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妄想オタクの非現実的な日常  作者: 楪 彩郁
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妄想女子と羊吉さん 7

 それはそうだ。自分が考えた理想の羊吉像が、そこにいるのだから。不整脈のようにどぎまぎする心臓を落ち着けるため、弥宵は唾を飲み込んだ。


 事態はこれで収束したかに見えたが、弥宵は一つ、心配な点に気付いた。羊吉が小屋から姿を消したことを、明日、学校側にはどう説明したらいいのか。


「羊吉がいなくなってること、絶対に先生たちから聞かれるよね……。どうしたらいいと思う?」


 羊吉は、羊の姿で飼われることを望んでいない。必死の思いで弥宵を頼ってきたのだから、彼を小屋に戻すことは選択肢になかった。しかし、今日の飼育当番だった弥宵に対し、「羊の行方を知らないか?」と疑いの目が向けられることは間違いないだろう。


(校則違反ではないし、退学とか……ないよね?)


場合によっては、何かしらの処分を受けるかもしれない。もしも、重い罰が課されたら――そう考えるだけで、ぞっとする。その時はきっと、補習プリントをやる方が何倍もマシだったのに、と思うだろう。


 弥宵の質問に、羊吉も慎太郎もしばし考え込んだ。


(しら)を切るしかないだろうな」

「えっ」


 そう提案したのは慎太郎だった。誠実で真面目な父らしくない言葉に、弥宵は耳を疑う。


「飼育小屋周辺に、防犯カメラはあるの?」

「ううん。なかったはずだよ」

「じゃあ、『弥宵が世話したときまで、羊は確かに小屋にいた』『そのあとは知らない』で通せばいいんじゃないか?」

「えー……大丈夫かな」


 弥宵は嘘をつくことに慣れていない。過去に読んだ小説の中で、嘘を隠すためにまた嘘をついて、膨らんでいった虚偽を処理しきれず、最終的に自滅した登場人物を知っている。自分がそうなってしまうのは、さすがにごめんだ。それに、良心の呵責に耐えられるだろうか。


「大丈夫。学校には真由香もいるんだ。真由香は、きっと弥宵のことを信じてくれる」

「……うん。分かった」

「どのみち、本当のことを言ったところで、誰も信じないさ」


 慎太郎は苦笑を漏らした。それもそうだ、と弥宵が頷いていると、羊吉が弥宵のところまで静かに歩いてやってきた。弥宵が座っているせいもあるが、羊吉は担任教師の城山と同じくらい背が高いように見える。


(今までは私がしゃがんで撫でてたのに……変な感じ)


 いつの間にか、自然と彼が羊吉であることを受け入れている。弥宵が羊吉を見上げていると、羊吉は床に片膝をついて座り、弥宵と目線を合わせた。


「弥宵、ありがとう」

「……え?」

「弥宵を頼ることにして、正解だったよ。飼育係の中では、一番僕によくしてくれていたから。この子ならって思えた」


 羊吉の顔に、穏やかな笑みが作られる。その言葉とその表情だけで、弥宵は救われる思いがした。学校側にちょっとした嘘をつくくらい、どうってことはない。悪いことをしたわけではなく、むしろ羊吉を助けたのだ。誰も困りはしないだろう。


(お礼を言われるのって、嬉しいなあ)


 弥宵もつられて微笑んだ。目線より少し下に羊吉の顔があるので、無意識のうちにその頬へと手を伸ばす。顎の辺りで揃えられている白髪に触れていると、羊吉が片目を閉じて身じろぎした。


「弥宵、くすぐったい」

「あ、ごめん。本当に人間の姿なんだなって思って。もう、頭を撫でられないの、ちょっと寂しいかも」

「別に、これからも撫でていいよ? 弥宵なら全然嫌じゃない」

「へっ」


 これまで、弥宵の人生に『男性の頭を撫でる』という経験はなかった。父・慎太郎の坊主頭なら、幼い頃に撫でたような記憶はあるが。それは異性を相手とした場合のカウントには入らない。男性が女性の頭を撫でる描写なら、小説やテレビゲームの中で何回も見た。まさか、その逆を、現実でやる日が来るとは。


(こ、これは……なんて反応するのが正解!?)


 じゃあ撫でさせてもらいます、とでも言えばいいのか。弥宵が固まっていると、慎太郎の咳払いが聞こえた。弥宵は慌てて手を引っ込めて、羊吉と一緒に彼の方を見る。


「ところで、羊吉くんは行く宛てはあるの?」

「いえ。今は町の外に出る体力もないので、しばらく森にでも身を隠します」

「それなら、うちにいればいい。働かざる者食うべからずだから、寺の手伝いはしてもらうけどね。衣食住は保証しよう。どうだい?」

「えっ……いいんですか?」


 羊吉は立ち上がり、潤んだ瞳を更にきらきらとさせて慎太郎を見つめた後、深々と頭を下げた。弥宵は、慎太郎の提案には驚かない。父ならそう言うだろうと、分かっていたからだ。あやかしたちは信頼できる相手の前にしか正体を見せない、と慎太郎は言った。彼らが孤独と戦いながら生きているのであれば、力になってあげたいのだ。


「では、お言葉に甘えて、お世話になります」

「ははは。いいよ、そんなにかしこまらなくて。ただし、弥宵に手を出したら容赦しないからな」

「も、もう! お父さん、変なこと言わないで!」


 慎太郎は笑顔で言ったが、後半は本気の声色だった。娘を思うが故のことらしい。羊吉は軽く笑って承諾する。


「それは心に留めておきます。弥宵も……よろしく」

「あっ、はい! よろしくね、羊吉」


 ご飯を作ってあげるべき人が増えてしまったが、ずっと父と二人で暮らしてきた場所に、新しく家族が加わった喜びの方が大きい。弥宵は、そんな不思議な気持ちに包まれていた。


 直後、慎太郎と弥宵の胃が空腹による大きな音を立て、三人は顔を見合わせて笑った。

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