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ブラッディ―メイデン  作者: しましまましま


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第16話 殺意

「エルザ、ベアトリクス。オレの後ろにつけ。フロー、退路を開けてくれ」

「了解です」


 フローレンスが即座に動いた。小型の短銃を両手で構え、部屋の出口に最も近い位置にいた兵士二人に向けて連射する。弾丸が肩と太ももを撃ち抜き、二人の兵士がよろめいた。殺さない。動きを止めるだけだ。吸血鬼の再生力で数秒後には回復するが、その数秒があればいい。

 ドラコもまた銃を構え、ドルメロに向かって一発撃った。牽制だ。ドルメロは咄嗟に身を翻し、弾丸はかろうじて幕をかすめた。その隙にドラコはエルザの腕を掴み、走り出す。

 ベアトリクスが反射的にエルザの反対側の手を取った。二人でエルザを挟むように、出口へと駆ける。フローレンスが開けた一瞬の道を、四人は走り抜けた。


「追え! 逃がすな!」


 ドルメロの怒声が背後から追いかけてくる。倒れた兵士たちがすでに立ち上がり、他の兵士たちと共に廊下へと殺到してくる。吸血鬼の回復力は、想定通り速かった。

 廊下を走る。来た時と同じ道を逆に辿る。薄暗い廊下に遮光の幕。燭台の灯りが揺れる中を、四人の影が駆け抜けていく。

 背後から複数の足音。吸血鬼の脚力で、少しずつ距離が詰まっている。


「右だ」


 ドラコが叫んだ。廊下の分かれ道で右に曲がり、さらに走る。来た道を覚えている。この先に広間があり、その先に宮殿の正面入口がある。

 広間に出た。天井の高い、石柱が並ぶ空間。ここにも兵士がいたが、まだ事態を把握していない。フローレンスが短銃の銃把じゅうはで一人の手首を打ち剣を落とさせ、ドラコが肩で別の兵士を押しのけた。吸血鬼の膂力りょりょくで、甲冑ごと軽々と吹き飛ぶ。

 ベアトリクスは走りながら、自分の足が以前より速いことに気づいた。吸血鬼になった体。人間だった頃なら息が上がっていたはずの全力疾走が、まだ余裕がある。自分の身体が変わってしまったことの実感が、こんな形で訪れるとは思わなかった。

 正面入口が見えた。大きな両開きの扉。光が漏れている。外は日が照っている。吸血鬼にとっては危険だが、追手も吸血鬼だ。


「門まで走ります。車はまだ城門の外にある」


 フローレンスが叫んだ。

 扉を押し開けた。陽光が流れ込み、ドラコとフローレンスが目を細めた。ベアトリクスも肌がちりちりと焼けるような感覚を覚えたが、耐えられないほどではなかった。

 宮殿の外に出た。石畳の広場を横切り、城門に向かって走る。太陽が高く昇っている。追手の吸血鬼兵士たちは宮殿の扉前で足を止めた。日光を恐れている。だが数人の兵士が顔を歪めながらも日の光の下に飛び出してきた。中級以上の吸血鬼だ。日光では死なない。

 城門が近い。門の向こうに、蒸気自動車の車体が見える。あと少し。

 その時だった。

 ドラコの体が、突然動いた。

 走っていた足を止め、エルザの腕を引き、自分の背中にエルザを庇うように体を回転させた。それは一切の予兆のない動きだった。何かに気づいたのではない。何かを感じたのだ。吸血鬼としての感覚が、常人には知覚できないものを捉えた。

 殺意。

 遠くから、確かな殺意がエルザに向かって飛んできている。


「エルザ、伏せろ!」


 叫びながら、ドラコはエルザの上に覆いかぶさった。自分の体を盾にするように。何が来るのか分からない。だが、守る。それだけは、絶対に。

 風を切る音が聞こえた。非常に速い、鋭い風切り音。弾丸ではない。弾丸よりも太く、重い何かが、空気を裂いて飛んでくる。

 矢だった。

 一本の矢が、恐ろしいほどの精度でエルザの頭部を狙って飛来した。遥か遠方からの射撃。尋常な射手ではなかった。

 矢はエルザに届かなかった。

 ドラコの後頭部に、突き刺さった。

 鈍い音。肉を貫く、湿った衝撃音。矢の穂先ほさきがドラコの後頭部を貫通し、白い長髪が赤く染まっていく。

 ドラコの体が、エルザの上で崩れた。紅い瞳から光が消え、両腕の力が抜ける。そのまま石畳の上に、重い音を立てて倒れた。動かなくなった。


「ドラコ!!」


 エルザの悲鳴が城門前の広場に響き渡った。また。また目の前でこの人が倒れた。自分を守って。あの宿屋の時と同じだ。首を落とされた時と同じだ。何度、この人は自分のために血を流すのか。

 エルザはドラコの体が駆け寄ろうとした。後頭部に突き刺さった矢が見える。血が石畳に広がっていく。頭部への攻撃。首を斬られた時は生きていた。でも、頭を貫かれたら。脳を損傷していたら。吸血鬼でも、まさか。

 フローレンスがエルザの肩を掴み、引き戻した。


「エルザ様、動かないで」


 厳しい声。だがフローレンスの視線はドラコには向いていなかった。ドラコの後頭部に突き刺さっている矢を見ていた。その矢を、凝視していた。

 長い矢だった。木製の軸に、白い羽根飾り。そして穂先は特徴的な三枚刃。フローレンスの紅い瞳が、驚愕に見開かれた。

 あの矢を知っている。忘れるはずがない。かつて、自分が最も近くで見ていた弓使いの矢。幼い頃から、その背中を追いかけ、その射撃を誰よりも間近で見てきた人の矢。


「まさか」


 フローレンスの唇が震えた。感情を見せないはずのこの人が。あの宿屋で店主夫婦の死を確認した時でさえ崩れなった冷静さが、今、音を立てて崩れていく。

 フローレンスは矢が飛んできた方角に向かって振り返った。城壁の上。宮殿の屋上に繋がる塔の最上部。逆光の中に、一つの人影が立っていた。

 長い金色の髪。長く尖った耳。エルフだ。手には、身の丈ほどもある大きな長弓を携えている。遥か遠方から、走る標的の頭部を正確に狙い撃つ。人間離れした精度。いや、エルフであっても並大抵の射手にできる芸当ではない。

 風が吹き、だが左の頬に、一筋の古い傷跡がある。

 その人影の瞳は、紅くなかった。薄い緑色。吸血鬼ではないエルフが、吸血鬼たちの側にいる。

 フローレンスの喉から、声が漏れた。震える声。何百年も会っていなかったわけではない。つい最近まで、その存在を意識していたはずだ。だが、こんな場所で、こんな形で再会するとは思っていなかった。


「お姉様……」


 それは、妹の声だった。

 吸血鬼の医師でも、熟練の狙撃手でもない。冷静な仮面を脱ぎ捨てた、ただの妹の声だった。

 塔の上のエルフは弓を下ろさなかった。次の矢をすでにつがえている。

 追手の吸血鬼兵士たちが、日光に怯みながらも近づいてくる。倒れたドラコ。動揺するフローレンス。丸腰のエルザとベアトリクス。そして、塔の上から見下ろす射手。

 状況は、絶望的だった。

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