第16話 旅立ち
1
「これから少し村をあけます。その間、村を今までと同じようにお守りください。お父さん」
カーラは、墓の前で両手を合わせて祈っていた。
エヴァンも隣で、これまでの感謝をカーラ同様に祈った。
村の広場から畑を進んだ林の前に墓は並んでいた。魔王に支配されていた時代、魔物から村を守った者たちの墓だった。
朝日を受けた墓には、どれも勇敢なる男たちの名前が刻まれていた。
エヴァンもとい平均は、彼らも魔王の支配と戦っていた。その結果、エヴァンも魔王を倒せたのではないかと思った。彼らも立派な勇者だろう。
「行っていきます」
墓から戻ると、アドヴェント村に飛竜が降りてきた。
マーガレットが乗った飛竜だ。エヴァンがここに目覚めたあの日と同じように。しかし、もうそれは以前の話。ドラゴンがいるのが日常になった。
そんな日常にしてくれた村の広場に集まった村人たち、ドガー、早乗りドラゴンに見送られて、村を旅立つ。
エヴァンとカーラが飛竜に乗ると、マーガレットが手綱を振るう。
大きく開いた翼が羽ばたき、宙に浮く。
最後まで反対していたレナも涙を浮かべながら、手を振っていた。
――エヴァンの記憶を戻して、必ず戻ってくる。
エヴァンは、どんどん小さくなっていく村人たちが見えなくなるまで、最後まで手を振り続けた。
飛竜は森の上を進み、一軒の家が建つぽっかりと開けた場所に降り立った。
そこで最初に出迎えてくれたのは、ヴァルだった。マーガレットの飛竜を見ても興奮することはなく、ディリィが飛竜に乗っていくところを大人しく見守っていた。
エヴァンたちの言うことをしっかり聞くんだよ、という老婆の笑顔は、寂しそうだった。ディリィが旅に出ることを最後まで、やめさせることはできなかった。
しかし、いずれその時が来ることは覚悟していた。
それが少し早まっただけ。エヴァンたちと一緒ならと、老婆はディリィを送ることにした。本当の親と過ごせるのが、ディリィにとって、それが一番の幸せなのだからと。
飛竜が飛び立つと、ディリィの緑髪が朝日に反射して光りなびく。
ディリィは飛竜に乗ることも、空高く飛ぶことも怖がることはなかった。エヴァンもとい平均は、彼女の度胸に恐れ入った。
四人も乗ったマーガレットの飛竜だったが、飛び立つ時も、飛行中もまったく負担を感じさせなかった。普段は、荷物をたくさんカゴに乗せて配達をしているため、人がこれだけ乗っても苦にはならないと、マーガレットは言う。
あっという間に、フレステットの町が見えてきた。これから店店が開こうとする町の上を通過して、ミラのドラゴンファームの上までやってきた。
すでにファームで仕事をしていたミラが、飛竜に気づいた。
高度を下げ、手を振る。
ミラも手を振りかえしてくれた。
「気をつけてねー、ファムちゃーん」
クグー
相変わらずのファムへの愛情を受け取ったエヴァンたちは、長いをしているとミラもついてきてしまいそうなので、また高度を上げた。
今日一番の高度となり、空気が冷えていくのが分かった。
山を越え、はるか眼下にあるクィールシードの町を通り過ぎる。
エヴァンは、まさか町や平原をこんな高いところから見下ろせるとは思ってもいなかった。平原はどこまでも広がっいて、丸くなった地平線も見える。
その向こうに伸びる空の白い線――スロボロー。
スロボローは、死者の魂が列をなしていると言われている。それらが星を一周すると、また新しい生命に宿るとされていた。
――本当のエヴァンの魂は、そこにあるのだろうか。それとも本当に眠っているだけなのだろうか。
地上から高く飛んでいるはずなのに、スロボローには決して届かない。ただの白い線にしか見えなかった。
――まだ見たことのない地平線の先。その先にあるエヴァンの足跡を辿って記憶を取り戻す。
飛竜は、いくつもの町や川、山を超える。
空から見ても、どこよりも広い町が見えてきた。オレンジ色のレンガでできた町並みの奥に大きな白い城が堂々建っていた。町の先には海も見えた。城の裾野に町が栄えるフォイアー大陸の王都だ。
2
飛竜は徐々に高度を下げ、町の上空を通過し、城の中庭に降り立った。
白に近い灰色がかった石でできた城の壁は、見上げるほど高かった。
「お待ちしておりました。勇者エヴァン様」
出迎えてくれたのは、鎧を身につけたフォンゼルだった。
「こちらこそ、お招きいただきありがとうございます」
「礼を言いたいのは、私たちの方です。マーガレットさんにも言伝を受けていただき、お手数おかけしました」
「いえ、私は仕事でしたし、それにいいんですか? 私まで……」
マーガレットがかしこまって言う。
「もちろんですとも。これから勇者様と旅に出られる方々に直接言葉を送りたいと、王がおっしゃっておりますので。さぁ、こちらです」
フォンゼルは、マントをひるがえして、両開きの大きな木の扉がある方へ歩き出した。扉は中から開けられた。
中に入ると左右に伸びた廊下。正面には、また同じような大きな扉があり、開く。
長い赤い絨毯が伸びた先に、数段の石段上にきらびやかに光る立派な椅子に王と女王が座っていた。
絨毯の左右に剣や槍を持って整列する騎士たちの間をエヴァンたちは進んだ。
城に到着した当初から、見開いた目を閉じられなかった。今までに見たことないモノと威厳のある雰囲気にのまれていた。
「お連れしました」
フォンゼルは、頭を下げて脇に退いた。
「勇者エヴァン・サンダーボルト・クリストフ、よくぞ来てくれた」
「い、いえ、こちらこそ、このような場にお招きいただき光栄です」
エヴァンは、頭を下げた。
クグー
ファムは、エヴァンの肩からハタハタっと前に飛び降りた。
「顔を上げ。あらためて、世界を魔王の手から救ってくれて感謝する。フォイアー大陸の民に代わって、お礼を申しあげる。ありがとう」
王がゆっくりと礼をする。
エヴァンは何も言えず、さらに頭を深く下げた。カーラたちも礼を受け取るように頭を下げた。ディリィもカーラたちを真似る。
「そして、意識を失くし、記憶が戻らぬ彼を今日まで辛抱強く見守ったカーラ・シンクレア、これから勇者の旅に協力するマーガレット・キャベンディッシュ、小さなお供のコーデリア・クラインにも感謝する」
そのまま頭を下げ続けた。今までこんなに頭を下げて言葉が心に深く沁みたことはなかった。
「勇者エヴァン、これから自身の旅に出ると」
「はい。意識を取り戻したとはいえ、記憶は戻っておりません。今一度、世界を回ることで、記憶を戻すきっかけがあればと思っています。まずは、旅をするための飛竜を手に入れようと、ブリーゼ大陸へ向かいます」
「そうか。世界を救った礼としては少ないが、その飛竜の購入費用と旅の資金を出させてくれ」
「いえ、しかし、それは……」
「私らは、いくら礼をしてもしきれぬのだ。世界のみなが生きていなければ、こうもしてやれぬ。そのお金でドラゴンを手に入れてもらえれば、私は嬉しい。お金を受け取るブリーダーも喜ぶ。旅には少なからずお金はかかろう。誰も損はしておらんだろ」
「……」
「受け取ってもらえぬか」
「いえ、あの、ありがたく受け取らせていただきます」
そうは言ったものの、エヴァンは断るほどの勇気がただなかっただけだった。本当に自分なんかが受け取っていいものなのか、半信半疑だった。
すぐに侍女が、まるまると太ったお金の入る袋を盆に乗せて持ってきた。エヴァンは、恐る恐る袋を持ち上げて受け取った。
――お、重い。い、いくら入ってるんだぁ。
エヴァンの鼓動は強く打つ。そんな大金を今まで実際に手にしたことはない。
「無事、記憶が戻ることをここから祈っておる。また、その子の親が見つかるとよいな」
「はい、ありがとうございます」
王との謁見を終え、また中庭に戻ってきた。
フォンゼルが、彼よりもひと回り大きい騎士を連れてやってきた。
「勇者エヴァン様、こちらがハインツ・グロスマン」
「あ、あぁ」
エヴァンは、恐る恐る顔を見上げた。表情をいっさい変えない寡黙な男と目が合う。しかし、頭の中はなんの変化もない。
「あなたがハインツさん……私を村まで送り届けてくれてありがとう」
エヴァンが、一瞬の間をはさんで声を出した。そのくらいの言葉をかける他なかった。
「いえ、困った者を助けるのが、私の役目。世界を救ってくれた恩義」
クグー
エヴァンの肩にいたファムが、久しぶりとでも言うように鳴いた。
ハインツは目をつむってファムにわずかに頭を下げたように、エヴァンには見えた。
――ファムに謝った……のか。
「勇者エヴァン様、ハインツはこれでも喜んでおるのです」
「えぇ、わ、わかってます」
――こう言う人いるよね。
「勇者様、もし、なにか力が必要な時は、ぜひ、私たちにお声かけくだされ」
「ありがとうございます」
フォンゼルとハインツに別れを告げて、マーガレットの飛竜に乗って王都の先にある港へ向かった。
カーラは初めて海というものを見た。
「ずって見ていられるほど、大きくきれいね」
てっきりディリィも海を見るのが初めてかと、エヴァンは思っていたが、そうではなかった。ディリィは海を知っていると言った。海を見たことがある、その記憶があった。
エヴァンは海を見ても、ディリィのように海の記憶が蘇ってくることはなかった。この世界のどこかでエヴァンが見た海の光景は頭の中にはない。
平均自身、元の世界で海を知っていたからかもしれない。とても不安な気持ちになってしまっていた。このまま旅に出ても何も思い出せないのではないかと。
港に到着すると、城に入った時以上に、目を見開いてしまうほど大きな船と飛竜がいた。
ここからブリーゼ大陸に向かって、飛竜船で海を渡る。
マーガレットの中型の飛竜では、海を渡り切るほど長距離は飛べない。
大型の飛竜たちが人や荷物を乗せた船を吊り下げ、空を飛んでいくのだ。




