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妄想オタクの非現実的な日常  作者: 楪 彩郁
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動物たちの大脱走 2

 真由香と共に辿り着いた職員室の中は、電話対応や話し合いをする教師たちで慌ただしい。弥宵が「失礼します……」と小さく声を掛けて入室すると、城山と教頭が気づき、二人揃って手招きした。奥の応接間に呼ばれているようだ。


「弥宵は何も悪いことしてないんだから。堂々として、行ってらっしゃい」

「……うん」


 実は羊の行方だけは知っています、とは口が裂けても言えず、信じてくれる真由香に申し訳なく思いながら、弥宵は二人に近づいた。簡単に会釈をして、城山の隣のソファに腰掛ける。


「三年二組の、稲葉弥宵さんだね。昨日は飼育当番だった。間違いないかな?」

「はい、そうです」

「稲葉先生から聞いたと思うけどね。今朝、私が校舎を開けて見回りをしたときには、既に動物たちがいなくなっていたんだよ。昨日君が飼育小屋にいた時、何か変わったことはなかった?」


 教頭は冷静に話しているつもりなのだろうが、内心慌てふためいているらしく、右足を小刻みに揺らしているし、声が震えていた。校長になんて報告しようか、困っているのかもしれない。弥宵は唾を飲み、父の言葉を思い出して、口を開く。


「何もありませんでした。いつも通り、餌やりと掃除をして帰りました」

「城山先生によると、十八時近くまで残っていたと聞いたけど?」

「直前まで当番を忘れていたので……それから急いで取りかかりました。ちゃんと、小屋の入り口は施錠しましたし、私が帰るまで動物たちは中にいました」

「うーん……鍵は確かに閉めてあったし。犯人は外部の者かなあ。校門は飛び越えようと思えば、割と簡単に飛び越えられるしなあ……」


 教頭は弥宵の言葉を信じてくれているのだが、城山が黙っているのが、少し気味が悪い。弥宵はそれが気になって、ちらっと横目で城山の様子を窺った。彼は手を顔の前で組んで、じっと教頭の言葉を待っているようだ。


(城山先生、私が飼育小屋に行くって言った時も学校に残ってたし……何か知ってる?)


 まさかとは思うが、弥宵が羊吉に背負われて帰って行くところでも見られたのだろうか。それならばそう言うはずだが、城山はやはり無言を貫いている。


(こ、こわい……)


 教頭はうんうんと唸ったあと、「分かりました。もういいですよ」と言って弥宵を解放してくれた。飼育小屋周辺に防犯カメラがなくて、よかったのか悪かったのか。僅かに罪悪感を覚えながら立ち上がると、城山が突然、弥宵の方を向いた。


「稲葉。そのまま進路指導室に行って。私もすぐに行くから」

「あ……はい。補習プリントの残りも、そこで渡せばいいですか?」

「ああ」


 弥宵の背筋がひやりとする。城山は、何かを確認したがっている。一瞬だったが、(いぶか)しむような目を見せていた。


(まさか……まさか、ね)


 城山が自分のデスクに戻っている間に、弥宵は職員室を後にした。引き戸を閉める時に、真由香が親指を立てて笑っていたが、ぎこちない微笑みを返すことしかできない。冷や汗を額に滲ませながら、進路指導室に向かう。


 中で待って二分ほどすれば、城山もやってきた。彼は引き戸を閉めたことを確認すると、弥宵に座るように促す。


「先生、これ……補習のプリントです。授業中は集中するように、以後気を付けます」

「確かに受け取った。もう受験生なんだから、しっかりしなさい」

「はい。すみませんでした」

「それと、ここからが本題なんだが……」


 城山の目が細められ、弥宵の顔をじっくりと観察し始めた。弥宵は背筋をびしっと正し、やましいことは何もないとアピールするかのように見つめ返す。


「昨日、自分の足で帰ったか?」

「……え、というのは、どういう意味でしょうか?」

「外部の人間らしきやつが、稲葉を背負って校門を出ていくところを、遠くから偶然見かけた」

「……っ!!」


 弥宵の喉がひゅっと鳴る。羊吉が弥宵を背負っているところを、見られていたらしい。教頭に報告したことが、一部嘘だとバレてしまった。


「え、えっと……それは」

「誘拐かと思って、慌てて追いかけようとしたんだ。そしたら、稲葉のお父さんがやってきて、その人に話しかけて一緒に帰ったから、知り合いなのかと。あれは何だったんだ?」

「あー……あの……」

「教頭には言えないことだったのか? 告げ口はしないから、私には本当のことを教えてくれ。心配なんだ。稲葉が嘘をつくなんて、何か理由があるに決まってる」


 弥宵はあからさまに狼狽(うろた)えた。目をあちこちに泳がせても、なんと返事をすればいいか分からないし、喉はからからに渇いている。城山の言葉で、弥宵の罪悪感がみるみるうちに増幅していった。


「ウサギ小屋と鶏小屋は、確かに施錠までしたんです。中の動物たちも無事でした。でも、羊吉……羊だけが……」

「羊だけが、どうした?」

「先生、笑わないで聞いてくれますか?」

「内容によるが。でも、稲葉の言うことなら、信じるよ」


 弥宵は城山という人間を、誤解していたかもしれない。担任として弥宵の身を案じ、信じようとしてくれている。彼になら、羊吉のことを話しても大丈夫だろう。弥宵は腹を括った。


「羊が……羊吉が人間の姿になったんです。それで、私、びっくりして気絶しちゃって。帰りが遅いと心配して迎えに来た父と一緒に、羊吉が連れて帰ってくれたというわけです」

「……は?」

「本当です! 羊吉は今もうちにいます! 嘘だと思うんなら、本人に会わせることもできますから!」

「いや……いやいやいや、ちょっと待て」


 城山は笑いこそしなかったが、酷く取り乱し始めた。眼鏡のブリッジ部分を指で押し上げ、首を傾げている。予想通り、簡単には信じてくれない。


「なるほど、そういうことだったのね!」

「えっ」


 くぐもった声がどこかから聞こえた後、がらりと引き戸が開く。そこには、真由香が立っていた。

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