきた。
「あなたも馬鹿よねぇ。あんな子放っておけばよかったのにぃ」
「……死ね」
聞こえてきたのは二人の声。片方は聞いたことがある。蟒蛇の声だ。もう一方の淫靡な色を含んだ妙に間延びした声。これがさっき話に聞いたマダム・スカーレットの声なのだろう。
身を隠しながら近づくと、やっと視認できる距離に入った。
木に身を隠しながら観察する。
蟒蛇は両手を《鮮血の夜》のメンバーと思われる男たちに取り押さえられている。男たちの顔には真っ赤な鉤爪で引っかかれたようなペイントが施された仮面がついている。あれが《鮮血の夜》のメンバーの証なのだろうか?
取り押さえている男以外にも同じような仮面をつけた人間が二十数名いる。さすがに実力もわからない相手が多数いるところに飛び込むのはリスキーすぎる。
抑えられている蟒蛇の目にはまだあきらめは浮かんでいない。少しでも押さえつける力が緩めば、すぐにでもマダム・スカーレットの首元にかみつきそうだ。
「一つ教えてほしいのだけれどぉ、なぜあんな女を助けたのぉ? あなたのほうがきっと有用でしょぅ?」
「……敵に……教える……情報は……持ち合わせて……いない」
「そ、ならいいわぁ。情報を吐けば少しは楽に食べてあげたのにぃ。子供たちぃ、この子を解体して差し上げてぇ」
「わかりましたママ」
そういうと押さえている男たちとは違うところから見ていた男が近寄ってきた。
その男の手にあるのは……大きい包丁? そんなものを何に使うと言うのだろうか?
その包丁を見た蟒蛇の表情に恐怖が走った。その表情を見たマダム・スカーレットは喜悦に染まりきった笑顔になる。
「いいわぁ、その表情ぉ。あなたの恐怖と悲鳴が最高のスパイスになるのよねぇ」
蟒蛇は顔を地面に付けられ、左腕がのばされる。
その腕に向けて包丁が振りかぶられる。まさか……
ズドン!
そんな音が聞こえた。
そして、一瞬遅れた後の大きな悲鳴。その悲鳴はあの寡黙な蟒蛇の口から発せられたものだった。蟒蛇の悲鳴は声とも呼べないようなものだ。ただの獣の慟哭。痛みを忘れるための悲鳴だ。
蟒蛇の左腕は肩から離れていた。
マダム・スカーレットはその悲鳴を聞きながらうっとりとした表情で蟒蛇の腕を手に取り、血の滴る断面に口をつける。
「あぁ……やっぱり人肉が一番美味しいわぁ。これ以上の美食はこの世には存在しないわよねぇ」
それを見ていたリュウは震える声で宰に聞く。
「……あ、あの女は何してるんだ?」
「あぁ、言ってませんでしたね。《鮮血の夜》のリーダー、マダム・スカーレットは人の肉を食すのです。人と言うのは雑食種なので不味いはずなのですけれどね」
宰の声はただ事実を伝えるだけと言った雰囲気で淡々としている。その声からは少しの感情も読み取れない。
恐る恐る宰のほうを向いたリュウは愕然とした。
宰の顔にもマダム・スカーレットと同じ類の狂気に満ちた笑顔が浮かんでいた。
リュウは思考するよりも早く宰の胸ぐらをつかんでいた。
「なぜ笑っている?」
「おっと、これは失礼。私は笑っていましたか?」
そういう宰の顔からは一向に笑みは消えない。
この表情は『イリス』攻略戦のとき、《ナインヘッド》のメンバーに向けたのと全く同じものだった。
だが、今はこんなことをしている場合ではない。
宰から手を放すと蟒蛇に視線を向ける。
蟒蛇の口からはもう人間らしい声は聞こえず、白目をむいていた。
マダム・スカーレットは美味しそうに腕を一本平らげていた。
「本当にこの子は美味しいわねぇ。次はその足が食べたいわぁ」
「はい、ママ」
もうやらせてなるものか。
そう思った時にはリュウの足が動いていた。誰にも知覚できないような、人間離れしたスピードで包丁を持っている男に近づく。
「だ、誰……」
男がこちらを向いて何かを言おうとしているようにも聞こえたが、そんなこと気にしていられるか。
腰から千鳥を引き抜き、居合の一閃でその男の首を跳ね飛ばす。
その勢いを殺さずに蟒蛇を拘束している男たちに刀を振り下ろす。その二人の男は殺さずに蟒蛇を拘束している両腕を跳ね飛ばすにとどめる。
蟒蛇をかばうような位置に立つと、リュウは圧倒的な質量の殺意をマダム・スカーレットにぶつける。
それだけで数名は腰を抜かしてしまうが、マダム・スカーレットとそのそばにいる二名は、リュウの殺気をそよ風のように受け流した。他にもビビッてはいるが敵意を失っていない人間はそれなりにいる。
「……ボクの仲間が世話になったね」
そういうリュウはあたりに忙しなく視線を送っている。リュウが飛び込んで殺気を発した一瞬にすでに包囲されていた。
包囲網の人員は十ほど。リュウ一人ならば特に問題なく抜けるだろうが、蟒蛇と言う荷物がある今はその限りではない。
「私の食事の邪魔をしてくれたあなたはだぁれぇ?」
背筋の凍るような声でマダム・スカーレットが問いかけてくる。
だが、リュウはその言葉に恐怖を感じなかった。後ろに守るべき仲間がいると言うだけで、リュウはもう何者にも負ける気はなかった。
「……ふぅん。どこかで見た顔だと思ったら《ナインヘッド》の柳じゃなぃ。元気してたぁ?」
マダム・スカーレットはリュウのことを知っているらしい。ちょっと発音には違和感を覚えたがリュウと呼んだ。
たぶんマダム・スカーレットが知っているのは記憶を失う前のリュウなのだろう。今の記憶を失っているリュウとは別人だ。
リュウは包囲している人間の数だけ確認すると、もう包囲している人間には視線を向けない。
この場で警戒すべきはマダム・スカーレットとその周りにいる人間だけだ。そうリュウの体の中にいる何かが告げていた。




