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第17話 竜嵐

1


空は晴れ、海の波は穏やかに見えた。


飛竜船の前で、マーガレットのドラゴンは檻に入れられていた。


「サロ。狭いけど、少しの間、我慢してね」


翼を閉じ、首も丸めて、小さくなったサロは寂しい目をしていたが、どういう状況なのかを理解して静かにしている。


そして、男たちがサロの入った檻を押してレールの上を滑らせる。船の貨物階層に伸びたレールに沿って、船の中へ運ばれていた。


エヴァンとカーラ、ディリィもちょうどいい海風を受けながら、その光景を見ていた。


「私たちも船に行きましょう」


マーガレットがふりかえり、乗船口へと向かった。


「なんだか今日の海は、興奮しているようだ」


「あぁ。荒ぶる前兆か」


「沖で海竜でも出たか」


「航路上には一度も出たことはないから、心配いらんだろ」


海を見ていた船乗りの男たちの会話が聞こえてきた。


「海にもドラゴンはいるのね」


それを一緒に聞いていたカーラが、興味深く言ってきた。


「船の上から見れるのでしょうか」


エヴァンは、クジラや海を泳ぐ恐竜を想像した。


飛竜船は海の上を飛ぶ。海よりだいぶ高いところを飛ぶので、間近では見られないが、安全だった。


乗船したエヴァンたちは、船首のある甲板で出港を待っていると、二匹の大型飛竜が船の上までやってきた。船の前方と後方にゆっくりと降りてきて、飛竜の体につけられたハーネスに、船乗りたちが船を吊る太いベルトを取りつける。


作業が終わると、飛竜が大きな翼をゆっくりと大きく羽ばたかせ始めた。船の両側に強い風が打ちつける。海側の波は白波を立て、さっきまでエヴァンたちのいた港は土煙が舞っていた。


船を吊るベルトがピンと張ると、船がゆっくりと浮かび上がった。


港にいた見送りの人たちが手を振る。エヴァンたちの見送りはいなかったが、手を振り返した。あっという間に、その姿は小さくなり、見えていなかった港の全貌が見えてきて、すぐにそれも遠くへと離れていった。


港を離れながら、船の高度は上がっていった。


海はどこまで見渡しても海だった。


丸く見える地平線と空の境界線。


カーラとディリィ、無論エヴァンもずっとその光景を見続けた。いつまで見ていても、一向に変化はなく、飛竜船は前に進んでいないのではないかと思えるほどだった。


どのくらいの速度が出ているかもわからない。ディリィとカーラの髪は、ゆっくりとなびいていて、吹きつける風は強くなかった。


船の上は安定しているものの、少し左右に揺れているのがわかる。地上にいる時には感じることのない揺れに、気持ち悪さがあった。


順調に行けば、明日の朝には到着する予定だった。それまで船の上で特にやることはない。強いて言えば、サロへのエサやりくらいだった。


マーガレットがエサやりをするので、エヴァンたちはただゆっくりしていれば良かった。でも、ディリィはそのエサやりに着いていった。


ヴァルと離れて少し寂しいのかもしれないとも思えたが、老婆と離れて寂しい気持ちを表に出すことはまったくなかった。むしろ、エヴァンよりディリィの方が船旅を楽しんでいるようだった。


夜になるまで、空の旅は順調そのものだった。暗くなるにつれて、エヴァンだけが船酔いに襲われていった。それに比例するように、天気が荒れ出した。それでも大型の飛竜は、荒れた天気をもろともせず飛んでいた。


ただ、船は激しく揺れもした。


小さな丸窓が一つだけある狭い四人部屋は、両壁にくくりつけられた二段のベッドがあるだけだった。


まったく厚みのなくなった布団とも言えない布の上で、気持ち悪さを我慢しながらエヴァンは眠ることに一生懸命だった。他の三人は、吹きつける雨や風の音、船のきしみをまったく気にすることもなく、空の上だとは思わせないほどスヤスヤと眠りについていた。


エヴァンは目をつむれば、脳が体が回転しているように上下左右わからなくなり、思わず目を開けてしまう。それをずっと繰り返していた。


小窓の外は真っ暗で、何も見えない。ときどき、雷鳴が響き、その光が見える。その一瞬に照らされる反対側にベットで眠るディリィとカーラの寝顔が羨ましく思えた。


だが、雷は激しさを増すばかりだった。


――本当にこんな雲の下を飛んでいて大丈夫なのだろうか。


エヴァンは、とにかく眠って、朝になることを祈ってまた目をつむった時だった。


船体が激しく揺れた。


他の部屋から悲鳴が聞こえて来た。


「ドラゴンだぁーーー」


どこからか驚いた声が聞こえて来た。


エヴァンは、何がドラゴンなのだと、考えることもやっとの頭を持ち上げて小窓を見た。


明滅する稲光に反射する太く長い尾が映った。


光るたびに、尾のうねりの形を変わる。


船に近いのか、まだ遠くにいるのか、まったく実際の太さがわからない。


時々、翼も見える。まるで蛇に翼がつけられたかのようだった。


全体像は、その小窓からはわからない。


もう一匹、虹のように色めく肌をもった蛇の型のドラゴンとが戦っているようだった。


――なんでこんな危険な場所を通っているんだ。


予想外の状況を確認してしまったばかりに、エヴァンはいっきに絶望に近い不安に飲み込まれた。


「み、みんな……起きて……」


もう自分一人では不安を抱えきれなくなったエヴァンが声をかけた時だった。


目覚ましには、激しすぎる衝撃とともに、小窓のあった壁が破壊されて、冷たい雨と風が吹きつける。


クグー クッグー クッグー


二段目のベッドにいたカーラが跳ね起きる。マーガレットもその異常事態に悲鳴を上げた。


ディリィはまだ眠ったまま。砕け散った木屑を浴び、額から血を流していた。そして、何もかもをかっさらおうと部屋に入ってきた風と船の傾きで、ディリィの体がなくなった壁の外へと滑っている。


「ディリィ」


エヴァンはベッドから飛び降り、よろめき倒れながら伸ばした手で、ディリィの手を握った。


ディリィの体はそのまま船の外へと出て、旗のように強風になびいている。


「え、エヴァン?」


ディリィは気がつき目を丸くするも、打ちつける雨で目を開けていられない。


吹きつける風、部屋を荒らして抜けていく風に、エヴァンは体を持って行かれそうになり、容易に立ち上がることもできない。


「ディ、ディリィ……」


稲光で、嵐の中にいることがわかる。雨に濡れたディリィの顔もはっきりと見えた。しかし、ディリィの額から流れた血が顔全体に広がっている。だが、その血の色は、ディリィの髪と同じ緑や青かった。


一瞬のことで、それは光の加減なのだとエヴァンは思った。


――い、いま、引き上げるっ。


握り合う手に打ちつける雨。


二人の間には、まだ埋められなかった心の隙間があるかのように、握り合う手に雨が流れ込む。


握り直すことは許さない。


二人の気持ちがあっけなく気持ちがすれ違うかのように、エヴァンの手からディリィの小さな手がすり抜けていった。


「ディリィーーー、ディリイイイイイイイイ」


まだすぐそこにいるかもしれないディリィの手をつかもうとしても、二度とその感触はつかめなかった。小さな手の形とその温もりを奪うようにエヴァンの指の間を冷たい風がすり抜けていく。


エヴァンは、壁の外に伸ばした手を引っ込めたくなかった。びしょ濡れになってかじかんで震えた手にあったのは、形のない絶望だけだった。


稲光の中、途方もない大きさのドラゴン二匹が体をぶつけ合うように戦っていた。それ自体が嵐を生んでいるかのようで、飛竜船が離れようとも、二匹のドラゴンにとってはちょっとした距離でしかなかった。




2


海を荒らすものは星の外へ出て行け。


荒らしたのではない。奪ったのだ。今は、ワタシが海竜王だ。


誰もオマエを海の王だとは認めていない。


ワタシがそうだと決めたのだ。誰かに認められる必要はない。


かつてオマエは海竜王によって海から追い出された。


今度は、ワタシがその海竜王を追い出したのだ。もう老竜だった。


海竜王がいなくなった今、海は荒れている。私らは、放っておかん。


だから、こうやって相手してやってるんだよ。ワタシから海を奪おうなら、容赦はしない。


――これは、あのドラゴンたちの声だ。いったい何を話しているんだ。




グハッ


フーベルト!


おい、フーベルト、しっかりしろ。


フーベルトは、魔物の爪でひと刺しにされている。


なんで、一人で行かせたんだ、エヴァン。


○ △ × ○ □ × △ ○ △ □ ○ × ○ △ □ × ……


貴様、仲間をなんだと思っている?


落ち着つきな。勇者殿の考え、フーベルトの考えは、どちらも正しかったのだ。


――最後はウェンダさんか。これも何の話をしているんだ。




エヴァンは夢を見ていた。


最後に切り替わった光景は、よく晴れた丘の下に立っていた。


背後を振りかえると、草原に羊がてんてんといるかのような光景。


しかし、その羊をよく見ると、人の姿。


誰もピクリとも動かない。


逃げ惑う形相で、みんな白い石となっていた。


近くにいる石となった人たちを見ていくと、その中にカーラの姿があった。


――カーラっ!


エヴァンは、ハッと目を覚まして、慌てて体を起こした。


クグー


そばにいたファムが驚いて飛び上がった。


「エヴァン! ひどい汗」


カーラはタオルでエヴァンの額の汗を拭った。


「つらい夢でも見てたの? とてもうなされてたわ」


カーラの瞳に見つめられた。しかし、その目は疲れていた。


――ずっとそばにいてくれたんだ。


「ここは……」


辺りを見回すと、同じ作りの別の船室だった。カーラの他に誰もいない。


「マーガレットは、サロにエサを与えに行ってる」


思い出すように自分の手に視線を落としたエヴァンは、すべては夢であってくれと願った。


――きっとディリィもマーガレットと一緒に。


部屋のドアが二回ノックされて、開いた。


「目が覚めましたか、エヴァンさん」


マーガレットが一人、入って来た。


「あ、はい……」


「もう時期、ブリーゼ大陸の港、パーセに到着するそうです。もう見えてますね」


マーガレットは、小窓から船の先を見た。


「あ、あのディリィは……」


エヴァンは開きっぱなしの手を握れないでいた。


「エヴァン……」


エヴァンは、そっとカーラに抱きしめられた。


エヴァンからこぼれた涙は、カーラの服に沁みていく。


平均からこぼれた涙は、足元の真っ暗な闇の中へ永遠と落ち続けていく。


エヴァンの開いた手には、小さな手の温もりの記憶だけが残っていた。


飛竜船は、側面に大きな破損があったものの定刻に少し遅れてパーセに到着した。怪我した人もいたが、命には別状なかった。ただ、一名の行方不明者を除いて。


パーセの港は、竜嵐の話題で持ち切りだった。

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