01 酒場にて
※嘔吐描写多数あり
※トラウマ描写あり
「うぅ、吐きそう……」
胃の上を押さえながら、俺は必死で吐き気を堪えていた。
今俺がいるのは、酒場の厨房だ。ただし、ここでいう酒場は現代日本の居酒屋や、西洋ファンタジーで冒険者が集う酒場とは少し違う。
傾向で言えばどちらかといえば中華ファンタジー。圧迫感のある天井からは赤い提灯が垂れ下がり、低い机を囲んだ男たちが草臥れた筵の上で、騒がしく酒を飲み交わす。ここの言葉で言うところの、酒肆と呼ばれる類の庶民的な酒場らしい。
この言い方から察してもらえるかもしれないが、俺には日本人だった前世がある。前世の俺はごくごく平凡なサラリーマンだったわけだが、その生活のせいで背負ってしまったとある体質によって、今の俺は苦しめられている。
人間に近づくと、もれなく吐き気を催す。最悪の場合、本当に吐く。
こんなもの、人間社会において致命的すぎる体質であるし、実際、前世の俺はそれの影響でうっかり転落死したわけだ。その頃の記憶は薄ぼんやりとしているので、どうしてそんな状況になったのかまでは思い出せないが。
転生後の今の生活にも支障が出ているので、どうにかできるものならどうにかしたいところだが、残念ながら今のところこの症状の解決方法は見つかっていない。
「沐陽! 何ぼさっとしてるんだい、注文だよ!」
「は、はい、女将!」
気の強そうな女性――この酒肆の女店主である梓晴に叱責され、俺は中華鍋を使って酒のつまみを作り始める。
この世界に転生した俺は、一年前に突然、この店がある都の近くの泉に現れたらしい。まだ日本人の記憶を思い出す前の当時の俺は、自分の名前も年も言えない有様だったそうだ。
仕方なく俺を見つけた張本人である梓晴によって、俺は沐陽と名付けられた。
日本人としての記憶を取り戻した後に、彼女に名前の由来を聞くと「日の光がポカポカ降り注ぐ泉のほとりで、スヤスヤのんきに眠っていたのが間抜けだったから、沐浴の『沐』に太陽の『陽』で沐陽と名付けたのさ!」と仕事をする手を止めずに答えてくれた。
俺は今の生活を送れていることを幸運だと思っているし、彼女や近所の人々が雑な扱いに見えて色々と気にかけてくれていることに恩義も感じている。
日本人だった頃の記憶を頼りに、酒のつまみのレシピを色々と考案しているおかげで、店が繁盛しているというのも彼女たちが俺に好意的でいてくれる理由なのだろう。
だが、どうしても俺はここにいることが迷惑なのではという感情を捨てきれずにいた。
「なあ、厨房の兄ちゃん! こっち来て酒を注いでくれよぉ!」
「ははは、そりゃあいい! 兄ちゃんみたいな美人さんが酒を注いでくれるなら、酒の味も万倍になるってもんよ!」
「えっ、もしかして俺ですか……?」
俺は青ざめた顔で、気持ちよく泥酔している客の男たちを見る。
「おう、あんた以外に誰がいるんだよ!」
「ちょーっとこっちに来るだけでいいからさぁー」
男たちのうちの一人が立ち上がると、厨房にずかずかと入り込んできた。
まずい。厨房と客がいる店内という離れた場所にいても吐き気が出てしまうのに、直接人混みの中に連れ出されでもしたら――
咄嗟に厨房の奥へと逃げ込もうとした俺の腕を、客の男が掴んで引っ張る。
「ほーら、逃げんなって」
「っ……! うぐっ……がほ、げぇぇ……!」
全身が総毛立ち、一気に胃の中身が逆流する。そのまま俺は、客の男の前で嘔吐してしまった。
聞くに堪えない音と共に吐瀉物が床に吐き出され、客の男の服にもその一部が跳ねる。当然、客の男は怒り狂い始めた。
「うわ、吐きやがったこいつ! おい、女将! 俺の服が汚れたじゃねぇか! どうしてくれるんだ弁償だ弁償!」
騒ぎ立てながらも、客の男は俺の腕を掴んだままだった。おそらくは他意無く、離すのを忘れているだけなのだろうが、そこから伝わる人間の体温にさらに吐き気が増して、片手で口を押さえて俺はえずく。
「ぇ、うぐ……」
再び俺が嘔吐しそうになったその瞬間、駆けつけてきた梓晴が俺の腕を掴んでいる男の頭をお盆でぶん殴った。
「申し訳ありませんねぇ、旦那! この子は接客はてんでダメなもんで! ほら、沐陽! 早く裏にお下がり!」
「おぇ、げほ……は、はい……」
梓晴に庇われる形で、男の腕から解放された俺は、逃げるように店の裏口から転がり出た。
「けほ、ェ、ごほっ……」
もう吐くものもなくなり胃液しか出なくなってもまだ吐き気は治まらず、うずくまったまま、体調が戻るのを待ち続けることしかできない。途中、近所の人々や梓晴が心配して見に来てくれたが、いつものことだ、と無理矢理笑顔を作って追い返してしまった。
やがて吐き気もマシになり、なんとか立ち上がれるようになった俺は、店の裏の水瓶で喉を潤してから、店へと戻ることにした。
「はぁ……気が重い……」
こういった事態になるのは一度や二度ではない。常連客は事情を知っているので、俺に無理をさせるようなことはしないが、今日のようなふらりと入ってきた旅人はそうもいかない。
いっそのこと厨房の俺には声をかけたりしないように立て札でも立てるかと梓晴は言ってくれたが、そこまで気を回されて店に変な噂が立ちでもしたら申し訳なくて消えてしまいそうだと断ってしまった。
だが、最近は吐き気の強さや頻度も増しているし、もうそれぐらいのことをしなければいけない段階なのかもしれない。
嘔吐で体力を持って行かれてしまい、ふらふらとおぼつかない足取りで俺は厨房へと戻ろうとする。だが――ふと、誰かに袖を掴まれて、そのまま座席のほうへと倒れ込んでしまった。
俺が倒れ込んだのは、上客が案内される半個室の席だ。つまり俺は今、現在進行形でこの店の上客に失礼を働いているわけだが、起き上がろうと体に力を込めようとしても、意識が朦朧としてしまってろくに動くこともできない。
「申し訳、ありませ……」
なんとか口を動かして謝罪をすると、身動きできない俺の体を引き寄せ、楽な体勢へと変えてくれた人物がいた。
視界がぼやけているので誰がやってくれたのかは分からないが、その人物から漂う穏やかな香りだけは認識できて、ぼんやりと俺は呟く。
「……良い、匂い………?」
その匂いを嗅いでいるだけで、穏やかな水辺でうたた寝をしているかのような気分になって、自然と体から力が抜けていく。
それに気付いた誰かは俺の目の上に大きな手のひらをそっと乗せて、視界を遮った。頭の後ろと目元から伝わるひんやりとした体温に、俺はようやくその人物に膝枕をされていることに気がついた。
「災難だったな」
真上から男の声が降ってきて、俺は介抱してくれている人物が男であると悟る。彼の言葉は、まるで優しい雨水のように俺の中へと染みこんでいき、自然と今まで我慢していた感情が涙の形になってあふれ出てきた。
「う、ぐすっ、うう……」
「辛かったな、今は泣け。……この店の者に酷く当たられたのか?」
剣呑な色を含んだ声で問われ、俺は情けなさで声を詰まらせながら、押し殺してきた本音を口にする。
「ち、違うっ……みんな優しくて、でも俺が足を引っ張ってるんじゃないかって……俺が、人に近づくと吐いちゃうからっ……」
そこまで内心を吐露しながら、俺は頭の冷静な部分で疑問に思う。
あれ? じゃあどうして今介抱してくれているこの男性に触れても平気なんだ? 直接、目元を手で覆われてるのに?
だが嘔吐でやけに疲れ果てた頭では、ろくに考えをまとめることもできず、俺は湧き上がってくる感情をそのまま吐き出す。
「俺、この店にいるの、やっぱり迷惑だよなぁ……」
店主の梓晴も、近所の気の良い人たちも、本当に親切で良い人たちだ。ここで働くことに苦痛が伴ってしまうのは、十割自分のせいでしかない。
そんな周囲の好意を無碍にしているかのような自己嫌悪に浸っていると、俺を介抱している男は、やけに緊張した声色で尋ねてきた。
「――ならば、私のもとで働くか?」
「ん……それもいいかも、しれない、なぁ……」
特に深く考えることもなく、俺は男の問いを肯定する。そしてそのまま、押し寄せてくる眠気に身を任せて、俺はふっと意識を手放した。
■□■□■
次に目が覚めると、すっかり日は登っていた。
おぼろげな記憶をたどると、自分は夜の営業中に倒れたはずなので、半日近く眠っていたらしい。倒れた時の記憶が定かではないのが恐ろしいが、とんでもない迷惑をかけていないことを祈るしかない。
罪悪感を背負いながら、恐る恐る店の二階に与えられた寝室から出ると、今夜の営業の仕込みを始めていた梓晴と鉢合わせた。
「起きたかい、沐陽! アンタ、大変なことになったねぇ!」
晴れやかな表情で言う梓晴に、何のことか分からず俺は目を白黒とさせる。彼女の口ぶりから考えるに悪いことではなさそうだが、心当たりは全くない。
「えーと、梓晴さん。一体何があったんです?」
「ほら見な! 今朝この矢文がうちの店に突き刺さってたのさ!」
梓晴が突きつけてきたのは、折りたたまれていたらしい一枚の手紙だった。この世界に来てからは見たことがないほど上等な紙を使っていて、そこに書かれている文字も美しい。
だが、この世界の文字をマスターできていない俺は、困り果てた顔で梓晴へと視線で助けを求めた。
「これは聖樹宮からのお達しだよ! 明日、聖樹宮に登城せよだってさ! どこで見初められたかは知らないが、アタシは誇らしいよ! 素性も知れぬアンタがこんな形で身を立てることになるなんて、ううっ……」
感激で涙を浮かべる梓晴に困惑しながら、俺は聖樹宮について知っていることを思い出そうとした。
聖樹宮はこの国の中心に位置する神聖な宮で、この国を治めている聖獣様が住まう場所だと聞いている。聖樹宮に召し上げられるのは清らかな乙女ばかりで、人としての理を離れた巫女として神獣様にお仕えしている――と、酒場の客が話していた記憶があるが、男の自分が見初められるだなんてにわかには信じられない。
そもそも自分は素性も知れない怪しい人間で、聖獣様に仕えられるような礼儀も作法も持ち合わせてはいないのだから、何かの間違いではないか。そうに決まっている。
しかしそれを梓晴に伝えると、彼女は俺の懸念を快活に笑い飛ばした。
「ははは! 聖獣様に召し上げられるってのはそういう突然で理由も分からないものなんだよ! いくら素性が知れないとはいえ、生まれつきアンタにはその資質があったってことさ! アンタがいなくなるのはちょっとばかし寂しいがね……」
「梓晴さん……」
「っと、こんなこと言ってたら聖獣様に失礼ってもんだね! さあ、今夜はアンタの送別会だ! 近くで宴を楽しむのはできないだろうが、離れた場所から乾杯ぐらいさせておくれ!」
こちらの答えも聞かず、梓晴はウキウキと宴の準備をしに行ってしまった。俺はまだ現実を実感できず、ふらふらと自室に戻って布団の上にへたり込む。
「嘘だろう……? 俺が巫女として召し上げられる? いや、そんなはずない。きっと掃除夫か何かのために雇われるだけだ。そうに決まってる!」
現実逃避じみた結論を己の中で出すと、俺は布団をかぶって寝直した。これは妙な夢なのだという僅かな希望を抱いてそのまま夜まで眠っていた俺だったが、目を覚ますと階下の店では宴の準備がすっかり終わっていた。
「おっ! 今日の宴の主役がお目覚めか!」
「俺たちに近づくとしんどいんだろ? 離れた場所でいいから、一緒に乾杯しようぜ!」
「この辺で一番上等な酒を持ってきたんだ!」
「え? は、はあ……」
戸惑いながらも盃を手に渡され、人混みから少し離れた場所に座らされる。梓晴が即席で置かれた木箱の上に立って、声を張り上げた。
「それじゃあ、沐陽の新たな門出を祝して……乾杯!」
「かんぱーい!」
「いやあ、めでたいめでたい!」
全力で祝福してくれる人々を遠くで見ながらも、俺はまだいまいち今の状況を実感できていなかった。
聖樹宮に行かなければならないのは明日。つまり、彼らとこうして過ごすことができるのは今日が最後だ。
突然すぎる別れが目の前に迫っていることをようやく察した俺は、盃を手にしたまま俯いた。
確かにここにいてもいいのか不安に思うことは多かった。でもいざ離れることになると、寂しさより先に申し訳なさがこみ上げてくる。
自分はまだ彼らに与えてもらった分の恩返しを、全然できていない。これからもずっとこの酒肆で、不自由さを抱えながら、少しずつでも恩を返していけると思っていたのに。
「こーら、主役がなんて顔してるんだい。今更不安になったのかい?」
いつの間にか近くに来ていた梓晴に話しかけられ、俺はびくっと肩を震わせて顔を上げる。梓晴は仕方なさそうに苦笑していた。
「誰でも咲くべき場所はあるもんさ。アンタのそれはここじゃなくて聖樹宮だったってだけの話だよ」
「でも俺……皆に恩返しもできていないのに……」
「ははっ! いいんだよそんなこと。皆、働き者のアンタを気に入ったから世話を焼いてただけなんだから。それに、もし恩を返すつもりがあるんなら、聖樹宮で頑張ってくれりゃあいい」
「え?」
言葉の意図が伝わらず、きょとんと尋ね返すと、梓晴は珍しく重々しい口調で語り始めた。
「アタシたちには実感がないが、実はこの都には瘴気ってやつが立ちこめてるらしくてね。それのせいで病になったり不幸になったりするらしいのさ。そこで聖樹宮では、聖獣様がその瘴気の浄化を行ってるらしいんだ」
「瘴気……聖獣様が……?」
「つまり、アンタが聖樹宮で頑張れば頑張るほど、アタシたちは元気になって幸運が舞い込むってことさね! どうだい? ちょっとはやる気が出てきたかい?」
梓晴の語った内容は、驚くほどすんなりと俺の心を納得させた。
瘴気や聖獣や浄化だなんて、前世の俺が聞いたらファンタジーすぎる言葉だと一蹴するようなワードばかりだ。でもなぜだか今の俺には、本能的にそれが本当に存在しているのだという確信があった。
梓晴や近所の人たちを、そういう邪悪な存在から守る手伝いができるなら、聖樹宮で働くというのもいいかもしれない。
だんだん前向きな気分になってきた俺は、梓晴に力強く頷いた。
「ありがとう、梓晴さん。俺、頑張ってみます」
「ははっ、その意気だ!」
梓晴は明るく笑うと、俺の手に鞘に入った短刀を押しつけてきた。長さはちょうど30センチぐらいで、古ぼけては居るが上等なもののようだ。
「持ってお行き。我が家に伝わる守り刀だよ」
「えっ、そ、そんな大事なもの……」
「登城したら、滅多に帰ってこられないらしいからね。それをアタシや近所の奴らだと思って大事にするんだよ」
「うっ、狡いです。そう言われると断りにくいですよ」
「ははは! 断られないような言い方をしたからね!」
結局、守り刀を返却できないまま宴は一晩中続き、先に寝入ってしまった俺が朝起きてきてもまだ、宴の参加者たちは店に残ってくれていた。
「ほら、うちにある一番上等な服だ!」
「アタシは帽子をやるよ!」
「靴もこれを履きな! ちょっとは上品に見えるさね!」
近所の人々に押しつけられるまま、まるで前世でいう七五三のように不釣り合いで着ぶくれした状態で、とうとう俺は出立することになった。
「じゃあな、沐陽!」
「達者でやるんだぞー!」
「戻ってきたくなったら、無理矢理にでも戻っておいで! アンタの酒のつまみは絶品なんだからね!」
「うん、皆ありがとう……!」
梓晴たちに見送られ、俺は視界が涙でぼやけてしまいながらも、聖樹宮に向かって出発した。
俺が住んでいた地区は、都の中でも下町にあたる場所らしく、少し歩いて大通りに出ると、そこには別世界のように華やかな町並みがあった。
治安も住んでいた下町よりも良く、町行く人々も富裕層であることがうかがえる。
だがその華やかさに反して、俺はじわじわと押し寄せる吐き気を感じていた。
「なんで……店の近所より人混みも多くないのに……」
だんだん青白くなっていく顔を伏せ、俺は都の中心部へと向かう。そして辿り着いた聖樹宮の入口は、巨大な岩山のふもとに存在していた。
「これが聖樹宮だったんだ……」
ここに住み始めて一年経って初めて、いつも遠目に見えていた岩山の正体を知り、俺はぽかんと口を開けてそれを見上げる。岩山の頂上付近には、朱塗りの豪華絢爛な建物が建っているのが遠目に見えた。
聖樹宮の入口には巨大な門がそびえ立ち、その存在感だけで近づく者を威圧している。門番こそいないが、一般人が間違えて入ったり、悪戯半分で入ろうものなら、命の保証はしないと直感できるほど、門の近くはピリピリとした圧力に満ちていた。
「で、ここからどうすれば……?」
呼ばれたのだから出迎えてくれる人がいるのではと思っていたが、右を見ても左を見ても人の気配すら感じない。
俺は胃が痛くなってしまいながら、前世の就活時代を思い出していた。
状況的にこれは転職活動のようなものだ。もし出迎えがないといったイレギュラーが起きたとしたら、ぼんやり待ち続けるのではなく、自分から動いて面接場所に向かうべきだ。
就活というワードを思い浮かべた途端、また胃酸がこみ上げてきそうになった。どうやら俺は前世において、就活時に相当のトラウマを負ったらしい。
俺は大きく深呼吸をして自分を落ち着かせると、閉ざされた門へと近づいて、軽くノックをして挨拶をしようとした。
「し、失礼いたしま――え?」
軽く叩いただけだというのに、巨大な門は重厚な音を立ててその扉を開いていった。その向こう側に広がっていたのは、天女のような見た目の女性たちが、掃除や洗濯をしている姿だ。
恐らく彼女たちが聖獣様に使える巫女なのだろう。その中に一人も男性が混ざっていないことに気付き、俺は場違いすぎる状況を改めて自覚した。
「し、失礼しましたっ、何かの間違いだったみたいでっ……」
顔を引きつらせながら弁明すると、巫女たちはきょとんとした顔でこちらを見て固まった後、大慌てで何かの準備を始めた。
「まあ、なんてこと!」
「大変だわ」
「急ぎお迎えの準備を!」
重力を感じさせない滑るような動きで、巫女たちは何かの支度を調えていく。あれよあれよというまに俺の前には上等な布による道ができ、その左右にずらりと巫女たちが並んだ。
「ようこそおいでくださいました、聖様」
「こちらで身をお清めいたします」
「は、はあ……」
深々と頭を下げる巫女たちの間を、案内されるまま俺は歩いていく。やがて辿り着いたのは、神社の拝殿のような雰囲気を感じる朱塗りの建物だった。
前世の記憶で例えるのであれば、ちょっとした一軒家ぐらいの大きさはあるその建物の中へと導かれる。そして、そこに待ち構えていた巫女たちによって、俺は手にしていた荷物をするりと奪われた。
「えっ?」
巫女たちは嫌悪の表情を浮かべながら荷物を持ち去り、すぐ近くで焚かれていた炎の中へと投げ込んでいく。
「な、何するんですか! 止めてください!」
止めようとした俺の体はあっさりと巫女たちに捕らえられ、抵抗も空しく荷物は燃えていく。
「聖様、お可哀想に」
「このような穢れに満ちたものに触れて、お辛かったでしょう」
「な、なんでこんなことするんだよ! あれは、送り出してくれた皆がくれた大切なものでっ!」
心底悲しそうにする巫女たちに抗議するも、彼女たちは全く話が通じない振る舞いで、俺の身につけているものへと手を伸ばしてきた。
「なりません」
「俗世の穢れを帯びた物は聖樹宮には持ち込めないのです」
「全て捨てて、御身を清めなければ」
「どうぞお渡しください」
上着や靴を剥ぎ取られ、下に着込んでいた服も無理矢理奪い取られそうになる。どんなに抵抗しても押さえつけてくる、幾人もの手を見て――俺は、喉の奥で悲鳴が鳴るのを感じた。
「っ……うぁ……」
ボロボロと涙が溢れ、歪んだ視界の中に前世の記憶がフラッシュバックする。
――会社をクビになって生活のために就活を――でもなかなかうまくいかずに疲弊して――地元の友人にうまい話があると騙されて――連れて行かれて――密室、ニヤニヤ笑う男たち、悲鳴、カメラ――伸ばされる手、手、手――
「ぅあ……い、嫌だ、嫌だ嫌だぁっ……!」
頭をかきむしり、半狂乱になって俺は叫ぶ。ぶわりと風が渦巻き、俺を掴んでいた巫女たちの手が離れていった。
「うえ、げほっ、ぁぐ……」
訳も分からぬまま膝を突き、胃の中身を床へとぶちまける。荒い息を整えながら震えていると、ざわざわと木々が揺れるような音が耳に届いた。
自分の体を抱きしめながら顔を上げると、そこには俺を中心にして無数の細い枝が伸びている光景があった。
「え、な、何これ、なんで……?」
まるで木で編んだ籠に閉じ込められたかのような光景に、俺はさらにパニックを起こして体を丸める。
「もうやだ、帰りたい、帰してっ……」
さらに枝が伸びて俺の姿を覆い隠していく。枝によって弾き飛ばされたらしい巫女たちが、視界の端で慌てふためいているのが見えた。
俺はきつく目を閉じると薄暗くなっていく空間で、か細い声を上げた。
「誰か、助けてっ……!」