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如何物喰い  作者: 蓮の華
遭遇、変異。そして、切り裂くもの
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遭遇、変異。そして、切り裂くもの 弐

いつものバイトの帰り道。その途中に高架下をくぐる歩行者用のトンネルがある。上は国道でわりかし人通りがあり、深夜にでも通らない限りは誰かしらすれ違うのも珍しくないような、そんなトンネル。暖かい時期なら、都会サバイバーが雨風を凌いでいることもあるが、今はその姿もない。


まだまだ冬の気配が強すぎる二月の中旬、夜が長いのは相変わらずで、最近ちらつくようになった電灯が俺の影を濃く作る。

まだ肌寒い気温にマフラーを巻き直し、階段を下りてトンネルの中へと歩を進める。


トンネルの半ば辺りでふと耳に届いた、雨も降っていないのにピチャピチャと響く粘着質な水音に気付き、10mもないトンネルの終わりに視線をあげる。








 




そこには異形が立っていた。




なんの予兆もなく、なんの警告もなく、なんのドラマもなく。

会社帰りの草臥れたスーツの男性でもなく、ダンディーなトップハットの老人でもなく、ましてや血も凍るような美女でもなく、端的に言えば化け物。


人型であるのはパッと見でも理解できたが、目を凝らすと、電灯に照らされ徐々にその容貌が明らかになってくる。

ギラつく瞳は黒く濁り、頬まで裂けた口から、鋭利な刃物を並べたような歯を剥き出しにして凄惨に笑っている。


頭は抉れており、右腕はすっぱりと肩からなく、その下から真っ直ぐに下腿に向かって傷が伸びている。

右足は根元の皮一枚で繋がっているような状態で人体の構造から考えればあり得ない方向を向いている。

それぞれの傷からは赤とも黒ともつかないような液体がダラダラと滴り、地面にピチャピチャと赤黒い水溜まりを作る。




ふと、先日聞いた左藤の噂話が頭を過った。


…首を絞めて殺しちゃう

…バリバリと食べちゃうんだって!



まさかのまさかだが、これが?

日頃の部活動でオカルト耐性がついたのかもしれないし、ゲームであり得ないものを度々画面越しに見るせいかもしれない。非日常が急に目の前に転がってきたその状況に、変に頭が冴えてくるのを感じた。


画面の向こうでは何度も見たことがあるような、ないような。一昔前のRPGの中ボスだと言われればそうだったっけと言うくらい、古いガンシューの二面の途中に出てきたと言われればあぁそんなのもいたなと思うような、冗談みたいな化け物。


そう、ゾンビ?ゾンビだ。

これはゾンビだろう、たぶん、きっと。

足遅いはずだからワンチャン後ろに全速前進すれば逃げられるだろ、いやまて、全力ダッシュゾンビが最近の流行りで今は夜、ヤバイかもしれん。建築、建築をするんだ。いやもしかしたら寄生虫の可能性も捨てきれないし…。あ、あの足ではそもそも走れなさそ…


「にんふぇん」


「………は?」


あまりのパニックに逆に冷静にゲーム脳が絶賛稼働していた俺に、唐突に響いた声らしきものに間抜けな声が漏れる。




「あいあとお」




なにを言われたか、理解できない。別に頭が理解を拒んだわけではなく、単純にその裂けた口から漏れた言葉は意味不明な言語にしか聞こえない。


呆然と立ち尽くし、あぁ口が裂けてるから上手く喋れないのか、と変に納得した俺に、化け物はギリギリと歯を鳴らし凄惨な笑みを深めていく。


「おえは、うんかひひ」


「あいふらはこんふぉはこおす」


「いまは、ちかたひない、にふかたひない」


「おえの“えは”になへ」


紅く黒く濁った瞳が三日月のように曲がり、口の隙間からは無限の闇を覗かせて、化け物の顔は幸せそうに歪む。


言葉はほとんど理解できなかったが、一つだけ分かった。




直感的に、本能的に。





この化け物にとって



俺は餌なのだと。


俺は獲物なのだと。


俺は栄養なのだと。





理解した瞬間、火が付いたように巡りだした全身の血が、冷えきった体に熱を灯した。



行ったのは逃走。



大声をあげて助けを呼ぶとか、相手の出方を見ようとか、一矢報いてやろうとか、そんな思考は切り捨てられる前から論外だった。


正に脱兎、俺の人生史上最高にスピーディーに返したであろう踵。ありったけの力を爪先に込めて走り出し、一歩目を踏み出したその瞬間に首に衝撃が走り、トンネルの壁に叩きつけられる。


「がっ!?」


何がこったのか分からない。

分かるのは目の前には化け物がいること、捕まったこと、ただそれだけ。あの足でどうやって走ったのかとか、なんでそんなに早いんだとか考える余地もなく、分かっているのは最悪の状況だということ。


首を捕まれたまま持ち上げられ、足が宙に浮いている。


目の前にはあの紅い瞳、抉れた頭部からはおそらく脳漿であろう臓器がてらてらと電灯に照らされる。

吐き気を催すよりも先になんとか逃れようと手を掴み、足をばたつかせる。しかし、渾身の力を込めても俺を捕らえた指は開くことはないし、いくら足蹴にしてもその体幹は揺らぐことはない。


徐々に酸素が欠乏し、目の前がブラックアウトしそうになったときに、化け物の首をつかむ腕が僅かに緩み呼吸が僅かに再開される。





「ヒハハ」





愉悦に歪んだその相貌はただ俺を見つめて、笑っている。俺がヒューヒューと必死に息をしているのを、ただただ楽しそうに見つめる化け物。

これ幸いと再び抵抗しようとするも、その度に指に力を入れ、音が鳴る玩具のように玩ばれる。



「ヒはは」



「ひハハハハはは」



「ヒハはハハははははハハハはは」



狂った様に笑う化け物。

必死に喘ぐことしかできない俺。

徐々に思考が抜け落ちる。





そして




きっと化け物も我慢の限界だったのだろう。





「いららひまふ」




その言葉の意味も相変わらず理解できなかったが、ぞぶりと肉を裂き、必死に化け物の腕を振りほどこうとしていた俺の左の前腕に突き立てる。

ゾワリと伝わる嫌な感触。









それはきっと、食事の挨拶だった。









「ッーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!」









声にならない悲鳴が俺の声帯から発せられる。

左腕から伝わった感覚が熱を帯び、灼熱と化して神経を伝わり、俺の脳へと激痛を伝えた。

痛みのせいか、左腕を引くこともままならない。

愉悦を称えた笑みのままグジュリグジュリと俺であった物を咀嚼する化け物。



一口、また一口。



「あッガァァァァァァァーッッッツッ!!!」



喉が焼き付かんばかりに叫ばされる。


肉を裂き、筋肉を引きちぎり、血管を貫き、骨を噛み砕き、一口、また一口と食事を続ける。

仕舞いには橈骨と尺骨は無惨にも半ばから折れ、口だけで器用に俺の左手であったものを口に納める。




ゴクンッ




そのうち、俺の左前腕は全て、化け物の胃に落ちていった。




「あ…あぁ…………」


俺の一部だったものが、今正に目の前からなくなった。きっと俺の一部だったものはこの化け物の一部になってしまった。



「うあいなぁうあいなぁ…」




化け物は譫言のように呟き、口の周りに付いた血を異常に長い舌で舐め上げる。

俺の左前腕からは、噴水の如くピューピューと鮮血が迸っている。剥き出しになった白い骨がイヤと言うほどに赤く染まる。



この日本に生まれ、多くの物に囲まれた生活。

生まれた時から捕食者側だった。

まさか自分が披捕食者側になるなんて夢にも思ったことはない。

画面の向こうには、そんな国や状況もあったが、自身の豊かな食生活に何一つ疑問も抱かないままに。

食べるものがいるのなら、必ず食べられるものがいるという、当然を俺は知らなかった。




激痛に気が狂ってしまえばどんなに楽だったのだろうか


失血で貧血を起こして気を失えればどんなに楽だっただろうか


この光景に絶望して現実逃避出来ていればどんなに楽だったのだろうか






俺の瞳は明確に惨状を映す



のこった左上腕はいぜんと信号として痛みを脳につたえる



つり下げられたままで、さんけつに脳はかんかくを徐々にしゃだんしていく



ゆらゆらと吊りさげられたまま、はいごでおとがなる




ちゃきりちゃきりと、おぼろげなきんぞくおんが、みみにとどく









夢を見ているかの様に上手く動かない体。



ぼーっと狂うほどに血に酔う化け物を見つめながら、その音源を右手で探る。






手に、冷えた感触。






お守り代わりとリュック脇のポケットに入れていた、マスターから渡された銀のナイフ。

食事用で、刃もろくにない、ステーキを切るくらいしか出来なさそうな銀のナイフ。


リュックから出すと同時に、持てる力総てを込めてナイフを突き出す。

右手に掴んだナイフは、持ったのが柄と刃が逆で刺し出したのは柄の方だったが、渾身の力で突き出したそれは、化け物の左の眼球に吸い込まれるように不自然に突き立った。


刃ではない状態では突き立つというよりも、押し潰すように眼球を貫き、その刀身を半ばまで化け物の頭に埋める。


化け物は獲物からの不意の反撃に、何が起こったか分からないとばかりに数瞬唖然としたと思ったら、脳を貫く異物にようやく気づいたように叫び声を上げ、あれほど強固に掴んでいた俺の首を漸く離して悶える。


ナイフからはシュウシュウと煙が立ち、化け物を溶かすように存在を誇示する。


化け物は刺さったナイフを目玉ごと抉り出し投げ捨てる。

未だに煙を上げて溶ける眼窩からボタボタと滴る化け物の血液。

化け物は残った右目を笑みに歪める余裕もなく、その瞳はただ俺を捉えていた。

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