第24話 目覚めの鐘
エヴァンは、目覚めた。
真っ白な壁に、彫刻がされた柱が何本も立つ神殿で寝かされていた。
隣の石台の上で、カーラが横になって眠っていた。
「エヴァン、目が覚めた」
ふりかえると、緑髪のディリィが立っていた。
「ディリィ!」
石台から飛び降りたエヴァンの声が神殿内に響いた。
――これは夢なのか? いや……
エヴァンは、冷静にディリィを見つめた。
「ディリィ……私も死んだのか」
エヴァンが言うと、ディリィはニコリと笑って、左右に首をふった。
「飛竜船から落ちた時、あそこで戦っていた天龍に救ってもらえたの」
「そ、そうだったんだ。良かったぁ」
エヴァンもとい平均は、スーッと体から重りが消えていったように気持ちが軽くなった。
「エヴァン。天龍があなたを呼んでる。向こうへ行ってみて」
ディリィが神殿の外を指差した。
「天龍が?」
エヴァンが聞くと、ディリィは静かにうなずいた。
「ディリィは……」
「私は、カーラと一緒にいるから」
「わかった。カーラをよろしく頼むね」
神殿の外は、まるで海に浮かぶ島のように雲海に浮かんでいた。
その雲海は、真っ黒な雲ではなく、白い雲だった。
「よくここへ来たな」
太く低い声が、辺りに響いた。
エヴァンが辺りを見回す。雲海から、ドラゴンの顔が浮かび上がってきた。
川で背中を渡してくれたドラゴンと同じような顔。しかし、大きさもそのドラゴンの比ではなかった。
まさに天龍と言える大きなドラゴンだった。
「おぬしは、ここの者ではないな」
――見抜かれている。
エヴァンは、ひと呼吸おいた。
「はい。おっしゃる通りです。私の意識は、別の場所からこの体に入りこんでしまっています」
「ここまで来たならば、元の世界に戻してやってもよい」
「えっ」
「驚くことのほどでもない。私の力であれば、造作もない」
「し、しかし、私が戻ったところで……」
「それは、戻ってみなければわからないことだ。私に会いに来たのは、それが目的ではなかったのか?」
エヴァンは黙って、少し頭の中をめぐらせた。
「ここへ来たのは、この珠で石化してしまった人を元に戻したくて」
エヴァンは、ドラゴンの珠を出して見せた。そして、続ける。
「コカトリスに石化させられた人々を戻してもらいたい。そのコカトリスの魔力を除いて欲しい。川にいた飛べないドラゴンを飛べるようにして欲しい」
「本当にそうなのか?」
「……そう問われると、どこかで元の世界に戻りたいと思っていた――と思います」
「それを叶えてやると言っているのだ」
「それは、とても嬉しいことなのですが、私がそんな個人的なことを願ってしまっては、このあと」
「本来のおぬしに目覚めれば、元の者が目覚める。そうしたら、石化を解くドラゴンの珠をその者に渡す。コカトリスに石化させられた者には、コカトリスの涙を浴びせれば、石化は解ける。コカトリスの魔力は、飛び回っていれば、いずれなくなる」
――それはダイエットみたいだな。
「川のドラゴンには、誰かのために善行をなせば、飛べるようになると伝えれば良い。おぬしの望みは、それですべて解決する」
――だからと言って、途中でこのまま投げ出してしまってもいいのか。
「カ、カーラは、カーラさんの体調は……」
エヴァンは顔をあげて聞いた。
「その女は、ここで目覚めることはない。地上に連れ帰れば目を覚ます。体調も戻っている」
「そ、それじゃ、もうカーラさんとは」
「無論、すべてを成し遂げてから元の世界へ戻るのも良し。もし、ここで戻られなければ、先は長くなるぞ。せっかく得られる機会を逃すことでもある」
「そ、そう言われると……」
エヴァンもとい平均は、ハッとした。
――結局、こっちの世界に来ても何も学んでいなかった。目の前にすごいチャンスがあるのに、こんな自分が簡単にそれを得ることを拒否している。
エヴァンは、また天龍の目を見つめた。
――この体は私の体ではない。本来はエヴァンのものだ。それに、カーラさんは私ではなくエヴァンを待っている。
「元の世界へ戻ります」
「よかろう。私の頭に乗れ」
天龍の顔が雲の中に沈んで、エヴァンは飛びなった。
天龍は、雲海を泳ぐように進み、神殿から離れると雲海から上がり、さらに天へ昇っていく。
エヴァンはふりかえって遠ざかっていく神殿を見た。
――さよなら。
勝手な自分を許してください、と言いそうになったが、グッと気持ちをこらえた。
着いた場所は、宙に浮いた小さな島。
そこには、大きな鐘が一つあるだけだった。
「その鐘を鳴らせ。そうすれば、おぬしは元の世界で目覚めよう」
エヴァンは、紐に手を伸ばして、鐘を見上げた。
クグー
ファムが急速にエヴァンに向かって来ていた。
「ファム、ずっとこんな私を好いてくれてありがとう。エヴァンと仲良くな」
カーン カーン
エヴァンは、ファムがやってくる前に紐を強く引いた。鐘が、天空一帯に響いていく。
――ありがとう。
エヴァンの視界は真っ白になった。
車が何台も通り過ぎたり、人々が行き交う雑踏の音に包まれた。
エヴァンもとい平均は、目を開けた。
ガラスに映るスーツを着た自分、平均。やけに軽いカバンを片手に持っていた。
「ここは……」
見覚えのあるビルの前に立っていた。転生する前に勤めていた営業の仕事をしていた会社が入っていたビルだった。
「そうか。今日は入社面接の日だ」
ガラスに映る自分の目を見た。
「俺は本当にこの会社に入りたいのか」
自分で自分に投げかけた。目の中の映る自分の答えは明確だった。
ドラゴンの世界で過ごしていた時の記憶がよみがえってきた。
心のベクトルは、ここを指してはいなかった。
――世界は一つじゃない。
平均は、そのビルに背を向けて歩き出した。
終わり




