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ブラッディ―メイデン  作者: しましまましま


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第4話 紅い瞳

 やがて街を抜け、郊外の街道に出ると景色は一変した。燃える街の赤い光が遠ざかり、暗い森と畑が窓の外に広がっていく。蒸気機関の規則正しい音だけが、静かな夜に響いていた。

 ドラコは黙って運転を続けている。白い長髪が運転席の背もたれに流れ、バックミラーに紅い瞳がわずかに映っていた。何を考えているのか、その横顔からは読み取れない。制帽の下の美しい顔は無表情で、まるで長い距離を走ることに慣れきっているかのようだった。

 聞きたいことは山ほどあった。あなたは何者なのか。父とはどんな関係だったのか。なぜ宮殿の倉庫で眠っていたのか。あの吸血鬼たちは何者で、なぜ自分を狙っているのか。そして、父の言葉通り、本当に自分を守ってくれるのか。

 でも今は、まだその時ではない気がした。それに口を開いたら、溜め込んでいるものが全部溢れ出してしまいそうだった。

 エルザは膝の上のベアトリクスの髪をそっと撫でながら、窓の外に目を戻した。暗い街道がどこまでも続いている。どこへ向かっているのかも分からない。ただ、あの地獄から遠ざかっているという事実だけが、今は救いだった。

 膝の上のベアトリクスは、穏やかに眠っていた。規則正しい寝息。さっきまで毒にむしばまれ、死の淵にいたとは思えないほど静かな眠りだった。

 よかった。生きている。ただそれだけのことが、今はどんな宝物よりも貴重で、どんな言葉よりもエルザの心を支えてくれていた。

 しばらく走っただろうか。やがて空の端がわずかに白み始めた。


「もうすぐ夜が明ける。ほとんどのやつらは朝日には弱い。しばらく追っては来ないだろう」


 ドラコがぽつりと呟いた。長い夜の間、初めて安堵に似た響きが混じった言葉だった。

 もうすぐ朝日が昇る。長い長い夜が、ようやく終わろうとしていた。


「……ん」


 不意に、膝の上のベアトリクスが微かに身じろぎした。


「ベアト?」


 エルザが顔を覗き込む。ベアトリクスのまぶたが震え、ゆっくりと開いた。


「ひめ、さま……?」


 かすれた声。ぼんやりとした目がエルザの顔を捉え、そしてゆっくりと焦点が合っていく。


「ベアト! よかった、目が覚めたのですね」


 エルザの声が、自分でも驚くほど明るくなった。この夜が始まってから、初めて嬉しいと思えた瞬間だった。エルザは思わずベアトリクスの手を握った。温かい。ちゃんと温かい。

 だが、次の瞬間。エルザの動きが止まった。

 ベアトリクスの瞳。あの優しい緑色だったはずの瞳が。

 紅く、なっていた。

 闇の中でもはっきり分かるほどの鮮やかな紅。あの倉庫に推し入ってきた吸血鬼たちと、同じ色だった。エルザの胸が、ぎゅっと掴まれたように痛んだ。分かっていた。覚悟はしていたはずだった。それなのに、実際に目にすると息が止まりそうになった。


「姫様? どうしたんですか、そんな顔して」


 ベアトリクスは自分の変化に気づいていない。不思議そうにエルザの顔を見つめている。いつもと変わらない柔らかい声。いつもと変わらない心配そうな表情。何もかもがいつも通りなのに、瞳だけが違った。

 ドラコの言葉が、胸の中で蘇る。


『この小娘が次に目を覚ました時、覚悟しておけ』


 覚悟していたつもりだった。命が助かるなら何だって受け入れると思っていた。でも、いざこうして親友の瞳が紅く染まっているのを目の当たりにすると、喉の奥からこみ上げてくるものを止められなかった。


「何でもありません。……何でもありません、ベアト」


 声が震えた。笑おうとしたのに、うまく笑えなかった。

 ベアトリクスは不思議そうに首をかしげ、ゆっくりと体を起こした。そしてふと、自分の手を見つめた。


「わたし……なんだか体がおかしいです。前と、違う気がして」


 体が異様に軽く感じる。背中を切り裂かれたはずなのに、痛みがない。体の奥底から今まで感じたことのない何かが脈打っている。それが何なのかは分からない。ただ自分の中で何かが決定的に変わってしまったことだけは、はっきりと感じていた。

 ベアトリクスが自分の頬に触れ、目元をさまよい、胸の上で止まった。心臓は動いている。生きている。でも何かが違う。五感が鋭くなっている気がした。蒸気機関の音が、前よりもずっとはっきりと聞こえる。エルザの鼓動まで、耳に届く気がする。


「姫様、わたし……何があったんですか」


 不安そうな声。紅い瞳がエルザの顔をまっすぐに見つめている。その色はかつての緑ではなくなってしまったけれど、宿している光は変わっていなかった。ベアトリクスの、あの優しい光。

 エルザは答えられなかった。あなたはもう人間ではない。その言葉を口にすることが、どうしてもできなかった。今ここで全てを伝えたら、この子はどんな顔をするだろう。

 運転席のドラコが、ちらりとだけ後部座席に目をやった。紅い瞳で目覚めた少女。食屍鬼ではなく、吸血鬼として覚醒した。あの時エルザが「はい」と答えなければ、この少女はもうこの世にはいなかった。

 王女の祈りは、届いたのだ。

 ドラコは何も言わず、静かに前に向き直った。

 エルザはベアトリクスの手を、もう一度握り直した。さっきより少しだけ強く。


「大丈夫です。ベアト。全部、あとで話しますから。今はまだ少し、休んでいてください」


 声は震えていた。でも手は離さなかった。

 ベアトリクスはまだ不安そうな顔をしていたが、エルザの手の温もりを感じたのだろう、小さく頷いてエルザの肩にそっと頭を預けた。


「……はい。姫様がそう言うなら」


 その声は、いつものベアトリクスだった。何があっても姫様についていく。その信頼だけは、瞳の色が変わっても何一つ変わっていなかった。

 エルザは握った手に、少しだけ力を込めた。

 何が変わっても、この手だけは離さない。この温もりだけは、絶対に失わない。

 今はまだ何も伝えられない。でも、その時が来たら、全部話す。全部受け止める。

 それだけを、自分に誓った。

 窓の外で、東の空がゆっくりと赤みを帯びていく。朝焼けの光が、三人の横顔を柔らかく照らした。長い夜の終わりを告げる、静かな夜明けだった。だが三人の旅は、まだ始まったばかりだった。

 

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