遭遇、変異。そして、切り裂くもの 肆
あまりの寒さにハッと目が覚める。
「ハックシュッ!」
くしゃみが一つでる。寝起きで頭がボーっとするが、周りを見回す。
辺りは薄暗く、チカチカとちらつく電灯が唯一の明かり。
なんでこんな所で寝てたんだろうと首を捻ると、すぐに思い出す。
明らかに死んだつもりが夢だった?
あの気が狂う程の痛みが夢?
そんなバカな話があるかと左手を見ると、左手はいつもと変わらずそこにあった。じゃあ土手っ腹はと見下ろすが、普通に自分の大して鍛えられてもない腹が見える。
そう、塞がってはいた。傷は。
「なんじゃこりゃ…」
腹が丸出し、左手は半袖。そして血塗れ。
そんなアバンギャルドな服装をしてたらそりゃ寒い。
改めて周りを見渡すと、化け物の流してたであろう赤黒い血や化け物本体等の痕跡はない。
しかし、トンネルの壁には大穴が空き瓦礫が散乱しており、辺り一面には自分の痕跡。電灯に照らされてまるで猟奇的な殺人現場のように赤黒い染みと臓物が辺りに散乱していた。周囲は明らかに鉄臭さと生臭ささが充満していた。
それが自分の物だと理解しても吐き気が込み上げてくる。
明らかにあの時あったのは事実だ、とこの状況が証明しているが、なんで俺の左手と腹の傷が再生しているのかが分からない。
これがもしや自分はすでに死んでいて浮遊霊化でもしてしまったのかと考えたが、足はあるし右手に握っていたフォークは問題なく掴めており、なんとなく左手をツンツンしてみるがキチンと痛い。
急に現実感が戻り、どうなっているのかさっぱりも分からない………が、一つ分かることがある。
この状況を誰かに見られたら、非常に面倒くさい事になるのは火を見るより明らかだ。
なんて説明したらよいかもそうだが、トンネルの壁を弁償なんて言われたら流石に困るし、なによりこんなアバンギャルドな服装を見られたら確実に事案だ。奇抜な格好でありもしない腹筋を見せつける血塗れの変人現る、とか噂されたら、夜な夜な枕に顔を埋めて、あー!ってなるに違いない。
咄嗟に立ち上がり、リュックにフォークを仕舞う。リュックも半分血塗れだったがやむを得ない、暗い道を選んで帰るしかない。中の財布やスマホは無事だった。時刻を確認すると店を出てから一時間も経っていない。
格好は悪いがリュックを腹側に装着しなんとか穴を誤魔化す。この際左手だけ半袖なのはファッションなのだと言い聞かせる。
そして、化け物に投げ捨てられたナイフを探す。
マスターからの大切な預かり物だ、捨てていく真似は出来ない。
…………大切な預かり物でおもっくそ化け物をブッ刺してたけど、そこはほら、必死だったしね?俺のシルバー磨きのスキルが上がれば、ね?なんとかならない?
とにかく俺を救ってくれた大切なお守りだ。
辺りを見回すと、トンネルの入り口付近で血に塗れ、刃の部分に白っぽいものが付着したナイフを発見する。
化け物の体液とかの痕跡はない。しかし刃を握ってブッ刺したから、俺の血と、手のひらの肉が削れてこびりついていた。
完全に殺人事件の凶器だが、化け物がいなくなった今、このナイフが証明するのは加害者も被害者も俺だ。
ふと手のひらを見るが傷の跡形もない。自分になにが起こっているのか…。
とりあえず何を考えるにしてもはやくこの現場から遠ざかろう。ナイフをリュックに入れ、走ってトンネルを後にする。
トンネルから離れてしばらく、グーッと間の抜けた腹の音に気が抜ける。なにはともあれ、早く帰ろう。
運良く、道中誰とも会うことはなかった。そして、土手っ腹を貫通してたのだから腹側だけでなく、背中にも穴が空いているのに気づいたのは家に帰って着替えてからだった。本当に見つからずに済んで良かった…。
こそこそと自室に入り、鍵を閉めたところで長いため息が漏れる。
今すぐ寝てしまいたい気持ちはあるが、このまま中に入るのは後が大変そうなので玄関で服を脱ぐ。
上着、コート、インナーは破れて完全に使い物にならない。
キチンとした灯りの元で見たら、着てたものは大体血塗れ、体も所々に血がこびりついている。布に染み込んだ血はおそらく洗っても落ちないだろうしクリーニングに出したら通報待ったなしだ。
ジーパンとリュックはお気に入りだったために特にショックだった。
とりあえずこのまま捨てるわけにもいかないが、洗濯機に入れるのもどうなるか分からなくて怖い。下手して洗濯機が使えなくなったら代わりを買う金はない。
どうするか悩んだ結果、とりあえずゴミ袋に脱いだ服を入れリュックの中身で無事な物を部屋に放り投げ、シャワーを浴びることにした。
最初は冷たい水が徐々に温まり、頭からシャワーを浴びる。
体からポロポロとかさぶたのような血の塊が剥がれ落ちる。
じんわりと暖まる体に、どこかはっきりしなかった思考が纏まり始める。
結局あの出来事は本当にあったのだろうか。
ある日突然化け物と命のやり取りが始まるとかアニメやゲームじゃあるまいし、どう考えてもあり得ない。友人が真剣にこんなことを言い出したら頭を心配する、そして友達を続けるか考え直すだろう。
だが、この剥がれ落ちる血の塊や血塗れの服。経験した鮮烈な記憶、感じた痛み。夢かなんかと思うには些か激烈な体験過ぎる。
しかし、失った筈の左手や穴が開いた腹が、血の塊のみを残して何事もなかったかのように元に戻っている。
どう考えたって繋がらない。もし全部夢で化け物がいなかったとしたら服の惨状は説明出来ないし、いたとしてもなくなったはずの手や傷が治っている説明が出来ない。
まさかのまさかで俺自身がとてつもない再生力を持っていたってのがワンチャンあるかもしれないが、昔からなにか傷を負ってあんな短期間に治ったなんてことは今までなかった。
試すにしても自傷するのはちょっと怖い。痛いだろうし。
訳が分からなくなりシャンプーでがしがしと頭を洗う。
埃やらなんやらでやたら最初は泡も立たなかったが、シャンプーをひたすら追加し二度三度と洗うと純白の泡が立ち上る。落とすのに苦労した。追加し過ぎた。
気分は爽快とは言えないが、全身さっぱりしてジャージ上下に着替えて人心地つく。
財布とスマホは無事、リュックやその他衣類は全滅。とりあえず、目立たない程度に血を落とさなければならない。
風呂場で衣類とリュックの入ったゴミ袋に水を溜め、洗剤をぶちこむ。口を縛り浴槽の中で揉み洗いすると、すぐに水が赤黒く染まる。水を入れ換え何度か繰り返すとなんとか頑固な汚れ程度になった。最後に漂白剤をしこたま入れて明日の朝まで放置する。
後は何回にか分けて燃えるゴミに出すか…。
なんだか証拠隠滅を図っているみたいで微妙な気分だった。実際に行っているのは証拠隠滅だが。
味わいたくもない犯罪者気分を味わい、次は銀食器を洗う。
ナイフとフォークは血がこびりつき乾燥し、あの渡された時の輝きは見る影もない。キッチンで優しく洗うと、それなりに輝きを取り戻すがどこか曇っている。
しかもナイフは歪んでしまっているし、フォークに至っては反ってかなり曲がっている。そりゃ渾身の力で刺したんだからそりゃ歪みもする。
マスターへの言い訳を考えるより、申し訳なさが込み上げてくる。正直に話をしたとしてもバカにされてると思われるだろう。力業で修繕しても歪みは残ってしまうだろうし…。
その辺りはきっちり謝ることにしよう。就職は無理にしても、この銀食器に就職先より大切なものを守ってもらったのは確かだ。
とりあえず今日はシンクに立て掛け水切りだけしておく。
その他色々考えるのは明日にする。
今は疲労がピークで早く寝たい。明日は日曜だし、バイトもない。時間的には余裕がある。
寝床に潜り込むより先に腹が飯を寄越せとばかりに鳴る。
腹が減ってはなんとやらで、仕方なしにケトルに水を汲み、カップ麺で誤魔化すことにした。
深夜にカップ麺とは健康に悪いがそれがまた旨い。
ちょいと長めな5分待ち、お揚げが旨いうどんのカップ麺を啜る。お揚げは最後に食べる派。
いつものチープな味で、大変満足……とは言えなかった。
俺はあまり食は太くない。カップ麺で腹一杯とは言わないが、腹八分位は満たされる。
確かに味はいつも通りだし、お湯の調整もバッチリだった。
それでも何故か、腹が満たされない。スープまで飲み干しても一分どころか一厘も。目の前のプラ容器がなければ食べたのかすら怪しいほどに、腹が膨れない。
今日の出来事で感覚が色々麻痺してるのかもしれないし、食べ物を寄越せと鳴る腹を擦り宥めながら、寝床に潜り込む。
グーグーと鳴る腹。
空腹感に負けない疲労が今日のところは勝利して、日付か変わる頃に深い眠りへと落ちていった。