第13話 警戒
車は街道を走り続けていた。
朝の光が窓から差し込み、車内を柔らかく照らしている。ドラコとフローレンスは前の座席で黙ったまま、時折計器盤に目を落としている。エルザとベアトリクスは後部座席で並んで座り、流れていく景色を眺めていた。
畑と牧草地が交互に続く平原。時折、石造りの小さな村が見える。どの村にも異変は見当たらない。穏やかな朝だった。あの宮殿が地獄に変わった夜が、まるで嘘のように。
しばらくの沈黙の後、エルザがふと口を開いた。
「フローレンス。一つ聞いてもいいですか」
「はい、何でしょう。エルザ様」
「荷台に積まれている棺は、何なのですか」
気になっていた。あの大きな黒い棺。宿屋に入ってきた時からずっと背負っていた。棺と聞いて真っ先に思い浮かぶのは死者を納めるものだが、フローレンスの態度からはそういう悲壮さは感じられなかった。大切なもの、というよりは、守るべきものを運んでいるような雰囲気だった。
「棺については、いずれ分かります。今はまだ、説明が難しいので」
フローレンスの返事は丁寧だったが、はぐらかしているのは明らかだった。ただ、その声にはどこか優しさがあった。隠しているのではなく、今はまだ説明する時ではないと判断しているのだろう。それ以上踏み込むべきではないと、エルザは口を閉じた。
代わりにドラコが口を開いた。こちらは遠慮がない。
「いつから眠っているんだ」
「一昨日までは起きていました。ですが、襲撃の調査で各地を回った疲れからか、それ以降ずっと眠ったままです」
「そうか。……まあ、あいつのことだ。起きたら起きたで騒がしくなるだろうが」
「それは間違いありませんね」
フローレンスの口元が、ほんの僅かに緩んだ。普段のクールな表情からは想像できない。微かな笑み。棺の中の仲間を思い浮かべているのだろう。
ドラコの口調はどこか柔らかかった。棺の中で眠る誰かを、親しい者として気にかけている。その会話には、エルザとベアトリクスにはまだ知り得ない長い歴史が横たわっていた。
「……棺の中に、誰かがいるのですか」
ベアトリクスが、小さく呟いた。
「はい。大切なお方です。心配は要りません、ベアトリクス様。目覚めれば、自己紹介してくれるでしょう」
フローレンスは前を見たまま、淡々と答えた。それ以上の説明はなかった。
それから数時間、車は走り続けた。エルザとベアトリクスは交互にうとうとしながら、体を休めた。完全に眠ることはできなかったが、少しでも体力を回復しておかなければならない。
ベアトリクスは目を覚ますたびに、窓の外を見た。太陽の光が眩しい。吸血鬼になったことで日光に弱くなっているはずだが、今のところ車内にいる限りは問題なさそうだった。だが直射日光の下に長時間いたらどうなるのか、想像すると怖かった。
ドラコは助手席で目を閉じていたが、眠っているわけではないだろう。耳だけは外に向けている。フローレンスは一度も休まず、正確なハンドルさばきで車を走らせ続けた。エルフの体力なのか、吸血鬼の体力なのか、疲れの色は一切見せなかった。
やがて、前方に大きな街並みが見え始めた。
石造りの城壁が連なり、その奥に尖塔が何本も突き出ている。城壁の上には旗がはためき、門の前には衛兵の姿が見えた。ヴェンツェル王国の首都イルドブルとはまた違った、堅牢で重厚な印象の街だった。城壁の石は黒みがかった灰色で、まるで要塞のようだ。
「テオドル王国の首都、シュクレです」
フローレンスが静かに告げた。エルザは窓から身を乗り出すようにして街を見つめた。父から話には聞いていたが、実際に訪れるのは初めてだった。
車を城門の手前で停め、四人は降りた。門の前には四人の兵士が立っている。鎧に紋章が刻まれた正規兵だ。その目が、すぐにドラコとフローレンスに向いた。
ドラコの紅い瞳。フローレンスの紅い瞳と長く尖った耳。人間ではないことは一目で分かる。
兵士たちの手が、即座に剣の柄にかかった。
「止まれ。何者だ」
先頭の兵士が鋭い声を上げた。
ドラコは軍服の胸元から記章を取り出した。宿屋で見せたものと同じ、帝国軍の証だ。フローレンスも同様に、鞄から記章を出して掲げた。
「ドルメロ国王に面会したい」
ドラコが低い声で告げた。だが、兵士たちの表情は変わらなかった。記章を一瞥しただけで、剣の柄から手を離さない。
「記章は確認した。だが、吸血鬼は通せん。テオドル王国の法に従え」
「法だと」
「四年前にドルメロ陛下が即位されて以降、吸血鬼の宮殿への立ち入りは禁じられている。例外は認められない」
四人の兵士が剣の柄に手をかけたまま、一歩も引かない。帝国軍の記章があっても揺るがない態度は、この法律がよほど厳しく徹底されていることを意味していた。
ドラコの目が細くなった。四年前。ドルメロが国王になったのは、自分が眠りについた後のことだ。知らない法律が作られていても不思議ではないが、吸血鬼を名指しで排除する法律というのは穏やかではない。ギルバートの同盟国が、吸血鬼を排斥している。嫌な予感がした。
フローレンスが小声でドラコに耳打ちした。
「……おかしいですね。ギルバート様が王の時代には、このような法はありませんでした。同盟国であるヴェンツェル王国が吸血鬼を敵視する法を歓迎するとは思えません」
「ああ。引っかかるな。ギルバートが生きていた頃のテオドルとは、何かが違う」
二人の間に、明確な警戒の色が浮かんだ。だが今は門を通ることが先決だ。
「わたくしはヴェンツェル王国の王女、エルザ・ヴェンツェルです」
エルザが一歩前に出た。声には王女としての威厳が込められていた。兵士たちの視線がエルザに集まる。
「ドルメロ国王に、至急お伝えしたいことがございます。ヴェンツェル王国で起きた事態について、直接お話しする必要があります」
兵士たちの間に動揺が走った。ヴェンツェル王国の王女、同盟国の王族だ。門前で追い返すわけにはいかない。だが、連れている三人は吸血鬼だ。法を守るか、外交を優先するか。先頭の兵士が他の兵士と目配せし、しばらく何か相談していた。
「……王女殿下のみ、お通しいたします。吸血鬼の三名は宮殿の外でお待ちいただく」
「それでは意味がありません。この者たちはわたくしの護衛です。ヴェンツェル王国は、襲撃を受けました。護衛なしで宮殿に入ることはできません」
エルザの声は毅然としていた。交渉に慣れているわけではない。だが、父の背中を見て育った王女だ。譲れない一線がどこにあるかは知っている。そしてもう一つ。昨夜の経験が、エルザを変えていた。守ってくれる者がいなければどうなるか、身をもって知っている。ドラコとフローレンス、そしてベアトリクスなしでは、この宮殿に入る気にはなれなかった。
兵士たちは再び顔を見合わせ、やがて渋い表情で頷いた。
「……分かりました。ただし、宮殿内での武器の携帯は禁止です。銃を預けていただきます」
ドラコは一瞬、フローレンスと視線を交わした。武器を手放すのは危険だ。だがここで揉めれば門前払いになりかねない。
「分かった」
ドラコが散弾銃を兵士に渡した。フローレンスも狙撃銃を預けた。ベアトリクスは拳銃を渡す際に躊躇ったが、エルザの目を見て静かに手放した。唯一の武器を失う不安が顔に出ていたが、エルザがそっとベアトリクスの腕に触れた。大丈夫、とその手が伝えていた。




