[28] イアン村へ――古守の樫の木 ①
テンマが地を蹴るたび、胸がすっと開け、清々しい風が頬を抜けていく。
今までの気鬱な出来事を忘れてしまいそうになる。
だが、私には許されない。
私はキャンディに尋ねた。
「王都は、どうなってる?」
「実は、数日前から貴族の賭場で狂人が出たと噂になっていた」
「賭場だけ?」
「そうだ。すぐに治安部隊と赤の騎士団が出張ってきたよ」
「警備隊じゃないの?」
「ああ。治安部隊だ。既に、何が起こっているのかわかっているってことだろう」
「第2王子の青の騎士団はどうしてるの?」
「これには関わってねぇな」
国王は、第1王子のテオイに花を持たせる気なのだろうか。
「平民に被害は?」
「……わからん。箝口令が敷かれている」
「薬の元締めはわかった?」
「いいや、まだだ。だが、14番倉庫の黒ずくめはわかったぜ」
「え? 誰だったの?」
「治安部隊長、アドルフ・ベルジック侯爵」
私は息を呑んだ。
名前を聞いただけで、血の気が引いていく。
14番倉庫では、声がくぐもっていて気づかなかった。
――また、あの男だ。
1度目も、2度目も。
「お前は、本当に便利な駒だったよ」
アドルフの声が、今も耳の奥に残っている。
「ピオニー、どうした? 大丈夫か?」
キャンディの声で、私ははっと我に返った。
「ええ、大丈夫よ」
「膝が痛むんじゃないのか?」
少し引きずっていただけなのに。
キャンディの観察力は相変わらず鋭い。
「後ろは、だいぶ差がついたな。この先で休憩しよう。影たちも待ってる」
私は素直に頷いた。
「キャンディは、体調はどう?」
「さっき、見ただろう? すっかり良くなった」
キャンディの穏やかな声に、張りつめていた体の力が抜けた。
キャンディを修道院の地下牢で見つけた時には、こんな日が来るとは思わなかった。
「あの時……助けてもらった時のことは、この件が落ち着いたら、話す」
「無理に話さなくてもいいのよ」
「……俺が話したいんだ」
その言葉を聞いた瞬間、鼻の奥がツンと痛んだ。
私は手綱を握り直した。
キャンディにバレないように、私はそっと鼻をすすった。
木陰の青く茂った草むらをならし、私とキャンディは寝そべった。
青空に薄く白い雲が流れていく。
王都とは何もかも違う。
私は、大きく深呼吸した。
「少しは気が晴れたか」
キャンディが私の頭を優しく撫でる。
それだけの行為なのに、胸の奥がふっと軽くなった。
私は、空から視線を逸らした。
「影、次の村には、人は居た?」
影の3人は、既に木の上に控えていた。
「いいえ。廃村になってました」
1番が答える。
「『あれ』の形跡はあった?」
「いいえ。ですが、村長の日誌を手に入れました」
私は起き上がって、1番から日誌を受け取り、最後のページを開いた。
「……8日前の日付だわ」
「何て書いてある?」
キャンディが私の肩から覗く。
「ロー執事から、村から出るように言われ、みな、ただならぬ話に面食らった。早く逃げなければ、とあるわ」
「ただならぬ話?」
「ん……小さい字で書いてある、ルディが戻ってきた。生気なし。薬をあおる。目の焦点が合わない、って」
「戻ってきた? 誰と?」
「それは書いてないわ」
一人で戻ってきたのか? それとも、誰かが連れてきたのか?
マリアドネが読んでいたロー執事の備忘録は、何日前が最後の書き込みだっただろうか。今は、フィリップが持っているから、後でもう一度、確認しなければ。
「薬は、例の薬だろうな」
キャンディが口を挟んだ。
薬をあおるぐらいだから、ルディ・デュラスは中毒者となり、普通ではなかったはずだ。
何かおかしかった。尋常じゃない何か……。
だから、執事が周囲に警告したのだろう。
「ルディ・デュラスは感染してなかったのかも」
「ああ。俺もそう思った。むしろ、感染源だな」
「感染源と知って、連れてきたのなら、許せないわ」
私は唇を噛んだ。
「イアン村はどうなっていた?」
私は、2番に尋ねた。
「村は防壁で囲まれ、出入りが制限されておりました。現在は、村の人間しか出入りできなくなっております」
「防壁? 中に入れなかったの?」
「はい、上からの見張りも多くおり、入る隙がありませんでした。申し訳ございません」
2番が頭を下げた。
私は、小さく息を吐き、体を起こした。
「どう思う?」
1番が私の問いに答える。
「イアン村は王都近郊の村と違い、先祖代々から住んでいる者が多いのです。後から領主が決まった村ですし、魔虫での苦労も多い。警戒心は人一倍強いのです。ですが、以前は、防壁はございませんでした」
2番が言葉を継ぐ。
「様子がいつもと違っておりました。領主の騎士が防壁の至る所におり、入村を制しておりました」
「……妙ね」
嫌な予感がした。
「妙なのは、あいつもだぞ」
キャンディがニヤニヤして、後方を指した。
フィリップが馬を駆り、一直線に迫ってくる。
私は立ち上がって、指示を出した。
「影、先に行ってちょうだい。イアン村に着いたら防壁周辺で待機してて。後で、入れるように手配する」
「はい、団長」
影が去るや、フィリップの馬が勢いよく駆け込んできた。
後ろのヴィルヘルムは、息を乱し、汗に濡れている。




