[25] イアン村へ――変質 ①
「頭頂から一気に斬り下ろせ!」
フィリップの叫ぶ声がした。
廊下に出ると、私の視界に5体の異形の屍が飛び込んできた。
いずれも髪は絡まり、赤く濁った目が焦点を失っている。
口元から垂れる唾液が糸を引き、喉の奥から獣じみた喘ぎ声が漏れていた。
裂けた衣服は血と煤で黒ずみ、それでも使用人の制服だと分かる。
それぞれの異形の屍は、四肢を不自然に折り曲げ、裸足で壁を蹴り、天井近くまで跳ね上がった。
次の瞬間には背後へ回り込み、伸びきった爪が風を裂いた。
そのスピードは、人の理から外れ、頭頂を狙う隙など与えなかった。
「首を落とすだけでは再生する! 頭を縦に割って魔石を除け!」
フィリップはそう言うと、自ら1体を始末した。
頭頂部は2つに切り離され、魔石はフィリップの剣で取り除かれた。
私はフィリップの反対側へ踏み込んだ。
3人がかりでも押し切れず、護衛の一人が壁へ叩きつけられる。
異形の屍は手や足のかぎ爪を使い、護衛たちに息をつく暇も与えず、攻撃してくる。
剣が火花を散らし、血飛沫が白い壁を汚す。
だが、私の目を引いたのは別の光景だった。
フィリップの使用人たちは顔色を失い、指先を震わせながらも、逃げなかった。
ナイフを握り、護衛の背後に立っている。
これは一体どういうことなのか……。
疑問には思ったが、今はそれどころではない。
私は咄嗟に走り出した。
異形の屍は振り返って私を捉え、突進してきた。
長くて鋭いかぎ爪で、私を切り裂こうとする。
私はかぎ爪をかわしながら、一瞬の隙に高く飛び、頭上から縦一線に剣を振った。
異形の屍は短く咆哮し、真っ二つに断たれた。
にもかかわらず、相変わらず起き上がろうとする。
私は異形の屍の頭の真後ろに立ち、足で頭を踏みつけ、魔石を剣で取り除いた。
途端に、動きがぴたりと止まった。
それを見た護衛たちは縦に割った頭から同じように魔石を取り、動きを封じ始めた。
どのくらい時間が経ったのだろう。
恐ろしかった異形の屍の咆哮が消えた。
私は、ようやく息を吐いた。喉の奥がひりつく。
それでも剣は、まだ下ろせなかった。
視線を巡らせると、フィリップの護衛たちも剣を下ろし、肩で息をしていた。
使用人の中には壁にもたれ、顔色を失ったまま動けずにいる者もいる。
誰も言葉を発さなかった。ただ荒い呼吸だけが、戦いの終わりを告げていた。
応接室の扉が開いた。
「ピオニー様、ご無事ですか」
応接室の中に居たマリアドネとアンナ、フィリップの護衛と使用人が出てきた。
「そっちは? 大丈夫だった?」
「はい。アンナ様の魔法で絵画の穴は塞いでおきました。廊下側は絵画だけでなく、鏡からも出てきたのですね」
マリアドネは辺りを見回し、静かに言った。
「壁の裏に隠し通路がありますね。人一人は歩けそうです」
フィリップは穴を覗こうとせず、剣先だけを穴へ差し入れて奥行きを確かめていた。
私は穴が開いていない鏡を壁から外した。
案の定、覗き穴があった。
「マジックミラーね」
私がフィリップに鏡を見せるとフィリップは眉根を寄せた。
「フィリップ様、怪我人を部屋に移しました」
護衛の報告を受け、フィリップは即座に指示を出した。
「部屋に鏡か絵画があれば取り外せ。穴があれば、塞ぐんだ。1階に鏡や絵画が無い部屋はないか?」
「フィリップ様、私たちも探してみます」
「お願いします。ただし、1階で。今は、2階以上には行かないでください」
フィリップに言われ、私はマリアドネやアンナ、フィリップの護衛たちとで部屋を見て回った。
エントランスホールに出て、階段の裏にある厨房や配膳室へ向かった。
厨房や配膳室は、壁が煉瓦で覆われていた。
鏡も絵画も飾られていない。
「ここなら、隠し通路があっても、やすやすとは壊して出てこられないかも」
私の言葉にマリアドネもうなずいた。
「窯に火をくべておけば、更にリスク回避が出来そうです」
私たちはフィリップに提案し、重傷を負った3人を配膳室に寝かせた。
怪我をした護衛騎士の一人は手を引っ掻かれ、骨が剥き出しになって血が流れ続けていた。
もう一人は弾き飛ばされ、肋骨を痛め、呼吸のたびに顔を歪めていた。
最後の一人は女性の使用人で、首に深い咬み傷があり、意識が朦朧としていた。
アンナの持参していたポーションと薬草を煎じ、応急処置をしたが、引っ掻かれた護衛騎士と首を咬まれた女性使用人は、毛布を巻いてもがたがた震えていた。
「ひ、引っ掻かれた手と、か、咬まれた首は……症状が重くなるばかりです」
小声で説明するアンナの表情が暗く沈んでいる。
私は、事態の重さを悟った。
「フィリップ様、使用人の部屋のベッドに移したほうが良いかもしれません」
私の提案を受け、フィリップは即座に指示を出した。
配膳室の隣に並ぶ使用人部屋の鏡を取り外し、穴があれば塞ぐこと。
併せて、怪我人を別々にその部屋へ移動させるよう命じた。
私はフィリップとアンナに声をかけ、配膳室の外に出て小声で話した。
「首を咬まれた女性と手を引っ搔かれた護衛は、気を付けて見ていないといけません」
「わ、私もそう思います。か、感染を疑ったほうがよいかと」
アンナの言葉にフィリップの顔が強張った。
「感染……ですか?」
「ご、ゴキブリの魔虫、ティカンと戦った人が、か、感染した時と傷の症状が似ていまして……」
アンナは言いづらそうに言葉を濁した。
私も傭兵団の仕事で何度か見たことがあった。
ポーションや薬草は効かず、血は止まらないまま高熱に見舞われて震え、死に至る。
だが、『あれ』は、死んで終わらない。
私は息を整え、言葉を選んだ。
「今の段階では憶測でしかありません。ですが、私もアンナさんと同様に感染を疑っています。感染すれば、恐らく」
私は言葉を切った。
「……私たちが戦った、『あれ』に」
「人ではない異形の……異形の屍に変わってしまうということですね」
フィリップの言葉に私は黙ってうなずいた。




