表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/3

◆中編 《漂泊飛空艇アルク・ノア》――雲海を越える逃避行

 王都空営(くうえい)局の巡察を振り切った僕らは、夜明け直前の貨客混載船〈アルク・ノア〉へ潜り込んだ。船体は風化した銅板と魔導リベットで繫がれ、蒸留魔石炉(エーテル・スティル)が腹の底で脈動している。甲板に立つだけで、心拍と同調するような鼓膜の震えを覚えた。

 「ここが安住とは限らんが、空に出れば獣も砲門もそうそう追って来られん」

 獣人(じゅうじん)少女のアーラーディ(アーラ)ヤが尻尾をゆらし、牙を白く覗かせる。彼女の褐色肌は朝霧に濡れ、首筋を一筋の汗が伝った。

 「でも風向きが乱れてるわ」

 風精術師アニラ(アニ)がローブを押さえながら眉根を寄せる。薄布の胸元が波に揺れ、思わず目を逸らすと、尖耳がかすかに震えた。

 「そ、その……視線が刺さってる」

 「悪い」僕は咳払いで誤魔化し、貨物目録を覗き込む。そこに記された赤インクの記号――〈SK〉――が嫌な既視感を呼び起こした。


 船倉へ降りる梯子は狭く、アーラの尻尾が僕の顔にふわりと触れた。

 「きゃっ、ご、誤解するなよ! 尾は勝手に動くんだ!」

 彼女が火照った頬を隠す前に、梯子の下から湿った甘い匂いが立ちのぼる。星核片(スターカイト)の匂い――重力を狂わせる禁制鉱物だ。


 積載区画の鋼扉をこじ開けると、銀灰の結晶がコンテナにぎっしり詰まれていた。水銀灯が反射し、アーラの鎖骨を幽かに照らす。

 「やっぱり……密輸ね」アニが囁き、ローブの裾を結んで結界陣を描く。

 だが僕らより早く、コンテナの上に影が降り立った。黒銀の双剣を逆手に携える青年――影勇者(かげゆうしゃ)アリヤン・ラージェンドラ。

 「久しぶりだな、永翔えいと。星を運ぶ旅は愉しいか?」

 声は懐かしさと刃の冷たさを同居させていた。


 「その鉱石を王都に落とす気か。街を沈めたいのか」

 「沈めるんじゃない。歴史を“補正”するんだ。十度目を迎える前に」

 剣戟が始まる。無頼者の口笛と蒸留炉のうなりが混ざり、船倉の重力がぶれて床板が浮く。アーラが跳び、尾で柱を掴むがスカートがめくれ、褐色の太腿があらわになった。

 「み、見るなっ!」

 ローブの裾を押さえたアニが風圧を収束させ、僕とアリヤンの間に気流の壁を張る。だが双剣が風膜を切り裂き、彼女の胸元の留め紐を弾いた。布が滑り、白い谷間が月光に浮き、アニは耳まで赤くして呪文を噛む。


 星と金の瞳を揺らしながら、アーナンダ・ヴィルヤは静かに前へ出た。透けるサリーの裾が漂い、腰のラインが淡く光る。

 「それは私の欠片よ。返して」

 掌をかざすと、スターカイトが淡金の輝きを吸われるように光を失い、ただの鉛箱へ変わった。アリヤンの双剣が震え、彼は苦い笑みを漏らす。

 「観測者の権能か……だが、まだ終わらない」

 深紅の転移陣が彼の足下へ咲き、残光だけを残して姿が消える。


 ――静寂。

 揺れるランプの下で、アーラが尻尾を垂らし、スカートの裾を握る指がまだ震えている。僕はそっと上着を肩に掛けた。

 「助かった、けど……尻尾も心臓も止まるかと思った」

 彼女が照れ隠しに尾で僕の頬を撫で、今度は僕が赤面した。


 反対側では、紐を結び直したアニがため息をつきながら薬草茶を差し出す。「のぼせたでしょ」

 湯気が立ち上り、口をつけようとした瞬間、船体が大きく傾いた。窓外に、雲を割る(あお)極光(オーロラ)――天空裂〈ゼロ・ライム〉が現れたのだ。

 「……あそこだ」アーナンダが呟き、胸元の紋が星色に瞬く。

 「最後の欠片が眠ってる。付き合ってくれる?」

 僕は茶碗を置き、頷いた。

 「重力どころか未来だって、振り切ってやるさ」


 甲板へ出ると雲海の匂いが肺を満たし、夜明けの光が星屑を散らすサリーを透過させた。白磁の脚線と淡い腰の曲線が、薄紅に染まって見えたのは、朝焼けのせいだけではない。

 「……見惚れてる」

 アーナンダの囁きに、僕は咄嗟に視線を逸らした。

 「空を見てただけさ」

 その嘘を見透かしてか、彼女は微笑む。星と金の瞳が、遠い未来よりも近い瞬間を映して揺れた。


 こうして〈アルク・ノア〉は、重力0の裂け目を目指し、雲海を裂いて進路を取った。

 胸に残る熱は、蒸留炉の鼓動よりも確かに、僕らを次の世界へ引き寄せていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ