100.警告(九之池)
久々のイタイ!
公都には、何事もなく到着した。
拍子抜けするほど何事もなかった。
九之池が時節、考え事が煮詰まったのか
奇声を発するくらいであった。
旅による疲れはあったが、九之池は、
到着するとすぐさま、シリア卿への挨拶に向かった。
ルージェナが同行し、稲生、アデリナ、
そしてアルバンは、荷物の整理を始めた。
ヘーグマンは、私用でどこかに向かったようだった。
シリア卿の執事の後について、執務室に
向かう九之池だった。
それとなくシリア卿の機嫌を尋ねるが、
執事は無言でそれに応えた。
答えの得られなかった九之池は、色々な想像を
巡らしてしまい、心が乱れた。
執事に促されて、執務室へ入室すると、
シリア卿と視線があった。
何故が憤怒の形相であった。
思い当たる節のない九之池は、
その形相に驚きはしたが、圧迫や恐怖を
感じることはなかった。
「只今、戻りました。
遺跡の調査について、報告に伺いました」
定型的な報告の出だしで始め、
説明を始めようとすると、
目の前のシリア卿がデスクを両腕で叩きつけた。
ばしぃーと派手な音が室内に響いた。
反射的に九之池は身を縮めたが、怒りの矛先を
向けられた原因が思い当たらず、首を傾げた。
ルージェナは、九之池の後方で頭を垂れていた。
シリア卿は、九之池のきょとんとした表情で
更に怒りが増したようで、整った顔が最早、
原形を留めないほどに歪んでいた。
「きっきききっさ」
奇声を発するシリア卿。
そして、ポカンとする九之池。
二人の間で会話が交わされない。
猿のような表情に猿のような奇声を
発するシリア卿に九之池は、ついつい無意識に
それの感想をぽつりと漏らしてしまった。
「猿真似?」
「ぷっ」
後方で二人のやり取りに我慢できなくなったのか、
ルージェナが噴き出してしまった。
ぴきぃ。
シリア卿のこめかみに青筋が
立ったように九之池には見えた。
「ふむ、貴様がそのような不遜な態度を取るならば、
考えがある。豚に立場を分からせるために
痛い思いをして貰おう」
シリア卿は、口元を歪ませて、楽しそうに笑った。
しかし、その笑いも長くは続かなかった。
以前の九之池であれば、その言葉を聞いただけで、
恐れ慄き、蹲っていた。
しかし、シリア卿の眼前のその男は、表情を一切崩さず、
シリア卿の思惑を見透かすように
一点を見つめ続けいていた。
瞳孔すら、微動だにしない九之池の
達観したような態度にシリア卿は、
少し怯んでいた。
九之池は、シリア卿の言葉を聞いた直後、
無の境地を発動していた。
心頭滅却すれば火もまた涼し、確か偉い坊さんが
言っていたような気がした。
九之池は、今回の帰郷の旅路で報告だけでなく、
こういった事態に対しての対処も十分に検討していた。
「くっ、悟りきった態度で、
この痛みに耐えられると思うなよ」
若干、怯んだシリア卿であったため、
普段より強く呪いを唱えた。
九之池の後方に控えるルージェナは、
秘策ありと九之池から伝えられていたが、
丸まった彼の背中を心配そうに見つめていた。
「ぎゃあああー痛いイタイ痛い」
部屋中に悲痛な叫びが響き渡った。
「えっ」
驚きの表情のルージェナ。
「はっ」
驚愕の表情のシリア卿。
そして、彼は、あまりの悲痛な叫びに
驚き詠唱を中断してしまった。
床を転げまわり、叫びまくる九之池。
全身を弛緩させ、精神を無防備にさらけ出していたため、
何の抵抗もなく呪いを受け入れてしまった。
口元に泡が噴き出して、パクパクと唇が動いていた。
意識はあるようだった。
「ぐふうぅ、こっ殺す気か」
九ノ池の震える唇が微かに動き、言葉を絞りだした。
全身は、ビクンビクンと脈動していた。
「いや、そういうつもりでは」
シリア卿にとっても想像を超える事態で
あったため、珍しく動揺していた。
「ちょっ、加減と言うものがあっても
いいんではないでしょうか?
九之池さんの事情も知らずにこれは、
酷過ぎませんか?」
ルージェナが怒りの感情の抑えきれず、
シリア卿に向かって怒鳴りつけた。
「ぐっ、確かに死なれては困るが、
今のは、こいつが何かしらしていたせいだろう!」
動揺が収まらないのか、凡庸な回答に
終始するシリア卿であった。
ルージェナは九之池の策を理解した。
痛みを一瞬で終わらせるために
真に迫った演技をしたのだと。
いまだに床に転がっている九之池を見ながら、
ルージェナは、我が意を得たりと会話を続けた。
「ところで、一体、どういった事情で
お怒りなのでしょうか?」
「貴様らが勝手に遺跡で約定など交わすからだ。
連合王国の使者が貴様らより早く公都で
こいつの発言をたてに無理難題を
振りかざしている。
それ自体は、さして取るに足らんことだが、
政敵どもが騒ぎ立てているのが煩わしい。
余計なことばかりしてくれるわ」
転がる九之池を見つめて、ため息を
つくシリア卿であった。
無策ではなかっですが、策敗れたり