第11話 エルフの吸血鬼
エルフの女性は、狙撃銃を肩にかけたまま宿屋の中に入ってきた。
背中には自分の体ほどもある大きな黒い棺を担ぎ、肩には黒い鞄をかけている。棺と鞄と狙撃銃。その異様な荷物を、まるで重さを感じていないかのように軽々と運んでいた。血まみれの床を一瞥しても眉一つ動かさない。この光景に慣れている者の態度だった。
ベアトリクスが拳銃を向けたままだった。エルフの吸血鬼。先ほどの狙撃を放った張本人。味方なのか敵なのか、判断がつかない。だがドラコが名前を呼んだ。
「フローレンス。来てくれたのか」
ドラコの首が、エルザの腕の中から声を出した。首だけの状態で名前を呼ぶその光景に、エルザは未だに慣れない。
「はい。あなたを探すのに苦労しました。……まったく、目を離すとすぐこれですね」
フローレンスと呼ばれた女性は、呆れた顔のまま棺と鞄を床に下ろし、エルザの前にしゃがみ込んだ。
「失礼。その頭、お借りします」
事務的な口調でエルザからドラコの頭部を受け取ると、首のない体のところへと運んでいく。ドラコの体を仰向けにし、切断面を合わせるように頭部を首の上に置いた。迷いのない手つきだった。何度もこの作業をしたことがあるかのような。
数秒の沈黙。やがて切断面から肉と皮膚が繋がっていくのが見えた。吸血鬼の再生力だ。エルザは思わず目を背けそうになったが、見届けなければいけないと思いなおした。ベアトリクスも息を呑んで見つめている。
ドラコの指先がぴくりと動き、ゆっくりと上体を起こし、首を左右に回した。まだぎこちない動きだったが、繋がってはいるらしい。腹に刺さっていた短剣はフローレンスがすでに抜いており、そちらの傷も塞がり始めていた。
「……調子に乗って油断した。申し訳ない」
ドラコの声には、いつもの不敵さがなかった。本当に反省している顔だった。エルザを、ベアトリクスを、危険にさらした。自分が守ると誓ったのに。その自責が、短い言葉の中にはっきりと滲んでいた。
「反省しているなら、次から気をつけてください。あなたが倒れたら、この子たちを守れる者がいなくなります」
フローレンスの声は冷たかったが、そこに込められているのは怒りではなく、心配だった。長い付き合いなのだろう。言葉は厳しいが、ドラコの無事を確認できた安堵が声の端々ににじんでいる。ドラコはそれを分かっているのか、素直に頷いた。
フローレンスは黒い鞄を開き、中から医療器具を取り出した。聴診器、小さな手鏡、包帯、そして細い銀の器具がいくつか。鞄の中身は整然と並べられており、すぐに必要なものが取り出せるようになっている。長年使い込まれた、医師の鞄だった。
フローレンスは店主夫婦のもとへ歩み寄り、膝をつくと、聴診器を当てた。店主の胸に耳を澄ませ、次に妻の胸へ。長い耳が微かに動いている。エルフの聴覚で、人間の聴診器よりも遥かに正確に聞き取っているのだろう。どちらにも、もう心音はないはずだ。それでもフローレンスは丁寧に確認し、静かに聴診器を外した。
「……二人とも、亡くなっています」
分かりきっていたことだった。それでも、医師としての確認を怠らなかった。
エルフが医師であること自体が珍しい。エルフは長寿の種族だ。人間の何倍もの時を生きる彼らにとって、命の価値は人間とは少し異なる。短い命を必死に繋ぎ止めようとする人間の医術に、多くのエルフは関心を持たない。それなのに、このエルフは医師の道を選んだ。しかも吸血鬼でありながら。命を奪う側の存在が、命を救う術を持っている。その矛盾を、フローレンスは自ら選び取ったのだ。
その姿勢に、エルザは胸を打たれた。
フローレンスが静かに目をつむった。ドラコも同じように目を閉じる。
数秒の黙祷。名前も知らない店主夫婦への、短いが確かな弔いだった。
エルザも目を閉じた。この人たちは、自分たちを泊めてくれた。渋々だったかもしれない。でも、鍵を渡してくれた。それなのに。
ベアトリクスは目を閉じなかった。誰かが周囲を警戒していなければならない。だが、拳銃を握る手に力が込められた。自分たちがここに来なければ、この人たちは殺されなかったかもしれない。
やがてフローレンスが目を開き、立ち上がった。そしてエルザとベアトリクスの顔をじっと見つめた。
エルザの顔、次にベアトリクスの顔。そしてベアトリクスの瞳で、フローレンスの目が止まった。
紅い瞳。
フローレンスの表情が、初めて変わった。クールな仮面の下から、明確な驚きが覗いた。
「……ドラコ」
低い声。静かだが、鋭い。
「この子の瞳。説明してもらえますか」
ドラコは、観念したように小さく息を吐いた。
「宮殿で、このメイドが毒の短剣で斬られた。手遅れの状態だった。オレが吸血して毒を消し、命を救った。結果、吸血症を発症した」
簡潔な説明。事実だけを並べた、ドラコらしい話し方だった。だがフローレンスの目が、鋭くなった。
「あなたが、あなた自身の判断で」
「エルザの同意は得た。だが、本人の同意はない。意識がなかった。緊急だった」
「緊急だったとしても、吸血による転化がどれほどの代償を伴うか、あなたは知っているはずです。体質の変化、食性の変化、寿命の変化。人間としての生活が根本から覆される。それを、意識のない子供に」
フローレンスの声に、初めて感情が混じった。怒りに近い何か。たとえ命を救うためであっても容易く肯定できるものではない。
「……ああ。分かっている」
ドラコは目を伏せた。反論はしなかった。フローレンスの言葉が正しいことは、ドラコ自身が一番よく分かっているのだ。
フローレンスはしばらくドラコを睨むように見つめていたが、やがて小さく息を吐いた。責めても時は戻らない。それよりも、今この子に何ができるかを考えるべきだ。そう切り替えたのだろう。視線をベアトリクスに向けた。紅い瞳を、医師の目で観察している。
「……名前は」
「ベアトリクスです」
「ベアトリクス様。一つ聞かせてください」
フローレンスはベアトリクスの前にしゃがみ込み、目線を合わせた。クールな顔たちの中に、真剣さが宿っている。
「あなたは吸血鬼になりました。元には戻れません。これからの暮らしは、人間だった頃とは全く違うものになります。食べるもの、日光への耐性。体の仕組みそのものが変わる。それを分かった上で聞きます。あなたは、吸血鬼としてやっていけますか?」




