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ブラッディ―メイデン  作者: しましまましま


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第29話 共有

「テオドル王国の宮殿で、ジレーヌに襲われた」


 マリアムの動きが、止まった。

 ジレーヌ。その名前を聞いた瞬間、マリアムの目から軽さが消えた。


「ジレーヌが、ドルメロと協力していたというのかい」


 声が低くなっていた。マリアムにとって、ジレーヌもかつて共に魔王打倒のために戦った仲間だ。勇者レオンの冒険に同行し、幾度も命を預け合った相手。弓の名手であり、冷静沈着な戦士。その仲間が、吸血鬼となった国王と手を組み、ドラコたちを襲撃した。

 フローレンスは黙っていた。ジレーヌは実の姉だ。だが今、その事実をマリアムに語るつもりはないようだ。


「ああ。ドルメロの客人として宮殿にいた。オレたちが逃げる時に、矢を放ってきた」


 マリアムは目を閉じた。長い沈黙の後、深く息を吐いた。そして、椅子から立ち上がった。


「……すまない」


 静かな声だった。だが、そこには明確な謝意が込められていた。


「ジレーヌの行動は、ボクの責任でもある。同じ仲間として、彼女を止められなかった。エルザ王女、そしてフローレンス。ボクの仲間が危害を加えようとしたこと、本当に申し訳ない」


 マリアムはエルザとフローレンスに向かって、深く頭を下げた。帝国の皇帝の側近が、宿屋の小さな部屋で頭を下げている。

 フローレンスは何も言わなかった。ただ目を伏せ、小さく首を横に振った。姉の行動の責任を、マリアムに負わせるつもりはない。

 エルザが口を開いた。


「マリアムさん、頭を上げてください。あなたが謝ることではありません」


 マリアムは顔を上げ、エルザを見た。そしてゆっくりと頷いた。


「ありがとう、王女様。優しいんだね」


 マリアムは居住いずまいを正し、声のトーンを切り替えた。


「状況は分かった。財団の正体は不明。でも、テオドル王国の国王を取り込み、帝国の宮殿を襲撃できるだけの力を持っている。そしてエルザ王女の血を狙っている。理由は不明だけど、狙われていることは確かだ」


 マリアムは全員を見回した。


「であれば、提案がある。エルザ王女の身を守るためにも、セクレタリア帝国に来てほしい。帝国の宮殿は襲撃を受けたばかりだけど、レオン皇帝がいる限り、ここよりはずっと安全だ。大陸最強の戦士が守る場所。それ以上の安全はない。今は傭兵団も雇って警備を強化しているし、ボクもいる」


 マリアムの提案は、先ほどフローレンスが主張したことと同じだった。帝国に行くべきだ。情報も、安全も、帝国に集まっている。

 ドラコの肩が、目に見えて落ちた。

 結局、帝国に行くしかない。フローレンスの提案が、マリアムの口からも出てきた。二人が同じ結論に達しているということは、他に選択肢がないということだ。勇者殿に会うしか、方法がない。


「残念でしたね」


 フローレンスが言った。その口元が、僅かに、だが確実に上がっていた。勝ち誇った顔だった。普段は感情を見せない女の、珍しい表情だ。先ほどの口論の決着が、この一言で着いたと言わんばかりだった。

 ドラコは何も言い返せず、帽子の鍔を深く引き下げた。ベアトリクスが思わず小さく笑い、エルザも口元を手で覆った。

 アビゲイルがドラコの隣に立ち、背伸びをして、帽子の上からドラコの頭をぽんぽんと撫でた。


「大丈夫。勇者に会うのが嫌なのは分かるけど、わたくしたちがいるから」


 小さな手が帽子越しに頭を撫でている。魔王が小さな魔術師に慰められている光景。奇妙だったが、不思議と温かい空気が流れた。

 ドラコは撫でられるままに黙っていたが、ふと顔を上げた。何かを思い出したような目立った。


「アビー」


 声のトーンが変わった。先ほどまでの拗ねたような雰囲気が消え、真剣な色が浮かんでいた。


「あと何日だ」


 短い問いだった。だが、アビゲイルの表情が一瞬で変わった。にっこりとした笑顔が消え、紅い瞳が真剣な光を帯びた。エルザもベアトリクスも、その急な空気の変化に気づいた。だが、二人が何の話をしているのか、理解できなかった。


「たぶん、あと一四日」


 アビゲイルの声は静かだったが、はっきりとしていた。

 一四日。その数字が何を意味するのか、この場でドラコとアビゲイルだけが知っている。フローレンスは二人のやり取りに気づいていたが、口を挟まなかった。彼女自身も分かっていたからだ。

 エルザは不安そうに二人を見ていた。一四日後に何が起きるのか。だが、今のドラコの表情は、尋ねることを許さない真剣さだった。

 ドラコは目を閉じた。数秒の沈黙。そして目を開いた時、紅い瞳には迷いがなかった。


「残り二週間か……分かった。帝国に向かう」


 声に、先ほどの頑なさは残っていなかった。一四日という期限が、ドラコの中の何かを切り替えた。感情ではなく、必要性で動く決断だった。

 マリアムはドラコの変化を見ていたが、一四日の意味については尋ねなかった。

 アビゲイルがマリアムに向き直った。


「マリー。急に呼びつけてごめんなさい。でも、おかげで助かったわ。情報がなければ、わたくしたちは財団の恐ろしさを知らないまま動いていた。ありがとう」


 アビゲイルは深々と頭を下げた。小さな体が折れ曲がるほどの、丁寧なお辞儀だった。

 マリアムは肩をすくめ、笑った。


「こちらこそ。正直に言うと、嬉しかったよ。アビーに呼んでもらえたのは。書庫にこもって一人で行き詰まっていたところだったし、久しぶりに友達の顔を見られた。それに、魔王たちの情報もボクにとっては収穫だ。ドルメロが財団と繋がっていたこと、ジレーヌのこと。帝国に戻って調査を進める手がかりになる。感謝しているのはボクのほうだよ」


 マリアムはテーブルの上の書物を手に取り、召喚された時に残った魔術式の跡に歩み寄った。薄れた線の上に立ち、全員を見回す。


「それじゃ、ボクはそろそろ戻るよ。帝国のほうも色々と大変でね。陛下を一人にしておくと、書類が溜まる一歩だから」


 軽い口調だったが、その目はドラコを見ていた。


「ああ、それと。最後に一つ」


 マリアムの口元に、笑みが浮かんだ。いたずらっぽい、だが温かい笑みだった。


「勇者様はね、魔王とまた会えることを楽しみにしているよ」


 ドラコの眉が動いた。だが、何も言わなかった。帽子の鍔の下で、紅い瞳が複雑な光を宿していた。楽しみにしている。あの寡黙な勇者殿が。信じられない話だが、マリアムが嘘を言っているようには見えなかった。

 マリアムは魔術式の跡の上で目を閉じた。アビゲイルが杖を軽く振る。残された魔術式の線が、再び淡い光を帯びた。帰還の術式だ。召喚の逆行程。来た時と同じ経路を辿り、元の場所に戻す魔術。

 光がマリアムの足元から這い上がり、全身を包んでいく。


「皆様の旅の無事を祈ってる。帝国で待っているよ」


 マリアムは片手を上げ、軽く振った。光が強くなり、その輪郭が薄れていく。数秒後、光が収まった時には、マリアムの姿はどこにもなかった。魔術式の跡だけが、床の上に薄く残っていた。

 部屋に、静寂が戻った。

 エルザが小さく呟いた。


「帝国に、行くのですね」


 ドラコは窓の外を見ていた。ケネロットの乾いた街道が、午後の光に照らされている。その先に、帝国がある。勇者がいる。まだ会いたくない相手が、待っている。

 ドラコは帽子の鍔を直し、窓から目を離した。


「ああ。行こう」


 その声は静かだったが、揺ぎなかった。


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