最後の晩餐
ユキからの連絡が途絶えてから一日、タイキは極度の焦燥感に苛まれていた。ユキのメッセージにあった「すべて」という言葉が、彼の頭から離れない。
(チセは本当に、コジマ部長との不正まで知ったのか?もしそうなら、俺の人生は終わりだ)
タイキはミチコに電話をかけるが、電源は入っていない。ミチコは私の指示通り、タイキを完全に拒絶している。彼は今、完全に孤立し、自分の不正が露見する恐怖と、妻への疑念に押し潰されそうになっていた。
そんな彼が帰宅したリビングで、テーブルの上に置かれた私の封書を見つけた時の絶望を、私は想像して楽しんでいた。
封書には、ミチコさんを交えての「大事な話し合い」の最終通告。場所は、都心の高層ホテルにある最上階のスイートルーム。
私は、彼の「完璧な人生」を終わらせる舞台を、すでに完璧にセットしていたのだ。
約束の19時。私はスイートルームの中央にある長いダイニングテーブルに座っていた。最高級のワインと、豪華な料理。この席は、タイキの死刑台であり、私たちの最後の晩餐だ。
タイキは、ドアを開けた瞬間、部屋の豪華さと、先に座っているミチコの姿を見て、恐怖で息を呑んだ。ミチコの顔色は蒼白で、タイキと視線を合わせようとしない。
「チセ、どういうことだ?キャリアに関する話って…なぜミチコまで?」タイキは警戒心を露わにした。
「座って、タイキ。これが、あなたの人生の『人事評価』よ。まずはワインでもどうぞ」
タイキが抵抗できずに椅子に座ると、私は静かに切り出した。
「単刀直入に言うわ。あなたがユキさんと金銭を伴う関係にあったこと。そして、私の友人であるミチコさんが、その不貞を手引きしていたこと。すべて知っているわ」
私は、まずユキとのメッセージのスクリーンショット、自宅の寝室で撮られたユキの写真、そして探偵が撮影したユキとタイキの密会写真と送金記録をテーブルに置いた。タイキは、顔の血の気を失い、言葉を失った。
「ち、チセ…これは誤解だ!ユキは、俺に近づいてきただけで…」タイキはミチコに助けを求めるように視線を送った。
「ミチコ!お前からも何か言ってくれ!チセは勘違いしている!」
ミチコは私の一瞥に怯え、タイキを裏切る芝居を続けた。
「タイキ、もうやめて。私はもう、あなたの嘘に付き合えないわ。チセの言っていることは正しい。私はあなたがチセを裏切っているのを知っていた。でも、もう隠せないわ」ミチコは、タイキへの罪悪感を、私への恐怖で上塗りした。
タイキは完全に孤立した。愛人にも親友にまで突き放され、彼は今、世界で一人になった。
私は、追い詰められたタイキに、最後の、そして最も冷酷な一撃を与えた。
「あなたの不貞は、個人的な問題として片づけるつもりだったわ。でも、あなたは、私が人事部として関わっている仕事にまで、裏切りを持ち込んだ」
私は、タイキの眼前で、彼のキャリアを完全に崩壊させる決定的な証拠を突きつけた。
それは、タイキがコジマ部長へ賄賂を渡したことを示す、経費監査で合法的に入手した証拠のコピーだった。振込履歴、不自然な「業務委託費」の計上、そして大型プロジェクトの報告書の数字の「ズレ」を指摘した監査メモ。
「タイキ。あなたは、去年の大型プロジェクトの報告書で重大なミスを犯し、それをコジマ部長に賄賂を渡して揉み消した。これは、業務上の重大な不正よ」
タイキは絶望的な顔で資料を見た。「人事部の監査で、なぜ…」
「私はあなたの妻であると同時に、人事部員よ。あなたの経費報告の不透明さは、人事部の監査で合法的に把握したわ。コジマ部長は巻き込まない。彼は私に怯え、あなたの管理責任を追及されることを恐れて、すでにあなたとの一切の関係を否定しているわ」
私はタイキの前に離婚届と、高額な慰謝料の請求書を差し出した。
「サインなさい、タイキ。あなたのすべての不貞行為、そして業務上の不正の証拠は、私の手元にある。あなたが今すぐサインし、会社を自主退職するなら、この不正のリークは、私が会社に提出する『離婚申請の書類』の中に留めておく。あなたのキャリアは終わるけれど、社会的な破滅は避けられる」
「もし拒否すれば、私は今すぐ、この証拠を社内の全取締役、そして主要な取引先に送りつける。あなたは会社から懲戒解雇され、業界から永久追放されるわ」
タイキは、震える手で、顔を覆った。彼の誇り、キャリア、そして世間体。私が狙い撃ちにしたのは、彼にとって最も大切なものだった。ミチコは、私の冷酷さに怯えながら、一言も発することができない。
タイキは、もはや抵抗する気力もなかった。彼はペンを手に取り、ゆっくりと、しかし確実に、離婚届に署名した。彼の「完璧な人生」は、この瞬間に終焉を迎えた。
私はサインされた書類を静かに受け取り、立ち上がった。
「これで、すべて終わりよ。タイキ、あなたは明日、会社に自主退職届を提出しなさい。ミチコさん、あなたの秘密は守るわ。でも、タイキとの接触は一切禁止よ」
私は、完全に打ちのめされたタイキ、そして恐怖に怯えるミチコを残し、スイートルームを後にした。
翌日、タイキは会社に退職届を提出した。彼の突然の退職は社内で大きな話題になったが、理由は「健康上の理由」とされた。彼の輝かしいキャリアは、愛する妻によって、音もなく、静かに、そして完全に破壊されたのだ。
ミチコは人事部員としての地位は守られたが、私に完全に支配された状態で生きていく。彼女の心には、親友を裏切り、タイキを見捨てた罪悪感、そして私への恐怖が常に付きまとうだろう。
私は、自宅で、タイキが残していった私物を静かに整理した。
私の心には、もはや憎しみも、悲しみもなかった。ただ、愛と信頼を裏切った者たちへの、完璧な裁きをやり遂げたという、冷たい達成感だけが残っていた。
私は窓の外に広がる、光り輝く街並みを見下ろした。
「大丈夫。彼らには、この世で一番辛い"地獄"をプレゼントして差し上げましたから」
私は、新しい人生の扉を開けた。その顔には、かつて「完璧な妻」として見せていた優しさではなく、冷徹な復讐者としての静かな決意が刻み込まれていた。




