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ブラッディ―メイデン  作者: しましまましま


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第17話 姉妹

 塔の上に立つエルフの女性は、微動だにしなかった。

 長い金色の髪が風に流れている。薄緑色の瞳は冷ややかで、感情と呼べるものが一切浮かんでいない。その目が、まっすぐにフローレンスを見下ろしていた。

 フローレンスは震える唇を噛んだ。あの顔を、あの射撃を、間違えるはずがなかった。


「お姉様。なぜ、ここに」


 声が掠れていた。問いかけというよりも、信じたくないものを目にした者の呟きだった。

 塔の上のエルフ、ジレーヌ。フローレンスの実の姉。

 吸血鬼を、誰よりも憎んでいるはずの人。


「なぜ、とは可笑しなことを聞くのね。フローレンス」


 ジレーヌの声が、塔の上から降りてきた。澄んだ声だった。エルフ特有の透き通る響き。だがその中に、刃のような冷たさが混じっている。


「わたしはずっと待っていた。あの魔王がヴェンツェル王国で眠っている。その棺のそばに、いずれお前が来ると。そして魔王が目を覚ませば、次に向かうのはこのテオドル王国だと」


 待っていた。ドラコが目覚めれば、フローレンスもそばにいる。フローレンスがドラコと共にいるなら、テオドル王国の異変に気づいてここに来る。その読みは正確だった。

 フローレンスの胸が軋んだ。姉は自分の行動を完璧に読んでいた。長い年月が経っても、姉は妹のことを理解している。だが、その理解は愛情から来るものではなかった。


「吸血鬼が嫌いなはずのお姉様が、なぜ吸血鬼の味方をしているのですか。ドルメロと手を組んでいるのですか」

「味方?」


 ジレーヌの薄緑色の瞳が、初めて僅かに細まった。


「勘違いしないで。わたしは吸血鬼の味方などしていない。ドルメロの目的も興味がない。わたしがここにいる理由は一つだけ」


 ジレーヌが弓を構え直した。新たな矢が番えられている。その矢先は、フローレンスの胸を

捉えていた。


「お前を殺すためよ、フローレンス」


 言葉と同時に、矢が放たれた。

 風を切り裂く音。先ほどドラコの後頭部を貫いたのと同じ、恐ろしいほどの速度と精度。フローレンスの心臓を正確に狙った一射。

 だがフローレンスは動いていた。体を横に転がし、矢が石畳に突き刺さる。穂先が石を砕き、破片が飛び散った。

 フローレンスは転がった勢いのまま膝をつき、短銃を構えた。だが引き金を引く指が、止まった。銃口の先にいるのは姉だ。

 その躊躇が、致命的だった。

 二本目の矢が飛んできた。フローレンスの右肩を掠め、軍服の布が裂けた。浅い傷だったが、鮮やかな赤い線が走る。


「迷っている暇があるの。お前は昔からそう。肝心な時に甘くなる」


 ジレーヌの声に、僅かな苛立ちが混じった。妹の性格を知り尽くした上での、的確な指摘だった。

 フローレンスは歯を食いしばった。弾丸が塔に向かって飛ぶ。だがジレーヌは既に位置を変えており、壁は石壁に火花を散らした。

 ジレーヌが塔の上から跳んだ。城壁の縁に着地し、さらに下へ。身の丈ほどの長弓を片手に、猫のような身のこなしで地上に降り立った。

 その間にも、背後からは吸血鬼兵士たちが迫ってきていた。日光に顔を歪めながらも前進している。前にジレーヌ、後ろに兵士たち。完全に挟まれていた。

 フローレンスは倒れたままのドラコを見下ろした。後頭部に矢が刺さったまま、まだ動かない。だが胸はかすかに上下している。生きている。再生には、もう少し時間がかかるだけだ。もう少しだけ。

 フローレンスの足が動いた。倒れているドラコの脇腹を、思い切り蹴った。


「いつまで寝てるんですか!」


 容赦のない一撃だった。あなたが寝ている間に姉に殺されかけている。あなたが守ると誓った王女が、丸腰で震えている。今すぐ起きてください。

 ドラコの体がびくりと痙攣した。紅い瞳がゆっくりと開いた。焦点が定まらない。矢は刺さったままだが、意識を取り戻した。


「……フロー。蹴るのは、やめてくれ」


 かすれた声。だが意識はある。ドラコは石畳に手をつき、ゆっくりと上体を起こした。後頭部に矢が刺さったまま起き上がる姿は異様だったが、エルザはその光景に安堵の涙がこぼれそうになった。

 ドラコは霞む視界で状況を把握した。前方にエルフの弓使い。後方に吸血鬼兵士。フローレンスが動揺している。フローレンスをここまで揺さぶれる相手。


「……ジレーヌか」


 面識はある。そしてフローレンスの姉。


「久しぶりね、魔王。頭に矢が刺さったまま起き上がるとは、相変わらず化け物ね」


 ジレーヌは弓を構えたまま、冷淡に言った。

 ドラコは左手を後頭部に回した。指先が矢の軸に触れる。木の感触。深く刺さっている。穂先が頭蓋を貫通し、脳に達しているのが自分でも分かった。普通の吸血鬼なら、意識を取り戻すことすらできない傷だ。

 構わず、掴んだ。

 一息で、引き抜いた。

 肉が裂ける湿った音と共に、血が噴き出した。白い長髪が赤く染まり、石畳に血のしずくが散る。ドラコは顔を歪めたが、声は上げなかった。引き抜いた矢を一瞥し、地面に放り投げる。傷口はすでに塞がり始めていた。

 よろめきながらも、両足で立った。


「誉め言葉として受け取っておこう。だが、貴様の狙いはオレじゃないな。エルザだろう」

「あの王女には興味がない。わたしの標的はフローレンスだけ」


 ジレーヌの目が、フローレンスを射抜いた。純粋な殺意。二人の間に流れる空気が尋常ではないことだけは、エルザにも分かった。

 状況は依然として最悪だった。前にジレーヌ、後ろに兵士。ドラコは万全ではない。フローレンスは姉との対峙で冷静さを欠いている。

 フローレンスが、唇を一文字に結んだ。決意を固めた顔だった。


「ドラコ。エルザ様とベアトリクス様を連れて逃げてください」

「何を言っている」

「お姉様の相手はわたしがします。あなたは王女様を守ってください。それが、あなたの役目でしょう」


 フローレンスの声は静かだったが、その奥に覚悟が宿っていた。姉を相手に、一人で残る覚悟。仲間を逃がすために。


「駄目だ」


 ドラコの返答は、即座だった。声にはいつもの軽さがなかった。


「仲間は、見捨てない」


 短い言葉だった。だがその五文字には、一切の迷いがなかった。ギルバートに誓った約束。エルザを守ること。だが同時に、ドラコにはもう一つの誓いがある。共に冒険をしてきた仲間を、決して見捨てないこと。どちらか一方を選ぶことなど、この魔王にはできない。

 フローレンスは一瞬、目を見開いた。そして小さく息を吐いた。呆れと、そしてどこか嬉しそうな色が混じった吐息。分かっていた。この人がそう言うことは、最初から分かっていた。

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