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ブラッディ―メイデン  作者: しましまましま


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第32話 依頼

 翌朝。

 ドラコたちは出発の準備を整え、一階に降りた。宿の代金を清算するためだ。フローレンスがカウンターに立ち、店主と向き合っている。他の四人はカウンター横の椅子に座り、出発の時を待っていた。

 店主は帳簿を広げ、宿泊代を計算していたが、その手が途中で止まった。何かを言いたそうに口を開き、閉じ、また開く。フローレンスはその様子を黙って見ていた。数秒の逡巡しゅんじゅんの後、店主は帳簿を閉じてフローレンスの顔を真っすぐに見た。


「……あの、お客さん。一つ、お願いがあるのですが」


 フローレンスの目が僅かに細くなった。


「昨夜、鎧戸のことをお話ししましたでしょう。夜になると物騒だと。実はあれ、ゴブリンなんです」


 ゴブリン。森に住み、時折人里に現れては悪さをする生物。知能が低く意思疎通がほとんど不可能で、人間に対する根深い悪意を持つ。場合によっては人を殺すこともある厄介な存在だ。


「この村の南東に森がありまして、その奥に古い迷宮があるのですが、そこにゴブリンの集団が住み着いてしまったんです。夜になると村に降りてきて、家畜を殺し、畑を荒らし、最近では人にまで手を出すようになった。鎧戸を閉めているのも、ゴブリンの襲撃を防ぐためなんです」


 昨夜の鎧戸。鉄板入りの頑丈な作り。後から取り付けた真新しい釘。あれは全て、ゴブリン対策だったのだ。


「お客さんがたは、腕が立つ方々とお見受けしました。お一人は銃をお持ちですし、もうお一人は杖を持った魔術師。どうか、あのゴブリンたちを何とかしていただけませんか。もちろん、宿代は無料にいたします。それと、村の蓄えから謝礼もお出しします」


 店主の声は切実だった。両手をカウンターの上で組み、指先が白くなるほど力を込めている。

 フローレンスは即座に答えた。


「申し訳ありませんが、お断りします。わたしたちは急いでおりまして、先を急がなければなりません」


 冷たく聞こえるが、合理的な判断だった。帝国に向かうことが最優先だ。寄り道をしている余裕はない。

 だが、フローレンスは一つ気になることがあった。


「それに、テオドル王国の兵士に依頼すべきではないですか。村の安全を守るのは、国の仕事です」


 店主の顔が曇った。


「それが……何度も連絡を送っているのですが、一度も返事が来ないんです。首都のほうで何かあったのか。もう半年以上、王国の兵士は一人も来ていません。税の徴収にすら来なくなりました」


 部屋の空気が、重くなった。

 ドラコとフローレンスが視線を交わした。アビゲイルが足をぶらぶらさせるのを止めた。エルザが唇を噛んだ。ベアトリクスも気まずそうに目を逸らした。

 王国の兵士が来ない理由。それを、ドラコたちは知っている。テオドル王国の国王ドルメロは吸血鬼になり、財団と手を組んでいた。王国の兵士たちはドルメロの手駒として動かされていた。辺境の村のゴブリン被害に対応する余裕など、あるはずがない。いや、そもそも対応する気がないのだろう。

 だが、それを店主に説明することはできない。一国の王が吸血鬼になっているなどと言えば、混乱を招くだけだ。

 気まずい沈黙が流れた。全員が何も言えず、店主の困り果てた顔を見ることしかできなかった。

 その沈黙を破ったのは、ドラコだった。


「引き受けよう」


 壁にもたれていたドラコが、帽子の鍔を上げて言った。口元に笑みが浮かんでいる。フローレンスの判断を完全に無視した、独断の返答だった。


「ドラコ。急いでいると言ったばかりでしょう」


 フローレンスが眉を寄せた。だが、ドラコは気にした様子もなく肩をすくめた。


「困っている人がいるなら助ける。冒険者ってのは、そういうもんだろ。それに、ゴブリン退治なんて半日もあれば終わる。な、アビー」

「まあ、ゴブリン程度なら」


 アビゲイルが足をぶらぶらさせながら答えた。

 ドラコの声には、久しぶりに楽しそうな響きがあった。帝国行きの重苦しい空気から解放されたかのようだ。フローレンスは深くため息をついたが、それ以上反論しなかった。ドラコがこの顔をした時、何を言っても無駄だと長年の経験で知っている。


「わたくしも、そう思います」


 エルザが一歩前に出た。


「困っている方がいるなら、助けるべきです。わたくしたちの都合だけで、見て見ぬふりをするのは、間違っています」


 王女としての矜持か、それとも本人の性格か。エルザの声には、迷いがなかった。フローレンスは二人を見比べ、小さく首を振った。


「……分かりました。ただし、手早く済ませてください」


 店主の顔が、一気に明るくなった。


「ありがとうございます。ありがとうございます。それと、もう一つ気になることがありまして」


店主は声を低くした。


「村人の話では、最近のゴブリンは様子がおかしいらしいんです。目が赤く光っていると、普通のゴブリンとは違う。もっと凶暴で、もっと賢くなっているように見えると」


 目が赤く光っている。

 ドラコの表情から、笑みが消えた。アビゲイルが顔を上げ、フローレンスの手が背中の狙撃銃に触れた。

 吸血鬼化したゴブリン。それは普通の被害ではない。ゴブリンが自ら吸血鬼になることはない。誰かが意図的に吸血症を感染させたということだ。財団と何かしらの関係がある可能性が高い。


「やはり調査すべきですね」


 フローレンスの声のトーンが変わっていた。先ほどまでの渋りはどこにもない。吸血鬼化したゴブリンの存在は、帝国への旅と無関係ではないかもしれない。むしろ、財団の活動を知る手がかりになる。

 アビゲイルも頷いた。


「ゴブリンを吸血鬼にするなんて、普通じゃないわ。何か目的があるはず」



 村の南東、街道から外れた場所に森があった。

 鬱蒼とした木々が日光を遮り、昼間だというのに薄暗い。地面は湿った落ち葉で覆われ、足を踏み入れるたびにじゅくりと音がした。鳥の声もほとんど聞こえない。生き物が、この森を避けているようだった。

 獣道とも呼べない細い隙間を縫って、ドラコたちは森の奥へと進んでいく。

 先頭はドラコ。短機関銃を片手に、慣れた足取りで歩いている。その後ろにフローレンスが続き、狙撃銃を構えている。エルザとベアトリクスが中央、アビゲイルが最後尾で魔杖を手にしていた。ベアトリクスも拳銃を握っている。昨夜のことがあったが、その手は震えていなかった。

 店主から聞いた話では、ゴブリンたちは夜になると迷宮から出てきて村を襲うという。つまり、昼間のうちに迷宮に踏み込めば、ゴブリンたちは巣にいるはずだ。

 一時間ほど歩いた頃、森の景色が変わった。木々の間に、石造りの構造物が見え始めた。苔むした壁。崩れかけたアーチ。古い時代の建築様式だ。

 迷宮ダンジョンの入口だった。

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