[28] イアン村へ――古守の樫の木 ②
「フィリップ様、何かあったのですか?」
フィリップは馬を降りると、私とキャンディの間を割って入ってきた。
「ピオニー嬢、ご無事ですか? こいつに何かされてませんか」
「……え?」
私が答える前に、フィリップは私の手を取り、ワルツを踊るように回転させ、私の全身を見た。
「うむ。今のところ、ご無事のようだ。いや、隠れているところに何かあるかもしれない」
フィリップはそう言うと、再び私を回転させようとしたが、キャンディが私を奪って、止めた。
「お前は、バカか。ピオニー、大丈夫か? こいつは、脚をケガしてるんだぞ」
フィリップはハッとして、私に跪いた。
「そうでした。大変失礼いたしました。お許しください」
「大丈夫です。それより、何かあったのですか?」
私が尋ねると、フィリップはキョトンとした顔で私を見た。
私は困って、ヴィルヘルムを見た。
「ええ、と……フィリップ様がピオニー様を心配されまして……居ても立ってもおられぬと言い、ヘルマの馬を奪いました」
はあ? どういうこと?
私はヴィルヘルムの言葉を頭の中で並べ直した。
キャンディが噴き出して大声で笑うと、フィリップは立ち上がって、再び、キャンディに剣を向けた。
ああ、またか……なんて面倒くさい人たちなの?
「失礼な。令嬢の安否を気遣って、何がおかしい」
「だっておかしいだろ? 俺の」
私は思わず額を押さえた。
「キャンディ! 少し黙って」
気づけば、声が荒くなっていた。
キャンディは驚いて目を丸くしたが、口はつぐんだ。
「フィリップ様、異常は無いのですね? 馬車は、もうすぐ追いつきますか?」
「……はい、仰る通りです。かえって、ご心配をお掛けし、申し訳ございません」
フィリップは剣を鞘に納め、神妙な顔つきで私に頭を下げた。
今度は、後ろにいたヴィルヘルムの口元が緩み、元に戻せないでいた。
「フィリップ様、ロー執事の備忘録は、馬車の中ですか?」
「ええ、そうです」
「確認したいことがあります。馬車にまた乗せていただきますね」
フィリップは、満面に笑みをたたえた。
「もちろんです」
「じゃあ、俺も」
キャンディが言うと、フィリップが睨む。
「ふざけるな。お前が座る席などない」
馬車が到着し、フィリップはヘルマに馬を返した。
私はフィリップにエスコートされ、馬車に乗った。
「フィリップ様、備忘録をお貸しいただけますか?」
私はフィリップから備忘録を受け取り、書き込みのある最後のページを捲った。
10日前だった。しかし、日付の他に何も書かれていない。
その前の書き込みは20日ほど前で、使用人たちで掃除をしたことが書かれている。
その前も。また、その前も、主が居ない屋敷の掃除の書き込みだけ。
肝心なことは、事情があって書けなかったのかしら。
私がそう思いながらページを捲っている間、アンナがジャンに話しかけていた。
「ジャンは、な、何が好きですか。算数? 国語?」
「算数とお絵描きと草花」
「く、草花? イアン村にはいろいろな草花があるんですよ」
「そうなの? とても楽しみです。苔もたくさんありますか」
「苔? 苔が好きなの?」
「はい。大好きです」
「そ、それは将来有望です! 是非、一緒に観察しましょう!」
アンナは喜び、ジャンは微笑んだ。
私はホッとした。
少なくとも、今は。
「あ! 古守の樫の木が見えてきました! もうすぐ、イアン村です」
アンナが窓から顔を出し、嬉しそうに声を弾ませた。
とてつもなく大きな樫の木が立っていた。
「ちょっと、降りてみましょうか」
私は、アンナとジャンを誘った。
フィリップは頷き、従者に合図を出した。
従者は、古守の樫の木の周辺を探索した。
特に問題が無いことがわかり、私たちは馬車から降りた。
ジャンはアンナの手を引き、樫の木まで走った。
その後ろをマリアドネがついて行く。
古守の樫の木の幹は太く、枝は四方へ広がり、まるで巨大な腕が空を抱え込んでいるようだった。
枝は地面近くまで垂れ下がり、その下には小さな広場のような影ができている。
枝はあらゆる方向に向かって伸びており、一度地中にもぐって、再び地上に顔を出している枝がいくつもあった。
「壮観ね」
まるでこの場所に言わされたみたいに、私は呟いていた。
「ピオニーお姉さん、この苔はミストリンモスコスっていうんだよ」
ジャンが、樫の木の太い幹に張りついた銀色の苔を指さした。
枝葉の陰で、月の欠片のような淡い光を帯びていた。
古守の樫の木の幹は、その光を静かに纏い、長い年月を知る番人のようにそこに立っていた。
「ジャン、ミストリンモスコスを採取する時に気を付けることは何か、知ってますか?」
アンナが確かめるように尋ねた。
「もちろん! 満月の夜に採取すること!」
「そう! ジャンの言う通りです。近々、満月ですし、一緒に採取にきましょう!」
「……アンナさん、あなた、吃音が治っているようだけど」
私の言葉にアンナは、目を見開いた。
そして、すぐに暗い顔をして、俯いた。
「実は、王都では、わざと吃音者のふりを……申し訳ございません」
アンナは勢いよく頭を下げた。
「どうして、そんなことを?」
「……学内の政治に巻き込まれるのが嫌で」
「でも、その代わり、苛めに遭ったでしょう?」
私は、アンナと最初に会った時を思い出した。
アンナの制服には、赤いインクが大きく染み広がっていた。
「苛めのほうがましです。私一人の問題ですもん。政治だと家族も巻き込まれますから」
私は言葉を失った。返す言葉が見つからなかった。
「賢いですね。アンナ嬢は」
フィリップがアンナを褒めるとアンナは両手をぱたぱたと振った。
「とんでもない! 嘘ついていたのに褒められるなんて、困ります! それより、皆さん、そろそろ、馬車に戻りましょう」
その時だった。
古守の樫の木が揺れ、ミストリンモスコスがふわりと宙を舞った。
葉を三枚ほどつけた小枝が、ジャンの頭の上に落ちてきた。
「あれ?」
ジャンは頭上の小枝をそっと取った。
「選ばれましたね! ジャン」
「そうなの?」
「はい、そのような言い伝えがあります。詳しくは村に着いてから話しますね。まずは、その小枝と葉は大事に取っておくのがおススメですよ」
アンナの言葉にジャンの顔が一気に晴れやかになった。
「良かったわね、ジャン」
私まで嬉しくなってしまった。
ジャンは「うん!」と元気よく頷き、小枝を宝物のように握りしめた。




