第7話 ドラゴンの笛
エヴァンとミラは、早乗りドラゴンに乗って、村を出発した。
地図片手に先を走るミラの後を追っていくエヴァン。
早乗りドラゴンの足は速かった。日が暮れるまで戻ってこなければ、道が暗くなってわからなくなる。ファムもエヴァンの肩に爪を立てるようにして、しっかり捕まっていた。
アドヴェント村やフレステットの町近辺に出没するドラゴンの興奮をおさめるため、依頼のあった森の奥へ向かっていった。
カーラも着いて行きたそうにしていたが、アドヴェント村の早乗りドラゴンは一匹しかいない。あと二匹は、レナや村の子供たちが乗って行ってしまっていた。帰ってくるまで待ってはいられないこともあり、大人一人が乗れる早乗りドラゴンに、エヴァンが乗った。
森へは、いったんフレステットの町へ戻る形で進む。そして、森へいく道を曲がる。それは、川を渡る橋がそこにしかないからだった。
ドガーの巣のある川下にかかる木造の幅の狭い橋を渡ると、よりいっそう緑が深くなっていった。昼間だというのに、暗く感じるほどだった。
道も早乗りドラゴンが通るほどの道幅となっていくが、ミラはかまわず進んでいった。エヴァンは、置いていかれてはかなわないと、必死に手綱を握って、ミラのあとに着いていく。
ミラが受けとった手紙によれば、そのドラゴンは、少女と老婆二人で、森の奥で一緒に暮らしていたという。だが、急に赤くなって凶暴性を増して、森を離れてしまった。また穏やかに一緒に暮らしたいが、ドラゴンをどう落ち着かせればいいかのかわからないという。
ドラゴンを扱うのに長けている者は、一番近いところでフレステットの町のブリーダー・ミラの他にいなかった。フレステットの町近くにも出没していたため、町長からどうにかできないか相談もあり、その対策費用が出ていた。
だが、ミラ一人が、中型ドラゴンをどうこうするには、ほぼ手立てがなかった。ミラが扱うドラゴンは、小型の部類ばかりで、中型ドラゴンを扱ったことはない。
そんな時、タイミングよく勇者エヴァンと知り合うことができ、算段がついたのだった。
ミラから一緒に来てほしいと頼まれたエヴァンもとい平均は、断るに断れなかった。ドガーを無料で診てもらった上に、ミラからの依頼で報酬も出る。ましてや、女性一人で興奮したドラゴンの元へ行かせるわけにはいかなかった。
――いてくれればいいから、と言われたものの、また食われたりしてしまうのかな。
平均は、森の奥へ進めば進むほど、その不安は暗く重くなっていった。
「着いたようね」
ミラが止まった。
開けた一帯の中央にログハウスが建っていた。丸太の壁にはコケも生えていて、長い年月そこにあるのがわかった。
「こんにちわ」
早乗りドラゴンの手綱を木にとめて、ログハウスの入り口でミラが言った。
「はーい」
老婆がドアを開けて姿を現した。年はいっているが、背筋もしっかりと伸びた元気な女性だった。
「初めまして、コーデリア・クラインという少女からこのお手紙をいただいて伺いましたミラです」
「エヴァンです」
「あら……じゃぁ、あなたがドラゴン・ブリーダーの?」
「えぇ。コーデリアちゃんはいますか?」
ミラが聞いた。
「ディリィなら今、外に。その辺りにいないかしら?」
家の周囲、木々の間を見回ったが、人の気配はなかった。興奮したドラゴンが現れたりもしたら、危険ではないかとエヴァンは思った。
しかし、老婆の話では、ドラゴンは一週間ほど前にここを離れて行って一度も戻ってきた様子はないと言う。
老婆の案内で、ディリィがいそうな森の中を進んでいく。
すぐに方向はわからなくなり、もう一人では戻れないと不安になるエヴァン。
お花をつみにくる花園には少女の姿はなかった。次に、よく休憩をしにいくという大きな岩の場所にもいなかった。そして、小川に出ると、ディリィはかがんで水面を見つめていた。
緑色の髪の毛が背中まであり、光の加減で青色にも見えるきれいな髪をもった大人しい六歳の少女だった。突然、大人が現れたことで、老婆の後ろに隠れてしまったが、手紙の話をしたいと言うと、おそるおそる言葉を発してくれた。
「エサもいつも通りにあげていたら、急に大きくなっちゃったの」
「そうだよね。急に大きくなったら、ビックリするよね」
小川の脇に座って、ミラはゆっくりとした言葉で言った。ディリィはうなずいた。
「このくらいだったのに、こーんな、こーんな大きくなって、怖くなって私、泣いちゃった。そしたら、ヴァルは、体を赤くして怖い顔して吠えたの。そして、どこかへ行っちゃった……」
中型になる前は、早乗りドラゴンほどの大きさだったようだった。ディリィは、ゆっくりと思い出すように話してくれた。
ミラはうなずいて、ディリィの目を見ながら話を聞いていた。
エヴァンは、そのときの様子を手にとるように想像できた。目の前で、そのドラゴン・ヴァルを見たのだ。ましてや、飲み込まれそうにもなった。自分の何倍も大きなドラゴンに吠えられたら、怖くなるに決まっている。
――でも、どうして急激に大きくなってしまったんだ。変な薬を間違って飲ませてしまったとか。
「怖かったね。でも、ヴァルはディリィを怖がらせるために大きなったんじゃないんだよ。ドラゴンは、愛をたくさん受けとるとね、大きくなるんだ」
「あい?」
「そう。愛情っていうやつ。ディリィはヴァルに、エサをあげたりお世話したり、一緒に遊んだり、暮らしてるでしょ。ドラゴンは、お世話してくれる人の愛を受け取ってるの。ディリィはちゃんとしてたでしょ」
「うん。だって、ヴァルは可愛かったから」
ディリィは、目線をそらして悲しそうな表情をした。
「そうよね。ディリィのそういう優しい気持ちがヴァルを大きく成長させたの」
「わたし、ヴァルはそのままがよかった。わたし、いけないことしちゃったの?」
「そんなことない。ヴァルは、大きくなるドラゴンだし、大きくなれて喜んでいるはずよ。ディリィからたくさんの愛をもらったんだもの。ディリィだって、おばあちゃんと一緒にご飯食べたり、生活してるでしょ」
「そうだけど……」
ディリィの声は尻すぼみ、ちらっと老婆に視線を送った。老婆は慌てて笑顔を作って見せていた。ミラは、二人の様子を悟って、続けた。
「たぶんね、ヴァルは大きくなったところをディリィに喜んでもらいたかったんだ。でも、急に大きくなってビックリして泣いちゃったディリィにヴァルも驚いたんだと思う。嫌われちゃったと思ってるかもしれない」
ディリィは全力で首を左右に振った。
「嫌いになんかなってない。ヴァルのことは好き。でも、急に大きくなっちゃったから」
「それならその気持ちをヴァルに伝えよう。そうしたら、ヴァルも赤くなって吠えたりしなくなるよ」
「本当に?」
「本当よ。私、ドラゴン・ブリーダーだもん。ドラゴンのことならおまかせよ」
ミラは満面の笑みを見せた。ディリィも微笑んだ。
「ヴァルがいつもいるところとかわかる?」
ミラは聞いた。ディリィは立ち上がって、ポケットから少女の手で握れてしまうほどの小さな三角形の笛を取り出した。
「ドラゴンの笛を持っているのなら、話は早い。吹いてヴァルを呼んでもらえるかな」
しかし、ディリィはまたも首を左右にゆっくりと振った。
「こわい……」
ドラゴンの笛は、そのドラゴンの鱗を削って作られている。その笛を吹くことで、そのドラゴンだけを呼び寄せることができる。他のドラゴンは反応しない。
ドラゴンが人に鱗を取らすことは、それだけ信頼関係があるということ。笛があることがそれを証明していた。
ドラゴンの笛は、笛を作る職人に作ってもらわなければならないが、魔王支配下世界で、多くの笛作り奴隷としてさらわれてしまっていた。今は作れる人も少なかった。
「大丈夫。もし、何かあっても、勇者エヴァンが守ってくれる」
「えっ」
エヴァンは、ギョッとした顔を一瞬するも、自信ありそうに引きつった表情を取り繕った。
「勇者なの?」
「そう、こう見えて強いんだよ」
ミラは付け加えた。
――そ、そんなことだろうと思ってました。
「あんた、どこかで見たことあったと思えば、勇者だったんか。やけに落ちついとったからわからなかったよ」
目を丸くした老婆に言われた。
ディリィは、少しの間、笛を見つめた。そして、意を決したように、笛を吹いた。
かすかに高い音の笛の音が聞こえた。
ディリィが笛を吹き終わると、誰もが耳を澄ませていた。エヴァンは、ヴァルが魔法のように突然目の前に現れるのかと思って、緊張していた。
遠くで鳥が高い声を発しながら飛び立つ音が聞こえた。その方向から低い足音がだんだんと近づいてきていた。木の枝が折れる音も聞こえてきて、ついに木々の間からその姿が現れた。
表皮を赤くしたドラゴン。エヴァンたちを見下げて、口を開け、咆哮を上げる。
間違いなくドガーを襲ったドラゴンだった。エヴァンを飲み込もうとした時に、欠けてしまった歯が今もそのままだ。
ディリィはミラの後ろに隠れるも、顔を出して、ヴァルの姿をそっと見る。
――頼むから、ディリィの顔を見て、落ち着いてくれ。
エヴァンは祈るように、ヴァルを見る。
ヴァルもエヴァンを見た。
グワッ?
ヴァルの目の色が変わった。まるで何かに怯えるように目が泳ぎ、姿勢が丸くなっていく。そして、後退りしながら、背中を向けてまた森の中へ走り去っていく。
「え、ちょっと、逃げないで。エヴァン、追いかけて、その場にとどまらせておいて。できれば連れてきて」
ミラが慌てて叫ぶ。
「きゅ、急にそんなこと言われても」
「ディリィの前で、力で強引になんて言わない。これをうまく使って。私たちも後を追うから」
ミラは、地面に降ろしていたリュックにくくりつけられていた小樽を二つ手渡してきた。ドラゴンの餌が入っているという。
――ま、まさか、この期に及んで、餌付け?
「見た感じ、痩せていたし、何も食べてない感じだと思う。それを食べさせて気持ちを落ち着かせておいて」
「い、いや、これだけじゃ足りないんじゃ」
――お腹が減っていたら、今度こそ食べられてしまう。
「あなた、食べられても平気だったんでしょ。勇者なら今度も大丈夫でしょ」
ミラは、真顔で言った。
「し、しかし」
「報酬も出すって言ってるでしょ。ここで解決すれば、全てまるっとおさまるのよ。日も暮れかかっているし、時間がない。頼んだわ」
エヴァンは、耳元で強くはっきりと囁かれた。
「ファムちゃん、お願いね」
そして、号砲を放つかのように、ミラは威勢よく言った。
ククー
ファムは、今までの話を理解していたかのように、エヴァンの肩から羽ばたき、逃げたヴァルを追って森の中へ飛んでいってしまった。
「あ、ファム」
エヴァンは、自分が食われるより、ファムが食われてしまうかもと心配にな李、その場から駆け出した。
――きれいな顔して、冷酷なことを言うのは、カウンセリングルームの上司より怖い。