61.覚醒後(九之池)
九之池さんの実力は???
「稲生様、当初の予定通りベルトゥル公国に
向かいます。
それと、アデリナ様も同行することになりました」
とアルバンが商館に戻った稲生に告げた。
「わかりました。仕方ありませんが、向かいますか。
バルザース帝国をいつ頃、発ちますか?」
「できれば、早い方がいいかと。
バルザースの出征前には向かいたいところです」
とアルバンが稲生に伝えた。
「わかりました。来週にはここを発ちます。
アルバン、準備をすすめてください。
私も出立の挨拶を済ませておきます」
と稲生がすました顔で答えた。
アルバンは、心の中で毎度のことながら、毒づいた。
けっ、どうせ司祭と思う存分、楽しむつもりだろうが、
このすけこま野郎がと!
一週間後、稲生たちは、メープルや才籐、ビルギットに
別れの挨拶をして、ベルトゥル公国に向かって旅だった。
稲生たちがベルトゥル公国の公都に到着するころ、
既にレズェエフ王国とベルトゥル公国の間で
戦端が開かれていた。
そして、ベルトゥル公国軍は、丘の上に陣取り、
徐々に損耗していた。
「グオオオー」
九之池は、ヘーグマン、ルージェナに向かって咆哮した。
雄叫びが闇に響き渡り、
大気が、大地が、そして、木々が震えた。
「これはこれは、想像以上ですな。
これが九之池殿の本性ということですか」
ヘーグマンは心底、面白そうに笑った。
そして、剣を構えた。
ルージェナは展開している蒼白い炎の槍を
維持することで精一杯であった。
少しでも気が緩めば、一気に恐慌状態に陥りそうだった。
二人の前から、突然、九之池が消えた。
次の瞬間、ヘーグマンの眼前に九之池が現れた。
技術も何もなく、ヘーグマンの頭部に向かって、
振り下ろされる右拳。
ヘーグマンには捉えることのできない速度で
振り下ろされた。
拳は、ヘーグマンが立っていた大地にめり込んだ。
次の瞬間、横なぎに剣が振るわれた。
九之池の腹部を1㎝ほど刻むが、
そこで剣の勢いは止まった。
ヘーグマンが剣をひくと、腹部から血が噴き出した。
「ふーむ、これほどとは」
全身を汗で濡らすヘーグマンが驚きの声をあげた。
九之池は、腹部から噴き出る血を眺めた。
そして、悲鳴を上げた。
「ぎゃぁあああー」
人の耳をつんざくように響いた。
多くの人間が耳を塞ぎ、この不快な響きが
収まることを祈った。
「ルージェナ、恐らく、もう大丈夫でしょう。
炎をしまいなさい」
構えをとかずにヘーグマンがルージェナに話しかけた。
「ちょっ、それはどういうことですか?
目の前の九之池さんは、妙な悲鳴を上げてはいますが、
変わらず人ならざる出で立ちですよ」
ルージェナの目に映る九之池は、
いまだに人ならざる姿であった。
違うのは腹部から噴き出る血を見て、
混乱しているためか、先ほどのような圧倒的な威圧感が
消えていた。
「所詮、意識を失い、強力な力を得ても
人の根底は容易には変わらぬということですよ」
とヘーグマンが珍しく九之池を一瞥して、吐き捨てた。
「無意識であるが故に、自分の血を見て、
小心者がパニックに陥っているんです。
他人の血を見てもどうとも思わぬような御仁が、
自分の傷となると、こうも醜態を晒すのは
どうも見ていて、心楽しいものではありませんな」
そもそもいい歳をしたおっさんが、
傷口を抑えて、悲鳴を上げているのである。
心が和むような情景ではなかった。
悲鳴が収まると同時に九之池は鬼の姿のまま、
その場に倒れ込んでしまった。
この結末がどうであれ、夜襲をしたレズェエフ王国軍が
撤退した大きな一因であったことには違いなかった。
「でもでもレズェエフ王国軍が撤退したのは
九之池さんのお陰ですよ。
最後が少しかっこ悪かっただけで、
その功績は否定できません」
とヘーグマンの嘆息対して、言い切るルージェナだった。
「そうですなぁ。今日の勲功第一は九之池殿でしょう。
この老体で担ぐのはつらいですが、仕方ありませぬな」
やれやれといった感じで、九之池を背負い、
ヘーグマンは、坂道を上がり始めた。
ええっ、ヘタレだった




