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ブラッディ―メイデン  作者: しましまましま


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第18話 魔術師

「……本当に、あなたは馬鹿ですね」

「ああ。昔からだろう」


 ドラコが笑った。後頭部から血を流しながら、それでも笑った。

 その顔を、ベアトリクスは見ていた。

 あの宿屋で初めて会った時は信じられなかった。銃を向けた。でも、この人は首を斬り落とされても自分を守り、たった今も頭に矢を受けてまでエルザを守った。そして今、仲間を見捨てないと言い切った。

 怖い。まだ怖い。でも、もっと怖いのは、この人たちが戦っている時に自分だけが何もしないことだ。

 ベアトリクスの目が、広場の地面に転がっている拳銃を捉えた。門番の兵士の腰から落ちたのだろうか。

 駆け出した。拾い上げ、両手で握る。宮殿の倉庫で初めて拳銃を手にした夜を思い出す。あの時も震えていた。でも、今は少し違う。


「ベアト!」


 エルザが叫んだ。

 ベアトリクスは振り返り、エルザに向かって微笑んだ。震えているけれど、笑った。


「わたしも戦います。姫様を守るのが、わたしの仕事ですから」


 その声は、小さかったが確かだった。

 ジレーヌが三本目の矢を番えた。フローレンスに狙いを定める。フローレンスも短銃を構えなおした。姉妹の戦い。この場で決着をつけるつもりだ。

 後方の吸血鬼兵士たちも、じりじりと距離を詰めてくる。日光の下ではあるが、中級以上の吸血鬼にとっては不快なだけで致命的ではない。あと数十秒もすれば、包囲が完成する。

 その時だった。

 城門の外に停めてあった蒸気自動車の荷台から、音がした。

 木が軋む音。重い蓋が持ち上がる音。フローレンスが担いでいた、あの大きな黒い棺。

 棺の蓋が、内側から開いた。

 中から一人の少女が身を起こした。低い身長。ベアトリクスと同じぐらいの小柄な体。黒い神官的な服装とローブを纏い、頭頂部がとがり先が折れ曲がった帽子を被っている。一目で分かった。魔術師だ。

 少女は目をこすりながら、大きな欠伸をした。完全に寝起きの顔だった。

 少女の瞳が開いた。紅色。吸血鬼だ。

 寝ぼけた紅い瞳が、ゆっくりと周囲の状況を把握していく。城門前の広場。血を流して立っているドラコ。短銃を構えたフローレンス。拳銃を握ったベアトリクス。その後ろで震えるエルザ。そして、迫ってくる吸血鬼の兵士たち。

 少女は欠伸を途中で止めた。瞳の色が、紅からさらに深い紅に変わった。魔力が高まっている証だった。


「……ドラコ。フロー。なんだかとても面倒な状況に見えるのだけれど」


 幼い声。だが、そこに込められた力は幼さとは程遠い。

 少女は棺の中から大きな杖を引き抜いた。自分の身長ほどもある魔杖まじょうだ。杖の先端にめ込まれた青い宝珠ほうじゅが、鈍い光を放ち始めた。

 少女は荷台の縁に軽く腰掛けると、追手の兵士たちに向かって魔杖をかざした。

 足元から青白い光の紋様が広がっていく。円形の魔術式。広場の半分を覆うほどの巨大な術式が、ほんの数秒で完成した。詠唱もなければ仕草もない。ただ杖をかざしただけだ。

 冷気が爆発した。

 空気が凍る音がした。白い霧が広場を覆い、霧が晴れた時、追手の吸血鬼兵士たちは全員、氷の中に閉じ込めれていた。走る姿勢のまま、剣を振り上げた姿勢のまま、一人残らず、吸血鬼は不死だ、これで死ぬことはない。だが氷から脱出するには時間がかかる。

 少女は再び欠伸をした。大陸有数の魔術師の実力を、寝起きの余興のように見せつけた。

 エルザは呆然としていた。あの規模の魔術式を詠唱なしで、しかも味方には一切の被害がない。エルザが知る魔術の常識を超えていた。

 ドラコが、血まみれの顔で笑った。あの笑い。窮地を脱した時に見せる、陽気な笑い。


「遅い起床だな、アビゲイル」

「あら、ごめんなさい。もう少し寝かせてくれてもよかったのに」


 少女、アビゲイルは不満そうに唇を尖らせたが、その目は楽しそうに笑っていた。そして、エルザとベアトリクスを見て小さく首を傾げた。


「その子たちは?」

「後で紹介する。今はまず、ここを離れるぞ」


 ドラコが車に向かって走り出した。エルザの手を引き、ベアトリクスもそれに続く。フローレンスは短銃を構えたまま、ジレーヌから目を離さずに後退していく。

 ジレーヌは氷結の魔術を見ても表情を変えなかった。彼女の目はフローレンスだけを追っている。

 五人が車に乗り込んだ。フローレンスが運転席、ドラコが助手席。後部座席にエルザとベアトリクス、そしてアビゲイルが座った。

 機関が唸りを上げ、車が動き出した。城門を抜け、街の大通りに入る。

 逃げ切れる。そう思った瞬間だった。

 風切り音。

 フローレンスの耳が、その音を捉えた。後方から。姉の矢だ。

 矢はフローレンスを狙っていなかった。車体を狙っていた。逃がさないためだ。タイヤか、蒸気機関か。どちらかを射抜けば車は止まる。

 フローレンスは即座に判断した。「代わってください」と一言告げ、ドラコがハンドルを掴む。

 フローレンスは後部座席を乗り越えて荷台に出た。棺の中に予備として入れていた狙撃銃を取り出す。照準器のない、使い込まれた愛銃。

 後方を見た。街の大通りの遥か後方、城門の上にジレーヌが立っていた。長弓を構え、こちらに狙いを定めている。距離は数百メートル。常識では命中しない。だが、あの姉なら当てる。そしてフローレンスにも、同じことができる。

 姉妹の目が、数百メートルの距離を越えて合った。エルフの視力が互いの瞳を捉える。薄緑色と、紅色。同じ両親から生まれた、まったく違う色の瞳。

 同時だった。

 ジレーヌが矢を放ち、フローレンスが引き金を引いた。

 矢と弾丸が、空中ですれ違った。

 互いの頬を風が切った。ジレーヌの右頬に赤い線が走り、フローレンスの左頬にも同じように赤い線が走った。血が一筋、流れ落ちる。

 当てなかったのか、当てられなかったのか。あるいは、当てたくなかったのか。

 車は街を抜け、街道へと出た。シュクレの城壁が遠ざかり、ジレーヌの姿がやがて見えなくなった。

 フローレンスは狙撃銃を下ろし、荷台に座り込んだ。左頬の傷から血が流れている。吸血鬼の再生力ですぐに塞がるだろう。だがしばらく、その血を拭おうとしなかった。

 姉の矢の軌道を、思い出していた。あの精度で、頬を掠めただけ。殺す気があったのなら、頭を貫いていたはずだ。

 あるいは自分も、外したのかもしれなかった。

 車内から、アビゲイルの声が聞こえた。


「フロー。中に戻ってきて。風邪をひくわ」


 吸血鬼は風邪をひかない。だが、アビゲイルの言葉の意味は分かっていた。一人で考え込まないで、という優しい嘘だった。

 フローレンスは小さく息を吐き、荷台から車内に戻った。頬の血を袖で拭い、いつもの無表情に戻ろうとした。だが完全には戻りきれなかった。

 ベアトリクスが、そっとハンカチを差し出した。メイドとして常に持ち歩いている、白い清潔なハンカチ。


「フローレンスさん。これ、使ってください」


 フローレンスは一瞬、驚いた顔をした。そしてハンカチを受け取り、頬に当てた。


「……ありがとうございます。ベアトリクス様」


 その声は、いつもより少しだけ柔らかかった。

 車は街道を走り続け、テオドル王国の首都シュクレが完全に見えなくなった。

 ドラコたちは、辛うじて生き延びた。

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