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第8話 ドラゴンと愛

エヴァンは、逃げていったヴァルを追うため、森の中へ駆け込んだ。


ひと飛び早く、ヴァルを追いかけていったファムも見失わないように、あとを追う。


――魔王を倒すことに比べたら、どうってことないでしょ。


ミラの声が頭の中で反芻する。


――確かに魔王を倒すことに比べたら、どうってことないかもしれない。でも、俺は覚えていないんだよ。


エヴァンは、ミラの声をかき消すように頭を振った。


まずはファムに追いつくため、走りに力を入れた。


グッと地面に足首が沈み込んで、そのひと蹴りでグンと前へ飛び跳ねた。


「ブグッ、痛ーっ」


木の幹に頭から激突してしまった。


一瞬のことで、跳躍と方向の制御ができなかった。


――と、いってもそこまでは痛くはないな。あ、いけない。


エヴァンは、木の横に体をずらしてまた走り出した。徐々にその速度を上げていく。


次第に耳元の風切り音が強くなっていく。


目の前に迫ってくる木々も残像を残すかのように、次々と体の左右を通り過ぎて行った。


エヴァンは、だんだんと力加減と体の使い方がわかってきていた。それは、体が勝手に判断して動いてくれる感覚に近かった。平均の意識とエヴァンの脳、そしてエヴァンの体がつながっていくような感覚だった。


あっという間にファムに追いついた。ファムは定位置であるエヴァンの肩に抱きついた。


ククー


エヴァンは、ヴァルの後ろ姿をとらえていた。


――これなら、一気に追いつける。


ファムの爪がシャツ越しに立てられたのがわかったエヴァンは、さらに速度を上げた。そして、ヴァルの真横を一瞬で駆け抜けて、両腕を左右に広げてヴァルの前をふさいだ。


ヴァルが急ブレーキを踏んだように止まった。


お互いに見合ったまま動かない。


エヴァンは、一瞬嫌な記憶が蘇っていた。元の世界でトラックにひかれるあの瞬間を。しかし、ヴァルの細った姿を見て、その記憶はすぐに消えた。


ミラに言われた通り、ヴァルをよく見れば、エヴァンを食いかけた時に比べると、ドラゴンたる隆々しいさがなかった。


ヴァルは、ゆっくりと足を引こうとしていた。エヴァンを見る目がまた泳いでいる。


――また逃げてしまう。というより、怯えている?

――誰に?

――俺にか?

――まさか、ヴァルは俺を食うことができず、村から追い払ったことで。


エヴァンは、また逃げられてはいけないと、慌ててミラから渡された小樽のふたを開けて、小さな団子状のエサをヴァルの足元に投げ落とした。


「お、お食べ」


――疑わずに食べてくれ。


エヴァンは、まったく敵意はないと、引きつった笑顔を見せた。ヴァルは、そのエサを見つつも、その場から逃げようか迷っているようだった。


クックー


「え、お、おい」


ファムがヴァルの足元にあったエサを食べてしまう。


ククー


ファムは首を上げて、甘い声で鳴いた。


ヴァールー


エヴァンは、もう一つエサをヴァルの足元へ放った。今度はファムはそれに見向きもせず、エヴァンの肩へと飛んで戻ってきた。


ヴァルは、エヴァンを警戒するようにゆっくりと首を下ろしていく。


ククー


その一声がヴァルを安心させたのか、舌でペロッとエサをすくい上げて飲み込んだ。


ヴァルー


ヴァルの表皮の色が赤から緑がかった色に変化した。逃げる気配はなくなり、犬がエサをもらう時のように待ての立ち姿で大人しくなった。しかし、ヴァルの目は、エヴァンを真剣に見つめ、エサを欲しがっていた。


――どのくらいあげていいものなのか。


中型のドラゴンであれば、一つ二つでは満腹にはならないだろうと、一つずつエサをあげる。エヴァンは、来た道をゆっくり戻り出した。エサで吊ると、ヴァルも素直にあとをついて来てくれた。


――食には勝てないわけか。


地面にエサを何度か投げ落としていたエヴァンだったが、次第にヴァルとの距離が縮まり、手に平から直接エサを食べてくれた。手の平に残る舌の生温かさと柔らかさにヴァルの可愛さも感じられた。べっとりと残ったヨダレを除けば。


「ヴァル! いつものヴァルに戻ってる」


ミラと一緒に早乗りドラゴンに乗ってきたディリィの驚きつつも明るい声が背後から聞こえてきた。


「もう赤くないし、興奮していない。ヴァルと仲良くできそう?」


「うん」


ミラがそういうと、ディリィはせっせと早乗りドラゴンを降りて、ヴァルにかけ寄った。


ヴァルー


ヴァルの鳴き声もどこか申し訳なそうな優しいものだった。顔を近づけてきたヴァルに、ディリィは触れるか触れまいか、一瞬迷ったが、そっとその顔に手で触れた。


「ヴァル、ごめんね。急に大きくなっちゃったから、私びっくりしちゃって……嫌いじゃないからね」


ヴルルルー


「ちゃんとご飯食べてた? お腹すいたでしょう。また一緒に食べようね」


エヴァンは、ディリィにエサの入った小樽を手渡した。ディリィは一つずつ嬉しそうにヴァルに食べさせていた。ドラゴンが愛で大きくなることを子供ながらに理解したディリィは、もうヴァルに恐怖を抱かなくなっていた。


「上手く興奮を鎮めてくれたみたいね。ヴァルにあなたの気持ちも伝わったようね。ディリィの元へ戻ってもらいたいという気持ちが」


ドラゴンと少女の仲睦まじい光景を前に、ミラが優しく言ってきた。


「そ、そうでしょうか。私はただ――」


ミラは大きくため息をついた。


「無自覚にドラゴンをこう手中におさめてしまうところは、さすが勇者様。まっ、記憶はなくしてるけど、伝説のドラゴン・ファフニールの子供を仲間にしちゃうくらいだから、当然でしょうけど。やっぱり、世界を救うほどの愛がそうさせるのね」


「あの、その愛とは……私にはよくわかりません」


エヴァンというより、平均自身の本音だった。


ミラは、目の前の光景を指差した。


「これが愛よ。人が心を開いて、ドラゴンと気持ちを通わせる。基本的には、ドラゴンはその他の動物や植物、自然の気持ちを感じとることができると言われている。もちろん、ドラゴンの種類や性格で、心の通わせ方が違うけど、いかに私たち人が、ドラゴンに心を開くか。ドラゴンはしっかり正面から受け取ってくれる。もし、受け取ってくれない場合は、自分に問題があるってこと」


エヴァンは、素直にドラゴンの性質を受け入れるディリィを見習いたかった。


老婆が待つ家に戻るまでの間、自分の愛、ファムへどれだけ心を開いているのか、考えた。しかし、どれだけ考えても、その心とはなんなのかわからなかった。


唯一、思い当たる懸念があった。それは、エヴァンの中身が平均という人間であることだ。それはファムだけでなく、カーラやミラにも心を開いていないという後ろめたさがあった。


――伝えたところで、理解してはもらえないだろう。


また、ドラゴンは表皮の色で、その時の大まかな性格がつかめると、ミラが教えてくれた。


赤は興奮状態、怒りや気性が荒い。青は、冷静で落ち着いて、時に無興味。緑は、穏やかで自然と気持ちを解放している状況。


エヴァンは、これでファムやドラゴンの様子や性格をとらえるのに判断できると思えた。


ヴァルの頭に乗ってディリィが家に戻ると、老婆は目をまるまるとさせ、安堵の笑みがこぼれた。


日が暮れかかり、エヴァンとミラが帰ろうとすると、老婆は小声で話しかけてきた。それは、ディリィがこの森で生まれ育っていないという話だった。


一年ほど前、突然、空から落ちて来たという。この辺りの髪の色ではないし、別の国の少女ではないか。ここに来る以前のことを覚えているのかはわからなかった。老婆がディリィに聞いても話そうとはしない。唯一、名前だけを言ってくれた。それほど口数は多くないが、大人しく普通の少女であると老婆は認識していた。


ただ、ふと姿が見えなくなると、小川の水面を見つめていることが多かった。水面を見ているのか、そこに写る自分の顔を見ているかはわからない。


「こんな森の奥で、老婆とドラゴン一匹で暮らしている。できれば、同い年くらいの子とも一緒に遊ばせてやりたいが、私もこんな年だ。元気とはいえ、なかなか遠出はきつくてね。できれば、元の家族のところへ戻してやりたい」


ミラは、人が空から降ってくる噂話を聞いたことがあった。多くは海を渡るときに、海竜が起こした天にまで届くほどの海流に飲まれて、遠くへ飛ばされるのだという。ディリィもそれに巻き込まれ、ショックで以前の記憶が一時的にないのかもしれないと。


老婆は、無理にと言わないと、つけ加えて二人に今後もディリィと会ってほしいと頼んできた。


ミラは、快諾した。エヴァンは、その真意をすぐに理解した。それは、ヴァルとお近づきになることだった。ミラ自身、中型のドラゴンの扱いには慣れておらず、これを機にブリーダーとしての仕事力を高めようとしていたのだ。


ディリィをないがしろにする意図はなく、近く品評会があることを伝えると、ディリィはエヴァンたちとともに行くことになった。もし、そこでディリィの家族の情報が手に入ればいいと、老婆はディリィを快く送り出してくれた。


エヴァンとミラは、急いで森をあとにした。日暮れの森は暗かった。いっきに森を抜けて、フレステットの町とアドヴェント村への分かれ道に到着した。


「はい、約束のもの」


別れ際、ミラから報酬の入った紙包みをエヴァンは渡された。受け取れるほど何か役立ったわけではなく、エヴァンは素直な気持ちではなかった。


しかし、ミラの夕日で影った表情は、晴れやかな笑顔だった。


「また何かあったら、協力してね。もちろん、報酬もはずむから」


「は、はい」


エヴァンもとい平均は、思わず答えてしまった。


品評会へは、ディリィを連れて、フレステットの町へ出向くことを約束して、二人は別れた。


エヴァンがアドヴェント村に戻ったのは、日が沈んで少し経ってから。カーラに心配されたのは言うまでもなかった。温かな夕食を囲み、森で何があったのか、しつこく聞かれたのも、無論、言うまでもない。

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