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ブラッディ―メイデン  作者: しましまましま
第Ⅰ章 プリンセス オブ ブラッド

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第38話 アンティグア王国

 ケネロットの村を発って数日。ドラコたちはテオドル王国の領土を抜け、アンティグア王国の中都市「ガルド」へたどり着いた。

 山岳地帯と広大な森林が広がるアンティグア王国は、人間とエルフが多く住まう国だ。ガルドもまた森に囲まれた街であり、石造りの建物の屋根に苔が張り、街路樹が通りに木陰を落としていた。木漏れ日の中を人々が行き交い、テオドル王国の首都シュクレで味わった緊張感とは別の、穏やかな空気が流れている。

 市場の屋台からは焼きたてのパンの香りが漂い、鍛冶屋の槌音つちおとが通りに響いていた。エルザは久しぶりに目にする活気ある街の景色に、僅かに表情を和らげた。ベアトリクスもエルザの隣を歩きながら、街の様子をきょろきょろと見回している。ヴェンツェル王国を出てからずっと逃亡と戦闘の連続だった。こうして普通の街を歩くのは、随分と久しぶりのことだった。

 ベアトリクスの顔色は、数日前よりも幾分かましになっていた。フローレンスから受け取った栄養補助剤を一日一錠ずつ服用し、食事の苦しみから一時的に解放されている。まだ表情に影はあるものの、自分の足でしっかりと歩けるようになっていた。

 だが、穏やかに見えるだけだ。街の要所には武装した兵士が立ち、通行人に目を配っている。他国で起きた吸血鬼と食屍鬼による襲撃の情報は、ここまで届いているのだろう。平和の中に、薄い警戒の膜が張られていた。


 ドラコたちはガルドの宿屋に入り、今後の行程を話し合っていた。

 テーブルの上には、フローレンスが広げた地図がある。ガルドの位置を中心に、周辺の都市が点で示されていた。フローレンスの細い指が、地図の上を滑る。


「セクレタリア帝国の首都ターリンガまでの距離は、徒歩では何週間もかかります。現実的ではありません」


 フローレンスの声は、いつもの事務的な調子だった。


「汽車に乗るのが最も合理的です。今の場所から一番近い駅があるのは、アンティグア王国の首都リファランです」


 ドラコが地図を覗き込んだ。ガルドからリファランまでの距離を目で測っている。帽子の鍔が地図に影を落とした。


「リファランか。首都なら情報も集まりやすい。帝国に行く前に、この辺りの状況も把握しておきたいな」


 エルザが頷き、そこに言葉を添えた。


「リファランには、アンティグア王国の王女ポーラー様がいらっしゃるはずです。他国でも襲撃が起きていますから、安否を確認しておきたいのですが」


 ヴェンツェル王国は襲撃を受け、テオドル王国のドルメロは国王を取り込まれた。アンティグア王国も吸血鬼による襲撃が起きた情報が入っている。王族同士の繋がりを持つエルザだからこその懸念だった。


「なるほど、それは大事だな。じゃあ決まりだ。リファランを目指そう」


 ドラコがそう言いかけた時、フローレンスの指が地図の上で止まった。ガルドからリファランへ至る経路を辿っていた指が、ある地点で動きを止めたのだ。

 ガルドの南西隣に位置する都市「リーファ」。リファランへの最短経路は、このリーファを経由するルートだった。


「リファランへの近道は、リーファ経由です。距離で言えば二日ほど短縮できます。ですが」


 フローレンスの声が、僅かに硬くなった。


「リーファを経由するのは、お断りします」


 テーブルの空気が、微かに変わった。エルザとベアトリクスが、フローレンスの顔を見た。いつもの冷静な表情のはずだが、どこか強張っている。唇が薄く結ばれ、紅い瞳が地図のリーファの位置を避けているように逸らされていた。地図を指していた手を、膝の上に戻している。

 アビゲイルが足をぶらぶらさせるのを止め、フローレンスを見た。事情を知っている目だった。ドラコも、帽子の鍔の下から静かにフローレンスを見ている。

 リーファには、フローレンスの故郷であるエルフの村がある。

 フローレンスはエルフでありながら、エルフの文化を毛嫌いしていた。理由の全ては語られていないが、その背景には深い事情があるのだろう。エルフの伝統的な武器である弓を嫌悪し、あえて銃を選んでいることからも、その拒絶の強さは窺える。

 そして何より、リーファに行けば実の姉であるジレーヌと遭遇する可能性がある。テオドル王国の宮殿で矢を放ってきたあのエルフ。フローレンスの命を狙っている姉。あの時の矢と弾丸がすれ違った緊迫が、まだ記憶に新しい。

 エルザはフローレンスの表情を見て、何かを訊きたそうに口を開きかけたが、思い留まった。触れてはいけない領域があることは、この数日の旅で学んでいた。


「リーファの件は了解した」


 ドラコはあっさりと頷いた。フローレンスの事情を深く訊くこともなく、すぐに地図に目を戻した。長い付き合いだ。フローレンスが「お断りします」と言った時、それ以上踏み込んではいけないことをドラコは知っている。


「なら、遠回りになるが南のテリンスを経由しよう。テリンスには腕のいいドワーフの鍛冶師がいると聞いたことがある。どうせ寄るなら、新しい銃器を作ってもらいたい」


 ドラコの目が、僅かに輝いた。武器の話になると、途端に楽しそうになる。先ほどまでの真面目な空気が嘘のように、少年のような無邪気さが顔を覗かせた。


「あなたの銃はケネロットの村の鍛冶屋で高い金を払って買ったばかりでしょう」


 フローレンスが冷たい声で言った。先ほどの強張りは消えていた。ドラコを叱る時のフローレンスは、いつも通りだ。


「いい銃はいくつあっても困らない」

「お金は有限です」

「……すまん」


 ドラコが帽子の鍔を引き下げた。いつもの光景だった。エルザが思わず小さく笑い、ベアトリクスも口元をほころばせた。アビゲイルは「またやってる」とでも言いたげに、足をぶらぶらさせ始めた。

 テリンス経由のルートは、リーファを通る近道と比べて数日は余分にかかる。だが、フローレンスの事情を考えれば、迂回する価値はある。ドラコはそれを当然のこととして受け入れていた。仲間の心情を尊重することに、理由はいらない。

 経路が決まり、ドラコたちは出発の準備に取りかかろうとした。フローレンスが宿屋のカウンターに向かい、周辺の街道の状況を店主に確認する。人間であるエルザのために保存食と水の補充も必要だ。

 店主は気のいい中年の男だった。人間だが、エルフが多く暮らすガルドの住人だけあって、フローレンスの長い尖った耳を見ても特に身構える様子はなかった。街道の状況を丁寧に教え、テリンスまでの道のりについても詳しく説明してくれた。南の街道は整備されており、馬車も通れるほどの道幅がある。野盗の類もここ数年は出ていないという。

 だが、フローレンスがカウンターを離れようとした時、店主がふと口を開いた。

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