表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ブラッディ―メイデン  作者: しましまましま


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

19/35

第19話 吸血鬼は敵

 蒸気自動車の排気煙が、街道の彼方に消えていった。

 ジレーヌは城門の上に立ったまま、長弓を下ろした。右頬の傷がじくじくと痛む。弾丸が掠めた跡だ。あと数ミリ内側にずれていれば、頬骨を砕かれていた。

 だが、頬骨ではなく頬を撃った。フローレンスの腕前なら、あの距離でもっと正確に当てられたはずだ。

 外したのか。それとも、外してくれたのか。

 答えは、考えないことにした。


「逃げられたか」


 背後から声がかかった。ドルメロだった。宮殿の正面入口から出てきたのだろう。日光を避けるようにひさしの下に立ち、城門を見上げている。その紅い瞳に浮かんでいるのは、苛立ちだった。

 広場には、アビゲイルの氷結の魔術によって凍りついた兵士たちの氷柱が並んでいる。日光を浴びて少しずつ溶け始めているが、中に閉じ込められた兵士たちが動けるようになるにはまだ時間がかかるだろう。

 ドルメロは氷柱に閉じ込められた兵士たちを一瞥し、舌打ちをした。


「まったく、使えない部下どもだ。吸血鬼の小娘一人の魔術に全員やられるとは」


 それから、城門の上に立つジレーヌに向かって声を張り上げた。


「お前もだ、エルフの女。妹を殺すためにここにいると言ったな? なのに妹どころか、目の前にいたヴェンツェル王女すら仕留められなかった。大した腕だな、エルフの射手殿」


 あざけりだった。逃がした苛立ちをジレーヌにぶつけている。自分の失態を棚に上げ、他者を嗤う。この男の本質だった。

 ジレーヌは何も答えなかった。黙って城門から降り、石畳の広場に足を着けた。ドルメロが庇の下から出てこないのは、日光を恐れているからだ。一年前に吸血鬼になったばかりの下級だ。陽の光の下に出れば灰になりかねない。

 ドルメロはジレーヌの沈黙を、屈服と受け取ったのだろう。声には余裕が戻った。


「やはりエルフ風情では荷が重かったか。もういい、お前の役目は終わりだ」


 ドルメロが指を鳴らした。


「おい。この女を始末しろ」


 命令は、宮殿の中に残っていた兵士たちに向けられたものだった。広場の兵士は凍らせたが、宮殿内にはまだ動ける者がいるはずだった。ドルメロはそう判断した。

 だが、何も起こらなかった。

 足音がない。剣を抜く音もない。返事すらない。宮殿の中は、静まり返っていた。

 ドルメロの顔から、余裕が剥がれた。


「おい。聞いているのか。誰かいないのか」


 声が裏返っていた。もう一度振り返り、宮殿の入口の奥を覗き込む。薄暗い廊下の向こうに、何かが見えた。

 影だった。廊下の壁にもたれかかるように倒れている。複数の人影。動いていない。燭台の炎が揺れ、その光が倒れた者たちの体を照らした。

 甲冑。紋章。テオドル王国の兵士たちだった。

 一人は喉を切られ、一人は胸に短剣が突き立てられ、一人は首の骨を折られていた。すべて、一撃で仕留められている。苦悶の表情はなく、気づく間もなく殺されたのだろう。宮殿内に残っていた吸血鬼の兵士たち。その全員が、すでに灰になりかけていた。心臓か急所を的確に突かれている。吸血鬼であっても、それでは再生できない。

 ドラコたちと対峙していた間に。フローレンスと撃ち合っていた間に。城門の上から広場を見下ろしていた。あのわずかな時間の中で。ジレーヌは宮殿内の兵士をすべて片づけていたのだ。

 いつ。

 城門に降り立ったのは、ほんの数分前だ。それ以前に済ませていたとすれば、塔の上からフローレンスと交戦しながら、合間に宮殿に入り、兵士を殺し、また塔に戻って矢を番える。それを誰にも気づかれずに。

 人間離れした、というのは正確ではない。エルフ離れした所業だった。

 ドルメロの顔が、蒼白になった。もともとの青白い肌が、さらに色を失っていく。


「お前……いつの間に……」


 声が震えている。先ほどまでの傲慢さは跡形もなかった。


「最初からだ」


 ジレーヌは静かに答えた。


「お前の兵士たちは弱すぎた。吸血鬼であっても、所詮は一年前まで人間だった者たちだ。戦い方を知らない。殺す技術がない。数だけ揃えたところで、わたしの前では意味がない」


 感情のない声だった。殺したことへの罪悪感も、高揚も、何もない。害虫を処理した、その程度の報告に過ぎなかった。


「待て。待ってくれ」


 ドルメロが両手を上げた。降伏の姿勢。先ほどまでエルザに向けていた冷たい愉悦はもうどこにもなく、ただ命乞いをする男の顔があった。


「わたしを殺すな。わたしは国王だ。わたしを殺せばテオドル王国が……」

「国王?」


 ジレーヌの薄緑色の瞳が、初めて感情を映した。冷たい嫌悪だった。


「民を守るべき立場の者が、自ら吸血鬼になり、国を化け物の巣にし、他国の王女を罠にかけた。お前は国王ではない。ただの裏切り者だ」


 ジレーヌの手が動いた。腰に差していた短剣を抜き、ドルメロの喉元に突きつけた。一瞬の動きだった。ドルメロが反応する暇すらなかった。

 短剣の切っ先が、蒼白い喉の肌に触れている。ほんの少し力を込めれば、喉を貫ける。


「吸血鬼は敵だ」


 ジレーヌが、呟いた。

 静かな声だった。怒りでも、憎しみでもない。ただ、長い年月をかけて心に刻みつけた、一つの信念。あのエルフの女性を突き動かしているもの。フローレンスを殺そうとする理由。吸血鬼を憎む理由。すべてが、その一言に凝縮されていた。

 ドルメロは目を固く閉じた。死を覚悟したのか、あるいは恐怖で目を開けていられなかったのか。

 だが、刃は喉を貫かなかった。

 ジレーヌは短剣をわずかに引いた。殺さない。殺す価値もない、という顔ではなかった。別の理由があった。


「ただし、お前にはまだ使い道がある」


 ジレーヌの声が、冷たく、だが明確な意志を持って響いた。


「財団について、お前と話し合いたいであろう方がいる。お前が知っていることを、すべて話してもらう。その方がお前に会うまでは、生かしておいてやる」


 ドルメロは目を開けた。恐怖で涙が滲んだ瞳で、ジレーヌを見上げる。


「だ、誰だ。その方とは……」


 ジレーヌは答えなかった。

 代わりに、短剣の柄でドルメロのこめかみを打った。鈍い音がして、ドルメロの体がくずおれた。意識を失い、廊下の床に倒れ込む。打撃の正確さは、殺しの技術と同等だった。気絶させるのも、殺すのも、この女性にとっては変わらない精度でこなせる作業なのだろう。

 ジレーヌは気絶したドルメロを一瞥し、踵を返した。

 宮殿を出て、城門を抜ける。広場に出ると、氷柱の中の兵士たちがまだ凍ったまま並んでいる。やがて溶けて出てきても、もう追う力は残っていないだろう。

 ジレーヌの足が、止まった。

 広場の石畳の上に、一本の矢が落ちていた。ドラコが後頭部から引き抜いて放り捨てた、自分の矢だ。穂先には乾きかけた血がこびりついている。白い羽根飾りも赤く染まっていた。

 ジレーヌはしゃがみ込み、その矢を拾い上げた。指先で穂先の血に触れる。魔王の血。あの化け物の、血。

 矢を矢筒に戻し、立ち上がった。

 街道の彼方を見た。ドラコたちが去っていった方角。妹が去っていった方角。もう影も形も見えない。

 ジレーヌは背を向けた。

 長い金色の髪が風に揺れ、テオドル王国の宮殿が遠ざかっていく。矢筒の中で、魔王の血に染まった矢が小さく揺れていた。ジレーヌの足取りは、迷いなく一つの方角へと向かっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ