病気の女の子のために男の子が自分の髪の毛を贈る話
僕が小学3年生になり、親に買ってもらったランドセルにもたくさん傷がついて、毎日の授業にも慣れ親しんだころ、クラス替えである女の子と隣の席になった。
中学年にしては背が高く、とてもパッチリとした目をした子で、勉強も運動もできる子だった。
何より、その子のキラキラと輝く長い髪の毛が、とても綺麗で印象的だった。
僕は当時丸々と太っていたわりに運動は大好きだったこともあって、その子とはすぐ仲良くなった。仲良しグループで鬼ごっこをしたりドッヂボールをしたりゲームをしたりと、毎日たくさん遊んだ。
女の子のお母さんの趣味がお菓子作りということもあって、ときどき家にお邪魔したこともあった。
細かい内容よりも、楽しい時間を過ごしたという記憶が強い、とても充実した小学校生活だったと今でも思う。
そんな中、女の子に病気が見つかった。
白血病という、血液のガンだった。
当時はガンというものはもちろん、病気というもの自体があまりよくわかっていなかったけど、もちろんお見舞いにいった。
最初病院で会ったときには女の子も元気そうだったから、すぐにまた会えると思っていた。
ただ、何日たっても女の子は学校に戻ってこなくて、お見舞いにもいけなくなって、女の子も笑っているけど元気がなくなっているようだった。
ある日、久しぶりに女の子に会えることになって、嬉々として病室に入ろうとしたら、中で女の子が泣いていた。
治療がつらいということ、そして、治療の副作用で髪の毛が抜けてきていること。誰にも会いたくない、とつらそうに小さな声で泣いていたのが聞こえてしまった。
「髪の毛なくなっちゃう」
子どもというのは単純だ。我ながら僕はなおさら単純だったのだろう。大事な友だちが髪の毛を必要としているなら、自分の髪の毛を分けてあげればいいんだと思った。
後からヘアドネーションというものがあることを知ったけど、当時はそんなことは知らずに、自分のをあげれば彼女も髪の毛がなくて悲しい思いをせずにすむだろうという、ただそれだけだった。
どうせならちゃんとしたものをあげたいと思って、それ以来髪の毛を手入れするようになった。
と言っても、しょせん小学生の子どもだからそこまで大したことはできなくて、髪の毛のことなんか何も意識せずに過ごしてきた状態から、お風呂でシャンプーだけじゃなくてちゃんとトリートメントも使うといったような、簡単にできること程度だったけれど。
僕は人よりも髪の毛が伸びるのが早いのか、1年半ほどで30センチ以上伸ばすことができた。
そして、女の子も長い闘病のかいがあり、無事治療が進み、もう少しで退院できるというタイミングになったところで、そのまま丸坊主にした。
丸坊主のまま長い髪の毛を輪ゴムでしばって持って行った僕の姿を見て、女の子はおなかの底から笑っているようだった。
久しぶりに女の子の笑顔が見ることができて、とても満足だった。
何週間かたって女の子は退院して、また同じ学校に通えることになった。
その子がボブカットくらいの髪の毛に、お母さんからもらったという女の子らしい髪留めを付けながら友だちと笑いあっているのを見て、僕もまた嬉しくなったのを覚えている。
だけどそれからしばらくして、小学校を卒業する前に、親の仕事の都合で引っ越すことになった。
仲の良かった友だちと離れるのが悲しくて、泣きながらお別れをした。
どんなに仲が良くても、小学生同士の付き合いである。それ以来、小学校の友だちとは会っていない。
もちろん女の子ともそれきりだった。
それから何度か季節が過ぎた今年の春、俺は(僕は)高校生になった。
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私には、誰よりも優しくてかっこ良い、大好きな男の子がいる。
正確には、いた、というべきかもしれないけど。男の子はお父さんの仕事の都合で違う地方に引っ越してしまった。
それでも、私はずっとずっと好きだった。
私と彼が出会ったのは、小学3年生だった。初めてのクラス替えで、席がたまたま隣だったこともあって、すぐに話すようになった。
彼はちょっとぷくぷくとしていたけど、頭がよくて、運動もできて、話も面白く、何よりも一人ぼっちの人を作らないよう自然と声をかけてグループを作るような、そんなクラスの人気者だった。
私も運動神経はいい方で、お父さんの影響もあってスポーツは好きだったし、たまたま家が近かったこともあって、私たちはよく遊ぶようになった。
私も当時は恋なんて知らなかったから、本当に純粋な友だちとして毎日のように遊んでいた。
そんなある日、私の人生を変える出来事が起きた。
何日か体がだるくて手や足が痛い日が続いて、お母さんと病院に行ったときに、いつもの近所のお医者さんから大きな病院を紹介された。注射を何回もされて血を抜かれて、たくさん検査をしたと思う。
そこから先の内容は当時はよくわからなかったけど、すごく真剣に、何度も何度もお母さんとお父さんがお医者さんとお話をしていたことは覚えている。
家に帰ってからはお母さんは私を抱きしめながら泣いていたし、お父さんもお母さんと私を抱きしめながら静かに泣いていた。
私は入院をすることになった。
入院というのはとても退屈で、体はだるくて何もすることができないし、本をめくるのもだるくなることがあったから、テレビでやっているアニメを見るようになった。今でもアニメが好きなのはその時の影響だ。
入院中、私がつらい顔をしていると、お母さんもつらい顔をするから、頑張って平気な顔をしていようと思った。
ただ、治療のために強い薬を使い始めてからは、私の髪の毛がどんどん抜けていくのがわかって、私が私でなくなってしまうような気持ちになって、ものすごく怖くなった。
口内炎はできるし体中痛いし、体はどんどん痩せていくのに顔やお腹が腫れあがったようになったりもして、最後にはお母さんに似て自慢だった髪の毛までなくなってしまって、私の見た目は大きく変わってしまった。
その頃は、つらい現実に耐えられなくて毎日毎日泣いていた。本格的に治療を始めてからは、友だちとも面会できなくなっていた。
そんなとき、お母さん経由で彼から一通の手紙をもらった。
「僕の髪をあげる」
最初は何のことがわからなかったけど、彼はその頃から髪を伸ばし始めたらしい。
それまでは、いかにも元気な男の子って感じの、短い髪だったのが、たまに学校の写真で見る彼の髪の毛はどんどん伸びていた。
もともと彼のお母さん譲りのまっすぐな髪だったけど、サラサラとした長髪になっていったようだった。
1年以上、長くつらい治療を乗り越えて、幸いなことに寛解という、病気から回復した状態になることができたころ、ようやく友だちとも面会ができるようになった。
「元の綺麗な髪の毛にはかなわないけど」
顔を赤くした彼が早口でつぶやいたとき、私は最初、ただどうしようもなく驚いたことを覚えている。
久しぶりに会った彼は、丸坊主になっていた。
頭の形がハッキリと出ている見事な坊主頭で渡してくれたのは、とても艶々とした、綺麗な髪の毛だった。
それから少しして、私は退院して小学校にもまた通えるようになった。
彼からもらった髪の毛は、専門のお店にお願いしてウィッグにしてもらった。
お店の人も、ここまで綺麗に手入れされた髪の毛はあまり見ないと驚いていた。
友だちの男の子からもらったと答えたら、「とても大事に想われているのね」とお店のお姉さんに言われて、少し恥ずかしくなった。
その頃はまだ恋というものではなかったと思う。
けれど、私の彼への想いが恋と呼ばれるものに成長していったのは、そして、私が自分の心の中の想いに気づいたのは、彼が過ごしてきた私の入院中の話を聞いてからだった。
少しずつ、少しずつ、想いが積もっていって、いつしか抑えきれないほどに大きくなっていった。
彼は、糖分の取りすぎは髪によくないからと、私のために、大好きなお菓子を食べるのをぱったりと止めたらしい。彼のお母さんは「好き嫌いがなくなって野菜を食べるようになったからむしろよかった」と言って笑っていたけれど。
日焼けとか全く気にしない、夏はいつも真っ黒になる男の子だったのに、髪が焼けて痛まないようにと帽子をかぶったり髪用の日焼け止めを付けるようになった。
クラブの育成選手に選ばれるくらい水泳も頑張っていたのに、あっさり辞めてしまっていた。プールの塩素が髪に良くないということをどこかから聞いたようだった。
髪の毛が伸びてきて、クラスの男の子たちからからかわれることもあったようだけど、彼は笑いながら長い髪の毛を自慢していたらしい。
「女の子にあげるものだから、一番いいものをあげなきゃだめなんだ」
その頃の彼が毎日のように言っていたと彼のお姉さんから聞いた。
彼は6歳上のお姉さんに髪の手入れのことを聞いて、毎晩一緒にヘアケアを欠かさなかったそうだ。
そんな話を聞くうちに、彼が私のためにしてくれたことを知るうちに、そして、それを何一つ言うことなく、ただ病気になる前と同じように、目をくしゃっとさせて笑いかけてくれる彼の笑顔を見るうちに、私はどうしようもなく彼から目を離せなくなってしまった。
彼をついつい目で追うようになったけど、彼本人は何も変わらず、目が合えば笑いかけてくれて、話しかけてくれた。
それだけでも心が弾むのを止められなかった。
彼は決して他人の悪口を陰で言わず、自分が誰かのためにしたことを吹聴することはなかった。
誰にでもできそうな、でも誰でもはできないような、一つ一つは些細かもしれないけど、彼が見せるさりげない優しさに気づく度に、私の想いは強くなっていった。
私が自分の恋心に気づいた後も、病気になったことを負い目のように感じる思いがあって、私のこの気持ちはなかなか伝えられなかった。
ただ、彼はその頃からモテるようになっていた。
もともとクラスの中心という感じではあったけれども、ちょうど成長期に入り始めたこともあるのか、背が伸びるにつれて丸々としていた体が細くなっていった。
高学年になったときには、背が伸びて体全体がバランスの良い体格になり、それまでの愛嬌のある顔から、端整な雰囲気が見え始めるような顔立ちになっていた。
正直言って私も髪の毛をもらったときには、髪がなくなっていたことと合わせて、久しぶりに直接会った彼のあまりにもな変わり様に驚いていた。
彼にこのことを言ったら、「健康的な食生活のおかげ」といつものように笑っていた。
本人は、太っていた時の影響か、自分が誰か異性に好意を持たれると思っていないようでもあったし、そもそも恋というものを理解していないようでもあった。
低学年のころから変わらずに、いつも友だちとわいわい騒いでいた。
私はひどく焦った。
彼が恋を理解していなくても、彼は優しいから、いつ誰の告白をOKしてしまうかわからないという思いがあった。
だから、私は告白をしようと思った。彼がくれたウィッグを外せるようになるくらいに髪が伸びたら、私から告白をしようと。
彼のお姉さんにアドバイスを求めたら、あいつはちょっと痩せても変わらず甘いものが大好きで、またお菓子を食べ始めたから、チョコでも渡してやれば一発だと言われた。
私は、次の年のバレンタインデーに、チョコレートを作って、渡すときに好きだと伝えようと決めた。
お菓子作りが得意なお母さんにお願いして、美味しいチョコレートの作り方を教わった。ありったけの想いを込めて、彼のためだけにチョコレートを作ろうと思った。
それまでは、彼が誰からも告白されないことを、そして彼が告白を受けないことをひたすらに祈った。
ところが、バレンタインデーを迎える前に、私が彼に好きと伝えられるようになる前に、彼が遠くへ引っ越してしまうことになった。
一生のお別れというものではなかったけど、小学生にはとても気軽に会いに行けるような場所ではなかった。
泣いた。ひたすら泣いた。泣いて泣いて泣いて、私の気持ちはそのときのまま固まってしまった。
1年がたち2年がたち、彼がくれたウィッグがいらなくなっても、彼のことは好きなままだった。
「髪は女の命」なんて言葉があるけれど、その意味では私は彼から命をもらったことになる。
彼からもらったもう一つの命は、今でも私の机の中に大切に大切に保管してある。
中学校に入ると、私はよく男の子から告白されるようになった。
退院したばかりのころは青白くてほっそりとした不健康そうだった体も、お母さんの美味しいごはんをたくさん食べて、無理のない範囲で運動もまた始めると、見る見るうちに健康的になって、成長するにしたがってスタイルもよくなった。
唯一、身長だけはあまり伸びなくなってしまったけれど。
幸い私はお父さんお母さん譲りなのか、目鼻立ちが整っているようで、子どものころから可愛いと言われることが多かった。
それでも、どんな人から告白されたとしても、心が動くことはなかった。
告白してくれる人の中に、かっこ良い人はいた、優しい人もいた。だけど、私の心の中は彼でいっぱいになってしまっており、心を揺さぶられる人と会うことはなかった。
中学校3年間は、小学校からからそのまま同じ中学に来た仲の良い友だちを中心に、少し寂しいけれど、それでも一緒に楽しい中学校生活を過ごしていた。
病気になったからこそ、何でもない毎日が、今日と同じように続く明日が、とてもかけがえのないものだということを理解していた。
バレンタインデーには、毎年友だちに渡すためのチョコレートと、誰にも渡さないチョコレートを作っていた。普通のチョコに生チョコ、ボンボンショコラにチョコレートケーキと、毎年毎年いろいろな種類のチョコレートの練習をしていた。
ずっとずっと、私の想いは溶けることなく固まったままだった。
そして、中学校を卒業するタイミング、私にとってもう一つ人生の転換点となる大きな出来事があった。中学卒業と同時に、引っ越しをすることになったのである。
仲良くなった友だちと離れてしまうのはとても寂しいし不安だと思ったけど、引っ越し先を聞いてそういった考えが全て吹き飛んだ。
よくよく聞いてみると、すぐ近くというわけではないけど、通おうと思えば彼と同じ学校にも通える距離だった。
お母さんが彼が行く予定の高校を教えてくれた。彼と私のお母さん同士は仲が良かったから、近場に引っ越すこともあって連絡をとる頻度も増えたようだった。
お母さんによると、彼は中高一貫校に通っており、そのまま高校に上がるらしい。そして、その学校は中高一貫だけれども、高校から入学することも可能であることも教えてくれた。
私は本気で勉強した。今の自分よりも偏差値が高い学校だったけれども、塾にも通って、合格のために必死になった。
せっかくだからということで、お母さんも応援してくれた。お父さんは男の子のために頑張っているということで、応援しようかどうしようか微妙な顔もしていたけれど、それでもわからない問題はいつでも教えてくれた。
勉強で疲れたときに食べてねと、お母さんの作ってくれる美味しいお菓子と、お父さんが忙しい仕事の合間をぬって厳選しくれた参考書と一緒に、私は毎日机に向かって勉強を重ねた。
事情を知っている友だちも私のことを応援してくれて、寂しくなるけど応援してるから、と皆も受験があるのに学校行事などで私に負担が集まることがないようにしてくれたり、たまには息抜きも大事だよ、と合否判定を見て不安になる私に寄り添ってくれたり、私が一人でパンクすることがないようみんなで協力してくれた。
受験の直前には家族みんなで会場の近くにホテルを取ってくれて、私のためにサポートをしてくれた。
私は周囲に、友だちに、家族に、本当に恵まれていると、改めて思った。
そのかいもあって、何とか彼と同じ高校に合格することができた。
まだ彼に再会できたわけではないけど、掲示板に私の番号があるのを見たときには、つい泣いてしまった。
小学生のころは、私も彼も携帯もスマホも持っていなかったから、引っ越してからはほとんど連絡は取れていない。
唯一、小学生のときからの名残で、年賀状だけのやり取りを続けていた。
たった数行の、年に一度のやり取りだけど、私にとっては一通一通が何よりの宝物だった。
1年前の出来事に1年越しに返答するような、そんなゆっくりとしたやり取りだったけど、年賀状の隅に書かれた彼の手作りの干支の絵がとても好きだった。
最後に会ってから、もう3年以上経っている。
彼は今どんな男の人になっているだろうか。私のことをちゃんと覚えてくれているだろうか。私のことをどう思っているだろうか。
とうとうこの春から高校生活が始まる。
早く会いたい。
伝えたい。
あの頃から変わらない想いを。
私のことに気づいてほしくて
誰よりも彼に見てほしくて
好きな人に触ってほしくて
彼だけのものにしてほしくて
彼が綺麗だと言ってくれた髪の毛を、
私は肩より下まで伸ばしている。
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