第19話 コカトリス
1
「コカトリスがそんなことするはずありません。あり得ないと思います」
マーガレットは、老人にはっきりと言った。
「あんたはそれを見たわけではないのだろう」
「そうですけど……」
「わしは見たんだよ。コカトリスが口から吐く毒霧を浴びた者が石になっていくのを」
「確かにコカトリスの吐く息には毒性が含まれています。でも、ごく微量で、ほとんど無害です。連続して大量に吸えば、体が痺れる症状も出ますが、石化なんて。他の原因なのでは」
「それはペットのコカトリスの話じゃろ。わしが見た石化させたコカトリスは、あれはもう魔物じゃったよ。あんたたちも石になりたくなければ、ここから離れることだ」
老人は言うだけ言って、背を向けてファームを歩き去った。
昨今のコカトリスは、ペットで飼えるほど無害で一部のブリーダーには人気がある。見た目が少々奇怪な姿を好む者と嫌う者に別れていると、マーガレットは説明してくれた。
大きさも今のファムより小さく、三十センチほどの小さめの鳥型ドラゴンである。
コカトリスの先祖は、バジリスクというドラゴンだという。そのバジリスクに睨まれるだけで石になってしまう。その能力を継いでいるという話もあるが、実際はそうではなかった。
エヴァンは、先の老人がそのバジリスクとコカトリスを間違えているのではないと思った。
コカトリスとバジリスクの見分け方は、頭に王冠のようなとさかがある方がコカトリスだとマーガレットが教えてくれた。バジリスクにも翼はあるが、鳥型のコカトリスとは体型も違うから判断しやすいらしい。
ただ、老人が大コカトリスと言っていたのが、マーガレットには気になっていた。もしかすると、コカトリスとほぼ同じ大きさのバジリスクが怪物化したバジリコックなのかもしれないと言う。
老人がそれと見間違っている可能性もある。
浮かない表情のマーガレットの話を聞いていただけで、エヴァンはその姿形の想像はできなかったが、恐怖を覚えた。石化させる脅威の力を持ったドラゴンもいるのだと。
「でも、それとこれとは……」
マーガレットは、あごに手を当ててボソッとつぶやいた。
「他になにか心当たりがあるんですか、マーガレットさん」
エヴァンは、何か引っかかっている様子のマーガレットに引っかかった。
「えっ、あ、いえ、これとは全然別件で。関係ないなぁって」
マーガレットが慌ててとりつくろって言っているのが、エヴァンとカーラには一目瞭然だった。
「でも、何か引っかかっていることがあるでしょう?」
カーラは優しく聞いた。
マーガレットは、エヴァンとカーラの目を順番に見ていった。
「エヴァンさんの力を借りればなんとかなると思って、旅のお供にしてもらったのですが、なんか大変なことに巻き込んでしまうのではかと思っていて……」
エヴァンとカーラは、目を合わせて首をかしげた。
2
サロに乗って、クレンペルの飛竜ファームをあとにした。
ブリーゼ大陸には、クレンペル以外にも飛竜ファームはあるとマーガレットは言う。もし、飛竜を譲ってもらえなければ、自分が旅のお供するとも言った。サロは譲れないけど、野生の飛竜を捕まえようと、提案もしてきた。
サロの向かう先は、アシェベックと言うマーガレットの故郷の町であった。しかし、マーガレットはなかなか引っかかっていることを言ってくれない。
顔に受ける風の強さもクレンペルに向かう時ほど激しさはない。さらに内陸に向かっていることもあって、風が弱くなったのかと思ったエヴァンだが、サロの飛行速度がそれほど速くない。
まるで、マーガレットの足取りが重い気持ちが、サロの飛翔につながっているように感じられた。
――言い出しにくいことでもあるのか。それとも……
「マーガレットさん、もしかして、私では役不足だと思っていますか?」
エヴァンは背後から聞いた。もとい平均は、自分で聞いて悲しくなった。
――勇者の体だからといって、今の意識はエヴァンではなく私なのだから、できないことの方が多い。エヴァンならどうなのだろうか。
「へっ、あ、いや、そういうつもりではなく……。勇者エヴァンさんとはいえ、できることとできないことがあると思って」
――そう判断してくれるのは、なんだかありがたい。元の世界では、上司に言われたことは絶対。できようができまいが、やらなければならなかったし。
「でも、少しでも手伝えることもあるかもしれないし、話してくれない?」
カーラが聞いた。
ようやくマーガレットは、渋っていたことを話し出した。
マーガレットの故郷アシェベックの町は、山のふもとにかかった小さな町で、町の中を山から滲み出てくるきれいな川も流れていた。
マーガレットが飛竜で配達の仕事に出ている時のことだった。
ハルトムートという青年が、川が氾濫して町が流されると町を言い回った。雨は降っていたが、川が氾濫するほどの大雨ではなく、いままでその程度の雨で川が氾濫したことはなかった。
その青年は今まで嘘をついたことはなく、信頼のある青年だったこともあり、町の人々は彼の言うことに半信半疑でだったが、非難をした。
避難してから少しして水鉄砲のごとく川はいっきに増水して氾濫して町の一部を飲み込んだのだ。土砂崩れも起きて町は甚大な被害が出た。
ハルトムートの警告で町の人々は助かった。しかし、警告を促したハルトムートの姿だけが消えていたのだ。
彼の姿が見当たらないまま、町の再建にとりかかった。川の水が引き、濁った水も透明に元に戻ると、川の底で石になっているのが発見されたのだ。
なぜ町を救ってくれた彼が石になってしまったのか、誰も理由を知りえなかった。
マーガレットは、コカトリスの件とハルトムートの石化が同様のことなのかもわからなかった。
「私は彼をいつか元に戻してあげたいと思い、勇者がいるというだけでフォイアー大陸に渡った。本当は、石化を解く魔法使いがいたらと思っていたんですけど」
「ウェンダさんに頼もうと」
エヴァンが言った。
「はい、相談する前に姿を消されてしまって」
「でも、そのあとどうして私に」
「勇者さまと旅をしていれば、何か解決方法があるかもと思ったのですが、たて続きにいろいろ起きてしまって、私ごとのことで頼んでいいものかと思って……」
エヴァンは、マーガレットの言うこともわかった。きっと順調な流れの中でさっと解決できればと思っていたのだろう。
「こちらこそ、サロに乗せてもらって、ここまで来るのにマーガレットさんに頼りっぱなしよ」
カーラが言った。
「正直、今の私には、ハルトムートという青年の石化を解くことはできません。でも、その勇敢な青年の姿は見てみたいです。それにここまで来たのですから、マーガレットさんも久しぶりの帰郷であれば、ご家族に顔を見せてあげたほうがいいと思います」
「そうですね。はい、ありがとうございます」
サロの飛行速度が上がったような気がした。
3
「そ、そんなっ」
マーガレットだけでなく、エヴァンとカーラも言葉にならなかった。
日が傾き始めた頃に、アシェベックの町に到着した。クレンペルの町に比べると、こじんまりとして、木造の家屋が多く見られた。上空にやってきた時、全員、嫌な予感がした。
クレンペルの町と同様、町の喧騒がなかったのだ。
町に降りると、通りを逃げ惑う人たちがそのまま時を止められたように石の像になっていた。マーガレットの知る顔もあった。
人の石から夕日の影が不気味に伸びる中を歩き、三人はマーガレットの家へ向かった。
胸の鼓動が自然と速く強くなる。
家のそばまで来た時とだった。
「いやーーー」
マーガレットは悲痛な叫びを上げた。
家を飛び出して逃げるところで、マーガレットの両親は石像になっていた。
エヴァンは石になった人を見る以上に、その場で途方に悲しむ生身のマーガレットを見る方がつらかった。
すぐにマーガレットがかけ寄って、肩を優しく抱いた。マーガレットが泣いている間、エヴァンは何もできず、ただその様子を見守るほかに術を持っていなかった。
日がもうじき沈みきる頃、マーガレットは、ありがとうと言って、流した涙を拭いて立ち上がった。
「着いてきて」
マーガレットはそれだけ言って、一人歩き出した。どんな表情をしているかわからない悲しみを背負った彼女の背を見ながら着いていくと、川の音が聞こえてきた。
穏やかに透明な水が流れている川の淵にやってきた。日が影って、辺りはすっかり薄暗くなってしまっていた。
「これがハルトムートです」
川を背にして石像の青年が立っていた。
風景に溶け込んだ石像は、町を洪水から守って犠牲になった青年を石像にしたと言われれば、そうにしか見えなかった。まるで、石像になってしまったことすらわからず、自然とその場に立っている。元が人だとは思えないほど、自然な立ち姿だった。
――こうして町を見守っているのか。
誰も何も口にせず、彼を見つめていると、川を流れる水の音だけが頭の中に満たす。
ハルムートの姿を霞ませるように、霧がゆっくりと立ち込めてきた。日が暮れて、空気が冷たくなった。
しかし、霧はみるみると濃くなっていく。
クグ
――霧じゃない?
ココココ コカコカ コココ
ニワトリに似た鳴き声の、低く不気味な声が霧の向こうから聞こえてきた。
「な、なんの声?」
すでにハルムートの像は見えなくなり、不安になったカーラとマーガレットがエヴァンのそばに寄った。
辺りを見回すと、霧の奥からぼんやりと影が浮かび上がっていた。
それは、ゆっくりと近づいてきて大きくなっていき、濃さが増していく。
霧越しだったが、大きな鳥の姿に見て取れるようになった。
クグ
エヴァンは、カーラとマーガレットに腕や服をぎゅっとつかまれた。
ココココ コカコカ コココ




