第23話 黒雲を越えて
カーラの足どりは重かった。
特にドラゴンの背を渡って、川を越えてからというもの、さらに進むペースは落ちた。
顔色は悪く、体調が悪いことはあきらかだった。
口を開けて、一生懸命に息をして、弱音を言うことなく足を前に進める。
「休憩しましょうか」
とエヴァンが聞いても、
「もう少ししたらね」
と、カーラは苦しまぎれの笑顔を見せるだけで、休もうとはしなかった。
気づけば、川もずっと後方に見えて全容がわかるくらい高いところまで登ってきていた。
小さな瓦礫の軽微な登り坂にいちいち足元をとられて、ついにカーラは足を滑らせて倒れてしまった。四つんばいになって、それでも立ち上がろうとするも、体は震えていてもう限界だった。
轟音とともに、20メートルほど離れたところに赤いいかづちが落ちた。
小石が飛び散ってきた。
クグー
ファムが、バサバサと翼を広げる。しかし、エヴァンは肩にとどまったまま。
今までで、一番近くに落ちた。
エヴァンは、真っ黒な天を見た。
――ここまで当たらずに来れたのは、奇跡なのか。
「カーラさん、少し休みましょう」
息を切らしたカーラが何か言ったが、エヴァンは聞き返すことなくカーラを抱きかかえた。
辺りを見回しながら進むと、洞窟を発見した。
吸い込まれるように入った。あまり奥に行くと、真っ暗で何もわからない。
仕方なく入ってすぐの場所に、カーラを降ろした。
「ありかとう。私、全然体力ないね」
壁に寄りかかって座ったカーラは、ひたいから汗を流し落としながら苦笑いする。
しかし、壁に寄りかかる力はなくなって、そのまま横に倒れてしまった。
「カ、カーラさん」
「ごめんね、少し休ませて……」
カーラは目を開けずに言った。それから静かに息をし続ける。
――寝かせておけば、少しは休まるのか。
エヴァンは、カーラの汗をそっとぬぐってやることくらいしかできなかった。
洞窟の外では、あいかわらず雷鳴がなり、赤いいかづちがあちこちに落ち続けていた。
――もし、自分に魔法が使えるなら、カーラさんの体を回復させられたのだろうか。
エヴァンは試しに、カーラに手のひらを向けた。
理屈はわからないが、念じてみた。
手のひらが光る――わけでもなかった。カーラになんの変化もない。
カーラの呼吸は落ち着き、吸って吐いてを繰り返している。
しばらく寝かせておこうと決めたエヴァンは、立ち上がって、ゆっくり洞窟の奥へと足を進めた。
足先で棒のようなものを蹴ってしまった。
その場にしゃがんで、棒に近づき、手にした。触れた瞬間、木にしては表面が滑らかのように感じた。
わずかに明るい入り口側に向けてみて、それがなんだかわかった。
「うわっ!」
クグ
それは、骨だった。
驚いたエヴァンが骨を放り投げて、尻もちをついた。
――ということは。
エヴァンはゆっくり後ろを振り向いた。つまり、洞窟の奥。
そこには、いくつかの人骨が散乱していた。確認できる範囲でボール台の頭部が3つあった。
着ていたであろう服は、ボロボロの布きれとなり、形あるものは革でできた装備品くらいだった。
金属でできた剣のたぐいはなかった。
――他の者に持っていかれたのだろう。
ここで亡くなった者たちは、エヴァンたち同様に休憩していたのか、もう天龍のいるところを目指すのをあきらめてしまったのかはわからない。
戻ることさえもせず、人生をあきらめなければならない状況であったことは、エヴァンもとい平均も強く同感できた。
ここから天龍のいるところまでどのくらいなのかはわからない。しかし、ここから村まで戻るにも、ここまで来たときと同じ時間と体力が必要なのは明らかである。
もし、帰る選択をしても、あの赤いいかづちに当たらない保証はないのだ。
エヴァンは、カーラの反対側の壁に寄りかかって休息をとった。
いつの間にか眠ってしまっていた。ファムがあぐらをかいた上に丸まって、寝ていた。
カーラはまだ眠り続けていた。
一定のリズムで息をしてホッとしたエヴァンだった。しかし、顔色はすぐれない。
カーラのひたいには、小粒の汗がいくつも浮いていたのだ。
ただ眠っていて、この汗は異常であることはエヴァンにもわかった。
――カーラの体調を考えて村に戻るか、このまま天龍のところへ行った方が早いのか。
エヴァンは、どちらが正解のなのか皆目見当もつかない。
「……カーラさん」
カーラの前にひざまずいたエヴァンは、ポロッと助けてほしいと声が出てしまった。
カーラは、細めだったが目を開いて、エヴァンを見た。
「エヴァン。エヴァンだけなら、先へ行けるわ。私はここで帰りを待っているから……」
弱々しい声にもかかわらず、カーラは仏のようにやわらかな笑顔を見せた。
「そ、それは……」
カーラを置いていくことほかならないことを意味していた。
――そんなことできるわけない。
エヴァンは、洞窟の奥へ行き、人骨がまとっていた革の装備品を引っ張った。剣を入れておくホルスターや小アイテムを入れておく体に巻きつけておくベルトだった。
カーラを背負って、その革製品でエヴァンとカーラを固定した。
おんぶ紐のようにして、カーラをおんぶした。
クグー
ファムは自分の場所をとられたこと怒るかと思ったが、パタパタと飛んでいる。
「カーラさん、少し我慢してください」
聞こえているのかわからなかったが、小さくうなずくような返答があった。
エヴァンは駆け足で洞窟を出た。
エヴァンもとい平均は勇者の体に感謝をして、天龍のいるところを目指した。
進めば進むほど、雷鳴と赤いいかづちは頻繁に鳴っては落ちてくる。
赤いいかづちは、真横に落ちてくることもあった。
エヴァンは黒天から伸びてくる赤い稲妻がはっきりと見えて、瞬時に飛びのいて直撃を何度もかわした。
しかし、ついにエヴァンの前に道はなくなった。
目の前にあるのは、壁。
見上げるほどの岩壁のてっぺんは、真っ黒な雲の中だった。
辺りを見回してもほかに道はない。あるのは、また人骨ばかり。
壁の真下にあったり、壁から離れたところにも点々と白い骨が散らばっていた。
壁を登っている途中で落ちてきたのだと、推測は容易だった。
そして、この壁を登ることが唯一の道ということも理解できたエヴァン。
体に巻きつけた革を手でおさえてから優しく腰を跳ね、背中のカーラの位置を整えた。
「ファム、行くよ」
クグー
エヴァンは、壁の凹凸に手と足をかけて、壁を登り出した。
クグ クグ クグー
ファムは、エヴァンを応援するように近くを飛んで、一緒に上がっていく。
時には、先へ行き、道案内するかのようにルートを教えてくれてもいるようだった。休憩できるスペースで、休んでいることもあった。
登り始めた当初は、背負ったカーラの重さは気にならなかった。
しかし、もう真下を視認することはできず、真っ黒な雲の中に入ったところまでやってくると、勇者の体といえど、しだいに悲鳴をあげ始めていた。
黒雲の中は、常に赤い稲妻が縦横無尽に走っていた。まるで、あまたの赤龍がケンカをしているようだった。
赤いいかづちが壁にぶつかれば、表面が砕けもした。
壁に溝があり、そこにカーラを降ろして休憩していた時だった。
赤いいかづちが、エヴァンの場所からずっと頭上に落ちた。
エヴァンは、嫌な予感がした。
赤いいかづちが来る予感。
それは的中した。
壁の溝を伝って、赤い稲妻がまるで怒った赤龍のような姿で降下してきた。
慌ててカーラを抱き抱えて、溝の横で稲妻が流れ去るのを待った。
エヴァンは、赤龍がいなくなった溝をもう一度見た。息が止まるようだった。
そこには、黒くなった影が岩に焼きついていた。
赤い稲妻が通ったあとではない。人が赤いいかづちの直撃を受けて、そこに存在が焼きついたものだった。
――下手に休んでいられないな。
エヴァンは、カーラを背負い直して、また壁を登り出した。
いつのことだかわからないが、爪が割れ、爪がはがれ、指先から、手の平から血が出ていた。手の痛みは、その傷のせいか、岩を握りすぎた手の疲れなのか、エヴァンは考えることはできなかった。
なぜ、自分が壁を登っているのかさえも。
――上司に登れと言われたから。
岩壁が透き通ったガラスで、その向こうには会社のフロアが見える。社員たちが、冷たい目でガラス張りのカウンセリングルームを見ていた。
みんな無表情だったが、心から笑う声が聞こえる。
「登れ、登れ」
上司が、後ろからエヴァンの頭を何度もはたく。
クグ クグ
クグー
エヴァンもとい平均がハッと首を横に向けると、ファムが頭を翼で叩いていた。
エヴァンは、壁にへばり着いたまま動いてなかった。
――幻覚か
――眠っていたのか
「うわっ、クッ」
ガクンと右足が宙に放り出されて、両手の指先に全体重がかかった。
足先にかけていた岩が砕けたのだった。
なんとか右足を壁にかけ直して、体勢を整える。
エヴァンの体力はとうに限界を超えていた。しかし、平均はあきらめる選択をしたくなかった。
背負ったものがいるから。
マーガレットもサロも帰りを待っている。
託された願いもある。
一緒に旅してくれたディリィのことも……。
また一つ一つ岩をつかみ、足先をかけ直して、体から悲鳴が上がろうとも壁を登っていく。
いつの間にか黒い雲を抜けて、明るくなっていた。
しかし、エヴァンはそんなことに気づいてはなかった。
無心で壁を登り続けていた。
ファムがいなくなったことさえも……。
あと、左、右、左と登れば、壁は終わるところまで来た。
そこでエヴァンの体は動かなくなってしまった。
血が乾いて真っ黒になった左手を少し上のとっかかりにかける簡単な動作すらできない。
頭の中では、手を動かすイメージはできているのに。
唯一できたことは、今つかんでいる壁の突起から手を離すことだけだった。
ふわっと、体が軽くなった。
自然と壁から体が離れていく。
薄い水色の天が見えた。
天国のように穏やかに見えた。
また光をさえぎるように真っ暗になる。
エヴァンはまぶたすら開けておく力はなかった。
ただ、最後にかすか何かが伸びてくるのが見えた。
エヴァンの手は、伸びてきた手にグッとつかまれた。




