77.終わりの始まり
九之池さん、まったりしたい
シリア卿は、邸宅に戻り、
九之池を一瞥すると、労いの言葉もなく、
「戻ったか、貴様の次の仕事は既に決まっている。
明日、伝える。下がって休め。
ヘーグマン、帰国後、早々ですまぬが、
シリア家の軍の先陣を務めよ。
エドゥアール、輜重を整えよ。
そこの娘は、顔に布でも巻き付けて、
九之池の護衛にでもついておけ」
と吐き捨てるように言うと、自室に向かった。
頬はこけ、目はくぼみ、顔は青白く、
まるで幽鬼のように九之池には映った。
「九之池、明日の四刻半くらいに
ルージェナを伴って、執務室に行け。いいな。
そこでシリア卿から次の任務の説明を受けろ」
とエドゥアールは、言って、去った。
ヘーグマンも軽く会釈をして、この場を去った。
「九之池さん、隣国のバルザース帝国と
レズェエフ王国の局地戦が
本格的な戦争になったみたいです。
ベルトゥル公国は、避けたい事態だったのですけどね」
とルージェナが説明を始めた。
ベルトゥル公国としては、両国が本格的な戦争に
突入する前に終わっていれば、重畳であったのだが、
レズェエフ王国が思いのほか、大軍を投入し、
両国とも大軍が展開する事態となっていた。
ベルトゥル公国は両国から、援軍を送るように
督促されているが、公国内の貴族の主張が
わかりやすいほどに真っ二つに割れていた。
「ってかなんで、ルージェナは
そんなことを知っているの?」
と九之池が驚いたように話すと、
「えっ、さきほど、ヘーグマンさんと
エドゥアールさんが話していましたよ。
多分、あの二人は、宿場町で情報を
仕入れていたのでしょうね」
「めんどくさい話に巻き込まれなければ、
いいんだけどね」
とあくびをしながら、ルージェナと
あてがわられた部屋に向かった。
翌日、九之池は、シリア卿に面会した。
「九之池、気ままに過ごすのはここまでだ。
今日から我が軍に所属してもらう。
そして、バルザース帝国とレズェエフ王国の
国境付近に出征しろ」
と不機嫌そうにシリア卿が言った。
「ちょっ、旅の報告とか、今後の話については、
どうなるんですか?」
慌てて、九之池は尋ね、その直後、
「ぎゃぁぁぁあっつ」と悲鳴をあげた。
シリア卿は、なにやら真剣につぶやいていた。
しばらくの間、九之池が床でのたうち回ると、
シリア卿、呟くことを止めた。
「おい、同じことを言わせるなよ」
とシリア卿が言って、更に続けた。
「馬車は貸してやる。
食料等は、出征までにそこら辺の魔獣でも
刈り取って、魔石を売り払って自分で集めろ。
冒険者が傭兵として雇われ始めてから、
慢性的な人手不足のようだからな」
「ふぅふぅ、ふぅふぅひぃ、
旅に出る前と話が違うじゃないですか」
と床に這いつくばりながらも九之池が
またしても言い返した。
そして、また、叫びながら、床をのたうちまわった。
「ふん、旅をして、成長したつもりか、
俺は、貴様と違って、忙しいんだ。
手間をとらせるな。
おい、娘、そこに転がる豚を連れて、
さっさとここから出て行け。
今、言ったことを今日から始めろ、いいな。
出征の時期は、エドゥアールから、伝える」
憤怒の形相でシリア卿を睨みつけるルージェナに
恐れるふうもなく、飄々と言うシリア卿であった。
ルージェナは苦しむ九之池に肩をかし、
執務室を後にした。
「ルージェナ、手を煩わせて、ごめん」
と何とか九之池が言うと、
「いいえ。それより、大丈夫ですか?」
とルージェナが気遣った。
「うーん、苦しいけど、以前のような恐怖は
感じなかったかな。ちょっとは成長したかも」
と九之池がなんとか笑顔を作った。
部屋で休むと、少し落ち着いたのか、九之池は、
「久々にシリア卿に会ったけど、魔術師としては、
思ったより能力が低いのかな?
気のせいか、稲生さんの嫁さんやビルギットさんに
比べるとどうもレベルが低いような」
と言った。
「ちょっ、九之池さん、何を言っているんですか!
シリア卿も十分に能力は高いです。
あの二人が異常ななんですからね。
天才というか変人というか、おかしなレベルの
人たちなんですから、あそこを基準にして、
判断してはダメです」
とルージェナが急ぎ、九之池の認識を改めた。
二週間ほど、近隣の魔獣や魔物を狩り、
お金を稼いでいると、エドゥアールから
出征の日の連絡を受けた。
「一週間後だ、いいな。
おまえは、ベルトゥル公国初の召喚者として、
出征することになる。
その馬車を派手にして、正門を抜けてもらう。
戦場までのお前の隊列はここだ。
戦場では歩兵隊の先陣をきってもらう。いいな」
とエドゥアールは絵を見せながら、
ルージェナに説明をした。
出征の経験のあるルージェナが説明を
受けているため、九之池は適当に
聴いている振りをしていた。
戦争の経験のない九之池には、
今回の出征は夢物語のようにしか感じられなかった。
城門を抜け、戦地に向かう日々は、苦々しい雰囲気が
充満しており、九之池を暗澹とさせた。
そして、単に命じられただけで、
何の目的でそこに向かうのかも定かでないため、
どうも気分がのらなかった。
九之池は、気儘に過ごせた旅の日々を
懐かしく思いながら、馬車に揺られて、
戦地に向かった。
ええっー九之池さん、大丈夫?