第28話 情報
宿屋の部屋に、奇妙な沈黙が流れた。
召喚された魔術師マリアムと、召喚したアビゲイル。勇者の仲間だった者と、魔王の仲間だった者。敵同士だったはずの二人の魔術師が、今は旧友のように向き合っている。
アビゲイルとマリアムの関係は、複雑だった。かつては敵対する陣営に分かれ、戦場で魔術をぶつけ合ったこともある。だが魔王と勇者の戦いが終わった後、互いの魔術への探求心が二人を引き合わせた。書簡のやり取りから始まり、研究の議論を重ね、気づけば互いに魔術を研究し合う親友と呼べる関係になっていた。
敵だったからこそ、相手の実力を誰よりも知っている。それが二人の友情の土台だった。
エルザはその空気を感じ取っていた。アビゲイルがマリアムを「マリー」と呼び、マリアムがアビゲイルを「アビー」と呼ぶ。敵だった者同士が愛称で呼び合っている。この世界の人間関係は、単純な二項対立では語れないのだと、エルザは改めて思い知らされた。
「さて、と」
マリアムは部屋を見回し、窓の外に目をやった。街道沿いの小さな村。乾いた風と、土の匂い。帝国の宮殿とはまるで違う景色だ。
「ここはテオドル王国だね。ケネロットあたりかな。魔力の座標からして、帝国からかなり北東に離れている」
一目で召喚先の位置を把握していた。さすがは帝国随一の魔術師だ。
マリアムの視線が、改めてドラコに向いた。紅い瞳、白い長髪、大きな帽子。一五年前の記憶と照らし合わせるように、じっと見つめている。
「しかし驚いたよ。本当に目覚めたんだね、魔王」
マリアムの口調は軽いが、目は真剣だった。
「ああ。少し前にな」
ドラコは短く答えた。腕を組んだまま、壁にもたれている。
「一五年以上経っているが、お前は全く変わっていないな。顔も、その隈も、その軽い口調も。少しは老けたかと思ったが」
ドラコが僅かに目を細めた。一五年の歳月が経っているにも関わらず、マリアムの容姿は当時と全く変わっていない。青白い肌、目の下の深い隈、毛先が少し乱れている長い髪。かつての戦場で見たままだ。人間であれば、三十代半ばを過ぎ、相応に歳を重ねているはずだが、その気配が微塵もない。まるで時間が止まっているかのようだった。
フローレンスも同じことに気づいたのか、マリアムの顔をじっと見つめていた。
「ボクには、老けない事情があるんだよ」
マリアムはさらりと答えた。それ以上の説明はしなかった。ドラコもそれ以上は追求しなかった。互いに踏み込めない距離感。敵だった者同士の、独特な礼儀だった。
「再会を喜びたいのはやまやまだけど、先に本題に入らせてもらっていいかな」
アビゲイルが二人の間に入った。小さな体でテーブルの椅子によじ登り、マリアムと向かい合う。
「マリー。財団について、何か知っていることはある?」
単刀直入だった。アビゲイルらしい。
マリアムの表情が、僅かに曇った。
「正直に言うと、ほとんど分からない。ボクもここ数日、帝国の書庫を総動員して調べていたんだけどね」
マリアムは召喚された時に抱えていた書物をテーブルに置き、ため息をついた。
「財団という名前自体が漠然としすぎていて、特定が困難なんだ。この大陸には財団と名のつく組織がいくらでもある。慈善団体、学術研究機関、貴族の資産管理組織。その中から襲撃犯の組織を絞り込むのは、藁の中から針を探すようなものでね。かろうじて百年ほど前の交易記録に一度だけ名前が出てきたけど、それが同一の組織かどうかすら断定できない」
エルザの表情が暗くなった。帝国の情報をもってしても、財団の正体は掴めていない。
だが、マリアムは指を一本立てた。
「ただ、一つだけ確実に分かっていることがある。財団は、魔王たちが思っている以上に強い」
部屋の空気が変わった。全員の目がマリアムに集まった。
「数日前、セクレタリア帝国の宮殿が襲撃された。吸血鬼と食屍鬼の群れだ。帝国の宮殿は大陸で最も堅固な守りを持つ場所の一つで、大門には強力な付呪が施されている。並みの魔術師では傷一つつけられないほどの守りだ。それを正面から力尽くで突破してきた」
フローレンスの目が鋭くなった。帝国の宮殿が襲撃された。それは、財団が一国の軍事拠点を攻撃できるだけの力を持っていることを意味する。
アビゲイルも表情を変えた。帝国の大門の付呪は、マリアム自身が関わって施したものだ。それを破る力の持ち主が、財団にはいる。
「被害は深刻だった。宮殿に駐留していた帝国兵の八割が死亡。精鋭部隊は全滅。捕まえた吸血鬼は『財団万歳』と叫んで自爆した。自爆の術式が体に組み込まれていて、捕まった時に情報を漏らさないようにしてある。構成員一人一人にこの術式を施すには、相当な数の魔術師と資金が必要になる。組織的で、用意周到。とてつもなく大きな組織だよ」
部屋が静まり返った。帝国兵の八割。それは軍の壊滅に等しい数字だ。ベアトリクスが小さく息を呑み、エルザの手を握った。
ドラコが壁から背を離した。
「こちらの話もしよう」
ドラコは腕を組んだまま、テオドル王国で起きたことを語り始めた。国王ドルメロが吸血鬼になっていたこと。不老不死に憧れ、裏で財団と協力関係を築いていたこと。王国の兵士たちもドルメロの手駒として動いていたこと。そして何より、ドルメロが執拗にエルザの血を欲していたこと。
「理由は分からない。だが、エルザの血が目的であることは間違いない。あの男は『エルザ王女の血が必要だ』とはっきり言っていた」
マリアムは眉をひそめた。王女の血。それが何を意味するのか、今の段階では推測すらできない。だが、一国の王がわざわざ吸血鬼になってまで手に入れようとするものだ。尋常な理由ではない。
「それと、もう一つ」
ドラコは一瞬だけ、フローレンスに目を向けた。フローレンスは無表情のまま、小さく頷いた。話していい、という合図だった。




