第1話 鈴木明穂 ─大人とは─
教師とは、勉強や社会のルール、道徳を教え、成長へと導く職業。
生徒とは、学校に通い、教師から教育を受ける者。
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「うわぁ、鈴木先生、今年のクラスやばいですね。」
四月。へらへらと顔をゆがめたC組担当の先生に声をかけられ、机上のクラス名簿に視線を戻した。『3年B組』と書かれた文字の斜め下に、鈴木明穂、と自分の名前が記入されている。
「絵に書いたような問題児クラス。僕だったら絶対無理です。」
私だって願い下げだ、という言葉を飲み込む代わりに、笑顔を浮かべる。
「そうですねぇ。まぁ頑張ります。」
そこから会話が続くわけでもなく、彼は無駄に愛想のいい笑みを浮かべたまま立ち去った。
3年B組。問題児だけが集められたクラスの担任になったのは、平凡な教師だった。
立ち上がって、ふと窓の外を見る。桜が咲いた樹木が目に入った。すぐに散ってしまうのに、懸命に咲く花たち。あんな花のようになりたいと、そう最後に願ったのはいつだったか。
早く散りたいと、願い始めたのはいつだったか。
名簿を持ち、ホームルームを始めるために教室に向かった。
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「今年、3年B組の担当になった、鈴木明穂です。卒業までの一年間、よろしくお願いします。」
このクラスになって、初めてのホームルーム。誰も私の顔を見ない。教室の後ろに溜まり騒いでいる一軍グループに、俯いたままのいわゆる三軍と呼ばれる子たち。興味無さそうに窓の外を見ている生徒。私の声は、そんな教室に飲み込まれていく。
……これでいい。誰も私に興味を持たない。そっちの方が、私も平穏に暮らせる。
『出る杭は打たれる』、とはよくいったものだ。目立てば目立つほど、何かに巻き込まれる。だからなるべく目立たない。
大人になるまでに身につけた、私の自己防衛だ。
「せーんせー、私たちー、今日はもう帰ってもいいですかー?」
彼女は確か、田中瑠衣といったか。一軍女子の頂点に立つ、いわゆるボス。家が裕福だということで有名だ。その分、甘やかされて育ってきたため、自己中心的な性格が目立つ。
「……だめです。始業式の後も授業があるから。」
「ノートはそこの奴に見せてもらうからさー、帰っていいよね?……ね、相川さん!」
彼女は鞄から自分のノートを取り出し、相川と呼ばれた生徒の机に叩きつけた。相川がその音にびくりと肩を揺らす。
それに満足そうに笑い、もとから私の意見を聞く気など無い田中は、さっさと教室を出ていってしまう。何人かの生徒が、それについて行ってしまった。彼女たちを視線で追いながら、私は仕方なく、出席簿に早退の印を記入する。
相川夏海。俯いたまま、全く前を見ない。長い前髪が、彼女の瞳を隠している。田中とは、まったく雰囲気が違う。代わりにノートに板書するような関係でないことは明らかだ。
相川から目を逸らし、仕切り直すように口を開いた。
「……それじゃあ、それぞれ体育館に移動します。体育館に着いたら、出席番号順に並んでおいてください。」
ここから生徒と教師は別行動だ。気だるそうに立ち上がり、教室を出ていく生徒たち。その中から、鋭い視線を感じた。切りそろえられた前髪の下から切れ長の瞳が覗いている。
「……山中さん。どうかした?」
笑みを無理やり顔面に貼り付け、声をかけた。彼女は一年・二年共に成績学年トップクラスの生徒だ。職員室でもときどき名前が挙がるので覚えている。
「……いえ、別に。」
彼女は冷たくそう言って教室を出ていく。彼女が扉を閉めた音を最後に、教室の喧騒が遠ざかっていった。
静まり返った教室に、私の息づかいが嫌に響く。
……私が憧れた大人は、こんなに汚いものだっただろうか。
私は、大人は、無邪気な子どもには、もう戻れないのだ。
誰もいない教室に、ひとり残された私という教師。生徒机が並び、前には黒板。そして、自分が立つ教卓。憧れていたのは、こんなにも色がない世界だった。
出席簿を開いて、生徒の名前をなぞる。五十音順に並んだ、問題児たちの名前。
私の平凡な日々が、揺れ動く気がした。
☆。.:*・゜
「春の日差しが心地よい毎日でございますが、皆さまはどうお過ごしでしょうか─────」
式典での聞き慣れた時候の挨拶。学校長がステージ上で定型文を並べながら話している。生徒たちは立ったままうとうとしたり、私語をしたりと好き放題だ。私はそんな生徒たちを見ながら、聞きたくもない挨拶に耳を傾ける。
堅苦しいスーツ。定位置で組まれた手。背筋を伸ばし、礼は四十五度。染み付いた仕草は、ある意味私を『教師』に縛り付けるものだ。
自分の爪先に視線を落とし、小さく息を吐く。教師という職に就いて、五年が経つ。いつまで経っても、生徒や教師から向けられる視線には、慣れない。
進路指導の教師が注意事項を説明し終わり、マイクを生活指導の教師である川村に手渡す。彼はジャージに身を包んだ格好で、マイクを口元に持って言った。
「今から服装点検をします。全員起立ー!」
その瞬間、私のクラスからは不満そうな声が上がる。
「は?意味わかんねー。」「抜き打ちとか卑怯じゃんね。」「あーあ、こんなことならサボればよかった。」
川村から鋭い視線を受け、私はため息の代わりに声を出した。ああ、もう面倒くさい。
「はい、静かにして。ちゃんと立っておいてね。」
教師は、いつだって矢面に立っている。出る杭は打たれる、だから目立たないように息を潜める生き方しか身につけてこなかった私は、こういうときの生徒や教師からの視線から逃げる術を持っていない。
舌打ちや陰口には反応しない。ただ笑って、立っておけば時間は経つ。
なぜ私が、なんて、大人になった自分には、そんなことを思う暇さえ与えられないのだから。




