3 私歩き始めます
朝日がカーテンの隙間から柔らかな日差しを届けてくれている。母は台所に立っているようだ。お腹がすいてきた。わたしは、ベッドから立ち上がり、よたよたと歩く。久しぶりに歩いた。ドアノブをつかむと同時に、静かにドアが開いた。
「ララ、起きたの?大丈夫?熱は下がったようね」
柔らかな空気とともに、おいしそうな匂いがしてきた。母に手を引かれ椅子に腰かける。テーブルの上のスープを少しずつ口に運ぶ。食事をするのは何日ぶりだろう。・・そんなことを考えている間にスープはなくなってしまった。目の前の母は目を見開いて驚いている。
「ララ、食べれたの? お腹痛くない?」
「お腹すいた。母様のスープ美味しい。元気になったみたい」
そんな私の変化に母は喜ぶ。不審がる様子はなかった。数日、起きたり寝たりを繰り返し、少しずつ日常を取り戻していった。
ララは赤ちゃんの頃から体が弱く、起きていることが少なかった。家の中だけが彼女の世界だった。わたしが何も知らなくても、母に不審に思われなかった。
元気になったララは、母の後ろをついて歩いた。いろいろなことが珍しく初めてばかりで楽しい。少しずつこの世界を知っていくのは、とても楽しい。ララの家は小さな雑貨屋さん?を営んでいた。刺繍の入った小物やお菓子、髪飾り、クッション、小さな家具やカーテン、近所にあったら便利なお店をララのせいで時々お休みしていた。それでも、それなりに繁盛している。ララと母は暮らしに困らなかった。
前世の私、りえは母を早くに亡くす。父は再婚して私は、親戚に養子に出された。養子先ではとても良くしてくれた。それでももともとの家族の中に私の居場所はなかった。早く自分の居場所を持ちたいと思った。
手に職をと看護師になった。夜勤があるので、家を出るのも簡単だった。小さな寮の一部屋がりえのお城になった。仕事はハードで研修だ、学会だ、研究だと24時間あっても部屋に帰るのは数時間。自分の居場所を作る暇がなかった。
要領の悪い私は勝手に仕事を背負い込み、気が付いたら青春も夢も友もなくしていた。今思えば、私がやらなくても誰かがやってくれただろう。「好きでやっているから任せておけばいい」そんな言葉も聞いたような気がする。自分で自分の首を絞めていた。
老後は施設に入って誰にも迷惑かけない。そんなこと20歳が考えることじゃない。何時わたしは死んだ。心残りを山ほど抱えたわたしは、死ぬことさえできなかった。せっかく貰った新しい人生と、優しい母。もう一度生き直したい。
今朝はパンにスープにフルーツを食べた。若草色のワンピースに白いエプロン。もちろんフリル付きに着替える。母に似た栗毛を三つ編み。鏡の前でくるりと回ってみる。うん可愛い。
今日からお店の手伝いを始める。お仕事始め。看板娘目指そうと昨夜から張り切っていた。そんな私の前で母は、店の窓を開け、指先をくるくると小さく動かしている。その指の動きに合わせて春の花の香りと一緒に、暖かな風がお店に吹き込んできた。なにをしたの?小さな竜巻がお店の中を一回りしてまた窓から出て行った。魔法?ここどこの世界?
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